修禅寺というお寺は、名前ほど大きくはありませんが由緒のある良いお寺です。
修禅寺の山門 手水の水は温泉
「頼家の墓」を見てから、坂道を降りて39分に渡月橋へ戻ってくると、その正面が「修禅寺」になっている。
「修禅寺」はそれほど大きなお寺ではないが、その名前が、源氏ゆかりの歴史に彩られているので有名となっている。「修禅寺」の歴史を見ると、弘法大師ゆかりの寺で開山は804年だとされている。その後は鎌倉時代の1250年頃に臨済宗に、1500年過ぎに曹洞宗に改宗して現在に至っている。だから曹洞宗のお寺なのだが、真言宗のお経も上げられているのである。道路から10mほど進むと15段ほどの階段があり、山門はその上に立っている。山門の右側には「曹洞宗福地山修禅萬安禅寺」と書いた門標が懸けられている。山門を入ると右手に手水があるが、ここで流されているのは温泉だった。
飲むことも出来るというので少し口に含んだが、手水が温泉という寺社は初めてだ。短い参道を20mほど進んだところに本堂がある。本堂は130年前の1883年に再建されたものだが、そのころの火災で由緒ある修禅寺という「寺額」が焼失してしまったそうだ。本尊は「大日如来」である。曹洞宗の本尊は本来「釈迦如来」だが、「大日如来」をお祀りしてあるところにこの寺の歴史を感じる。
本堂の前にはハスの花が一対生けられ、ちょうど花を咲かせていたのも風情がある。
本堂向かって左側に進むと狭い竹林と、裏山へ通じている細い道がある。裏山には地元の人たちや有名人の墓地が広く広がり、昔は土葬が行われていた。かつての竹林の一部は寺への道路となっていた。その道の脇には鐘楼がある。10時50分。
独鈷の湯
「修禅寺」の脇道を降りて温泉街の通りに戻り、右に進むと2軒目にお土産屋の「源泉」さんがある。添乗員さんに紹介されていたので立ち寄ることにした。店の奥にいくとゴマを練り込んだ餡を、竹炭を混ぜた皮で包んだお饅頭を一つくれたのでそれを頬張り、少し店内にいてから通りへ戻った。「源泉」のすぐ前の桂川の中に「独鈷の湯」がある。
その昔、空海がこの地を訪れ、桂川のその辺りを「独鈷」で突くと温泉が湧き出したというのが、「独鈷の湯」の謂われとして残っている。
今は立派な建物があり、入湯料金を取っているが、かつては簡単な屋根とヨシズ張りの囲いがあるだけで、地元民が無料でこの温泉に入っていたという。しかし、1957年の狩野川台風の洪水で「独鈷の湯」は土砂で埋まり、温泉が出なくなってしまったらしい。その後復旧させ、現在の姿になったようだ。近くには足湯のサービス施設も作られていた。
新井旅館・竹林の小径
竹林の小径 桂橋
「独鈷の湯」を左に見て桂川沿いの狭い道を歩いていくと、1分ほどで桂橋にたどり着いた。対岸を見ると、そこにはうっそうとした竹林が見える。桂橋の中程に立って右手(川の左岸)を見ると、伊豆の踊子が出てきそうな、小説家が執筆のために逗留していそうな、明治の風情を残した「新井旅館」がある。桂橋を渡ると、そこは「竹林の小径」。路の左右は、よく手入れされた孟宗竹の林になっているが、心なしかその太さが細くなっているような感じだ。かつては直径が20cm程度の竹があったような気がしたのだが。
竹林を吹き抜ける爽やかな風を感じながら通り過ぎると、時計が11時を過ぎていた。
いそぎめにバスに戻らなければならない。
温泉街の通りに出て戻ってくると、そこは「新井旅館」の正面玄関。玄関は今風の構えになっている。「独鈷の湯公園」でトイレを済ませたころには11時10分を過ぎてしまった。
急いでバスに戻らなければならない。途中小走りをしながらようやくバスに着いたときは、11時15分の出発時刻になっていた。もっと遅れてきた人もいて11時19分に出発。修禅寺道路を北上し始めた。
温泉にでも入ってもっとゆったりしたかったのですが、何しろ日帰りで、このあと旅行会社が設定したことがありますので、時間に追われていくのです。






