セビリヤは日本との関係もあり、スペイン大繁栄の歴史のようです。


セビリヤとオペラ、黄金の塔
 セビリヤは、タルテソス、フェニキア、カルタゴ、ローマ、イスラム、カスティーリャ(今のスペイン)と多くの民族などが支配をしてきた。それだけこの辺りの重要な地域だったのだろう。そして、地中海からグアダルキビール川を80kmさかのぼった港湾都市としてとても栄えた町であった。

その繁栄を今に残すものに、オペラがある。セビリヤを舞台にした有名なオペラは、100を超えているという。セビリアの理髪師、フィガロの結婚、カルメンなど中身を知らなくても名前を聞いたことがあるはずだ。

黄金の塔 黄金の塔

運河沿いには1220年に建てられた黄金の塔があり、対岸の銀の塔とともに行き来する船の監視を行っていた。スペインはここに、中南米から運ばれてきた金銀財宝を保管していたこともあるそうだ。8時33分にバスを降り、歩いて観光をすることになった。

建物の壁にもアートがあり、昔の造船所入り口のゲートをくぐってセビリヤ大聖堂へ向かった。

セビリヤ大聖堂

セビリヤ大聖堂   セビリヤ大聖堂2

セビリヤ大聖堂        鐘楼

 8時46分にセビリヤ大聖堂についた。教会の前で入場を待っていると、地元のおじいさんがやってきて、何か話しかけてきた。どうもフランシスコ・ザビエルのファンらしい。この教会は、かつての繁栄を表すように、外観の装飾にはたくさんの彫刻などをあしらってあることからバロック建築だろうが、これもセビリヤの財力を示している。

礼拝堂の面積はバチカンに次に巨大なもので、礼拝堂の広さは、幅が約60m、長さが約100mもあった。内部には約10m間隔に、直径5mほどの柱が左右に3列ずつ合計54本も立っている。しかし、教会内には懺悔室が見えなかった。

教会内では朝のミサが行われていたが、日曜日なのに礼拝に来ている信者の数が少ないのはどうしたことだろう。9時に教会の外に出ると日曜のミサを告げる鐘の音が頭上から降ってきた。その鐘の音を響かせている鐘楼は、70mあったイスラムのミナレットの上に建物を継ぎ足して97.5mにしたものだった。ということは、この教会の前身はイスラム教のモスクということになる。ミナレットの内部は螺旋階段なので、4方の壁にある窓は壁ごとにその高さが異なっていた。

大聖堂のファサード前には市電が走っているが、大聖堂の前だけ架線がないのは景観に配慮をしているのだろう。こんなことは初めて見た。線路幅は約130cmある。

セビリヤ旧市街を歩く

民家のパティオ とある民家のパティオ

 大聖堂を正面から出ると、その前にインディアス古文書館が、その左手に旧王宮のアルカサルの城壁が見える。その城壁を右にして狭い道を入っていくと、エルビラ婦人の噴水広場に出た。この広場は白、黄土色、焦げ茶色の家に囲まれ、幅2mの路地が5本入ってきている。路地のひとつを歩いていくとまた広場。ピメンタ(胡椒)通り、アクア(水)通りを歩いて王宮の裏手のムリリョ公園に出た。隣がアルガビージ侯爵の貴族の館。その路地を抜けるとまた広場があり、途中の家々は自宅のパティオを自由に観光客に見せていた。このようなパティオをパティーレ(閉ざされた空間)という。路地を歩いて、サンタ・テレサ尼僧付属教会の脇を通り、シメネス・デ・エンシソ通りを歩いて、9時25分にアプテサニア・サンタ・テレサというお土産店にトイレ休憩を兼ねて入った。この辺りは狭い路地なのに1階はみんなお店になっている。しかし、ほとんどがシャッターを下ろしている。山上さんから「ヨーロッパの古い町は建物の有効利用のために、1階は商店、2階以上を住居にするように市が規制をしているのです。今は観光シーズンではありませんからシャッターも締まり人もいませんが、シーズンになるとこの路地は人でいっぱいになってしまいます。」と聞いてから出発。

途中のさらに幅の狭いキス通りを横に見てロペ・デ・ルエタ通りを進むと、20m以上の巨大なタイサンボクとゴムの木がある大きな公園に出てきた。そこを出ると、コロンブスの新大陸到達を記念したモニュメントが建てられている。モニュメントにある2本の柱は、ジブラルタル海峡でヘラクレスの門を示している。それがアメリカドル($)にある縦線にもなっている。

 

セビリヤには500年前に2組の日本人がやってきているのです。