今日はメスキータです。良いです。とても良いです。



メスキータ

 塀に沿って歩き、3時13分に「メスキータ」の中庭(パティオ)に入った。

メスキータの中庭  メスキータの内部

メスキータの中庭とミナレット  メスキータの内部

ガイドのホアンさん   石柱

ガイドのホアンさん      石柱とサイン

ミヒラーブ ミヒラーブとそれが示すキブラ

中庭の周囲には回廊が巡らされて日陰を作り、中庭には、噴水が作られ、たくさんのナツメヤシが茂り、20本近くのオレンジが黄色い実をたくさんつけている。南西の角には、モスクのミナレットの外側を覆うようにして、キリスト教会の鐘楼が増築されていた。それは17世紀のことだったそうだ。

19分にガイドのホアンさんと合流し、メスキータの礼拝堂の中に入っていった。

内部に入っての第一印象は感動だろう。ここにはキリスト教会とは違い、平穏と安定した空間が広がっていたのだ。最低限の装飾しかないこの礼拝堂を表す言葉がない。

内部には、たくさんの低い柱が立ち、天井は柱と柱の間をアーチ構造にして連続している。柱の上部とアーチに、白とピンクの石を幾何学的に組み合わせているのもまた良い。

柱の数は、千本近くあり、椰子の林を連想してしまう。この礼拝堂は、イスラム教徒が8世紀にモスクとして建て始めたもので、この辺りにあったキリスト教会をイスラム教徒が買い取って何度も増築され、最終的には2万5千人が礼拝できる巨大なものになったという。その時使われた石の柱は、コルドバ産のものやローマ時代の遺跡などから持ち込まれたようで、柱の長さが異なっており高さをそろえるため楔などで継ぎ足しが行われていた。また各柱には、その柱を作った職人のサインが刻みつけられている。

そのサインは何か、という質問に「職人のサイン」と正解を答えた人がいた。450kgの柱を一本贈呈すると言われたが、未だに届いていないそうだ。

13世紀以降はレコンキスタを行ったキリスト教徒がバロック様式で拡張し、現在に至っているという。その時、モスクの中央の柱を160本も取り払い、その空間にキリスト教会の中央礼拝堂にしてしまった。

モスクだった時代、イスラム教徒は中庭で沐浴してそのまま礼拝堂に入り、反対側の壁に開けた穴(ミヒラーブ)が示すメッカの方角(キブラ)に向かって礼拝をしていた。しかし、キリスト教徒は、中庭と礼拝堂の間に壁を作って、礼拝堂を閉鎖的な空間にしてしまったので、今は中が薄暗くなっていた。

このメスキータは28000平方メートルの広さがあるが、現代のイスラム教徒は新しいモスクを建設し、そこで礼拝をしているそうだ。

また、メスキータの中には、金銀120キログラムで作ったキリスト教の“聖体顕示台”があり、毎年6月のお祭りになると、これを担ぎ出して町を練り歩くという。

花の小径

花の小径 花の小径のたたずまい

 メスキータを出るとすぐのところに、かつてユダヤ人が住んでいたという“花の小径”と名付けられた30mほどの狭い道があった。その道に面した家は、ベランダに花を飾っているのでそういう名前が付けられたのだろうが、人が3人並んでやっとという幅しかない。イスラム教徒が支配していた時代は、ユダヤ人を普通に受け入れていたのでたくさん住んでいたようだが、キリスト教の時代になると、彼らは迫害を受け、この地区だけでなくスペインから追放され、北アフリカや中東に散っていった。この証拠はクエンカでも見ることができたのだ。

この辺りに残っている“花の小径”のような狭い道は、コルドバが敵から攻められたときに防衛しやすくするためであるという。

再びメスキータ
 “花の小径”のあと、その付近を歩いてメスキータのそばに戻り、黄色いポストで解散して30分ほどの自由行動になった。すぐ隣のお店でトイレを済ませ、もう一度メスキータの中庭に入って、その雰囲気を堪能することにした。中庭を一周すると、そこには、スペインの乾燥した土地や、アラブ・アフリカの乾燥した大地とは全く違った、水と緑にあふれる理想の空間を作り出している感じがしてきた。ここで沐浴すれば、信者は、死後はこのような場所に行きたいと願うだろう。そのような気持ちでメッカに向かって、ひたすら礼拝をする信徒が、目の前に浮かんできたようだった。

4時45分に、黄色いポストに集まって、坂道を下り始めた。

メスキータはとっても気に入りました。必見の場所です。