こんにちは
心と身体の自由研究家
数秘カウンセラーの
cocoです
11月になりましたねー!
今年も終わる終わる

上着がないと肌寒く感じる
今日この頃ですが、
今日は超個人的に
ほっこりした話をば。
注意:本当に超個人的かつ
女性だけの話?です。
私は生理の際にナプキンは、
使用しておりませんで、
目指すはナッシングナプキンの
粋なのですが、
まだ修行中の身
布ナプキンユーザーでも
ありましたが、
衛生上の問題により
今はいらない布を使い捨てで
使用しています。
うちにある古いタオルや、
着古した服を適当に切って
使うわけですが
いつもその古布ボックスから
生理になったら何枚か
慌てて切って、
箱の中に手をスボッと
突っ込んで手探りで
ぐちゃぐちゃ掘り出してました。
が、今回は先日の断捨離で
息子の古着が出たのもあり、
なんとなく2つ折りにして
並べておきました。
↓↓↓
このボックスも当時は
かわいいと思って買ったんですが

今では騒々しくて無地にすれば
よかったなぁ、、、と思いつつ。
て、話が逸れました

このように入れたので、
手前にズボッと手を入れて
さっと迷わず出せる

そりゃ当たり前の話なのですが

なんかこれがすっっごく
愛ー!
を感じたのです
自分への愛ですね。
ちゃんと用意されていること、
使いやすいこと、
整っていること、
そして、それが決して
やっつけやイライラした気持ち
から用意されていないこと。
ごく当たり前に、
義務や焦り、
押し付けや見返りもなく
ただただ、
こうだったらやりやすいかも。
なだけの気持ちで用意されるって
こんなにも違うのかー
と。
自分が自分に、
ただなんとなくやってみただけ
だったので、
これが他人なら、
やっぱり少なからず、
どうだったかな??
と
気になっちゃうもんですが、
しぜーんに、
こうだったらいいかもを、
今思いつく最前を用意する。
それで後は手放す。
期待もしない。
何か問題があれば
何か言われるはずだし。
そしたらまた改善したらいい。
くらいのライトなスタンスが
心地よいのですね
毎日主人や息子の弁当など
用意しながら、
反応を気にしてましたが、
そんな必要もないんだなと
思いました。
そういえば、昔兄弟が
似たようなことを言うてました。
汚家でしたから、
(今思えば母は精一杯でしたが。)
何もかもが乱雑でした。
その日は確かたまたま私が
脱衣所のバスタオルを
畳んで積みあげてあったんです。
それを仕事帰りの兄弟が風呂に
入る際に見て、
なんかすごく癒された〜と。
これもきっと同じこと。
この先私が家族や自分に
することは、
こんなふんわりとしたライトさで、
気にするまでもなく、
ごく当たり前にできるような、
そんな自然さを意識していきたいと
思います。
見返りや見栄や他人は
どうでもよく、
ただただ、
どうだったら心地よいか、
より良いと感じられるか、
そんなところを漂うように。
真反対のキャラですがね
でもスタートは意識から。
意識の変化は必ず
日常を変えるはすですから。
まずは自分に。
そして家族に。
それができてきたなら、
きっと周りに。
広がっていくはず
