スペインは大きな国ですが、旅行で移動してみると、それを実感できます。
汽車という歌の歌詞は、日本の地形を良く表しているのですが、スペインはそれとは真逆の感じがしてしまいます。
11月17日(日)
朝食
依然として胃の調子が良くない。夜中に一度トイレに起きてから、6時のモーニングコールで起き出した。今日も観光をしてから400kmの長距離移動なので、楽な服装に着替え、荷物もさっさと整理し鍵を閉めて6時40分にレストランへ行った。まだ薄暗いホテルの外に出ると、少し寒い感じでやや風があるようだ。
朝食もビュッフェスタイルで、レストランが6時45分に開くと同時に料理を取り始め、食べ始めた。
昨日のつらさがにじみ出ている朝食
メニュー
バナナ、キウィ、ヨーグルト、温かい牛乳
昨日の夕食後におかしくなったので、朝は極力少なくし、特にパンなどのでんぷん質は取らないようにした。バナナはまだ青い感じで少し硬く、皮をむいてないキウィは取るべきではない。その中で、温かい牛乳がもらえたのはとても助かった。この牛乳を少しずつ飲んだとき、おなかが元気になってくる感じがしたのだ。7時に終了。
もちろん食後に部屋へ戻って消化薬を飲んだことはいうまでもない。
出発
歯磨きなどをしているうちに、7時20分になったのでロビーへ下りた。山上さんに挨拶をしてから、バスの指定席に座ったのは、ちょうど7時30分だった。今日の席は運転手側の5・6列目で1日ごとに前に進んでいく。
このころようやく東の空が白み始めてきたが、まだ街灯の明かりが輝いてみえている。ホテルの前の道路を走る車もまばらだ。今日は最初にセビリア大聖堂を観光するのだが、この暗さの中で大丈夫なのだろうか。
バスは7時36分に出発した。山上さんが「皆さんおはようございます。今日はルイスさんに長く働いてもらいますので、大きな拍手をお願いします。」大拍手。するとルイスさんが「ボンディーヤ」とポルトガル語でおはようとご挨拶。いつものように「忘れ物はありませんか」と注意をして、セビリヤの観光がスタートした。
バスは、ジャカランタの並木道を走っていく。ほかにもニセアカシヤ、センダン、シュロ、バショウの枝が道に被さるように生い茂っている。それを剪定しないところに雰囲気があって良い。日本ならすぐに丸坊主にされてしまう。
スペイン広場
7時50分にセビリヤの旧市街地に入ってきた。外気温は7℃。ヒラルダの塔、スペイン広場、アルカサルの城壁、カルメンのタバコ工場などを車窓から見て、スペイン広場に戻ってきた。そこで今日の現地ガイド“エドワルドさん”と待ち合わせて合流し、8時00分からスペイン広場の観光になった。
左側に広場が広がるスペイン広場 ガイドのエドワルドさん
このスペイン広場は、1929年のイベロ・アメリカ博覧会のメイン会場として作られた建物と広場である。1898年までに、植民地だった中南米の国のほとんどは独立をしてしまい、スペインの栄光は失われてしまっていた。そこで、それらの国々との関係を維持していくために、この博覧会が開かれたものである。しかしこの博覧会はその年に始まった世界恐慌による経済の大混乱のため、本来の目的を果たすことなく終わってしまったようだ。このころの日本は治安維持法の下で多くの人が弾圧される暗黒の時代を迎えていたように、1929年の世界史を見ると良い記述がある国はほとんどない。
メイン会場となったスペイン広場は真ん中に噴水のある横幅150mほどの楕円形の庭を持ち、その外側を取り巻くように浅い池、その外側に大きな建物を配置してある。建物と楕円形の庭は4つの橋でつながれている。建物の壁には上段に中南米で活動した探検家のレリーフが、下段に参加国を示すカラーのモザイクタイルがはめ込まれている。そこは各国のパンフレット配布所でもあった。上段の探検家の名前を見ると、ピサロやコロンブス、マゼランなどでいずれも中南米などで原住民を大量に虐殺した人たちだ。このような位置関係は、“スペインが未開のお前たちを征服したのだぞ”というような見下し目線を感じてしまうのは思い過ごしであろうか。博覧会のために、参加国のパビリオンが市内の各所に作られ、その建物は現在でも使われているという。なおこの広場では、アラビアのロレンスとスターウォーズエピソード2のロケが行われたそうだ。8時25分出発。
つぎは、セビリヤ大聖堂へ行きます。それにしても添乗員の山上さんはセビリヤを「セビーリャ」と言うのです。アクセントもビを強くリズムを付けて発音していたので、未だに耳から離れません。

