韓屋村へ移動し、村内を見て回るのは苦痛でした。ビビンバがお腹にいっぱい入っていたからです。
全州韓屋村
家族会館前から見た豊南門 慶基殿の表門
外はかなり暑くなっている。全州は盆地だから昼にかけて暑くなるのだがそれにしても暑すぎる。「家族会館」を出ても、「韓屋村」らしいものはどこにも見えない。そこで1階の100円ショップに戻って、道を尋ねるとそばにいた親切なアジュマが、手を引いて外に連れ出し、南を指さして「あれが、「豊南門」で、そこを左に行け」と教えてくれた。
カムサハムニダ。100円ショップの目立つところにアイスシャーベットや帽子が売られていた意味がよく分かった。
教えられた通り、照り返しの強い道を門に向かって歩き始めたが、とにかく暑い。門を見てから幅の広い太祖路へ左折して行くと、左手に「慶基殿」という御殿があったが、その佇まいから見て比較的最近に再建されたような感じであった。正門には伝統装束を着た警備兵が建っているが、中に入って見る元気がない。食べ過ぎていたからだ。それに、「全州韓屋村」の韓屋は分散して立てられているので、短時間で全部を見て回ることはとても出来ないし、暑い。そこで、いろいろある建物のうち、「全州郷校」に行くことにし、そこへ行く途中にある「梧木台」という見晴台に立ち寄ることにした。太祖路を進んでいくと観光案内所があったので、冷たい水と空気をご馳走になり、太祖路をさらに進んでいった。
梧木台
道は登り坂になり、すぐに麒麟路とのT字路に出た。右に曲がるとすぐに右手に登っていく散歩道があり、左前方には歩道橋が見える。
散歩道を登り切ったところが「梧木台」。ここは、かつて李氏朝鮮の創始者の李成桂が1380年に日本の海賊倭寇を破り、開城に戻る際にここで宴を開き、漢の劉邦の作といわれる「大風歌」を謡った所だという。
「大風歌」
大風起兮,雲飛揚 大風が起きて、雲は高く舞い上がった
威加海内兮,歸故鄕 その威力を国内に輝かせ、故郷に帰る
安得猛士兮,守四方 いずこにか勇者を得て、四方を守らしめん
そんな歴史も刻んでいる場所だが、2組の若いカップルがデートに余念がない。李成桂が見たら、このような平穏な世が望みだと喜ぶだろう。と思いたい。
本来なら、この「梧木台」から全州の街が一望できるのだろうが、周囲の木々が生長し葉を茂らせているのでほとんど見ることはできない。
全州郷校・チョンジュヒャンギ
高台から望む全州韓屋村 やや上から見た全州郷校
郷校内の先生の席 郷校内の松
「全州郷校」は「梧木台」から見て南側にあるのだが、その間には谷と小高い丘がある。「梧木台」から麒麟路に下りてそのまま進んでもいいのだが、自動車道を進むのも趣がないので、道を右手にとって住宅地に入っていった。道をやや下ってから、左に曲がり先ほど見えた丘を越えていくと、全州の町が一望でき、古い建物と新しい建物が混在している様子がよく見える。下り坂を下りていくと、すぐ左手下に「全州郷校」の全景があった。「全州郷校」の塀に沿って正面に回ると、そこはまだ工事中で、中に入るとかつての学校らしく風通しの良いがらんどうの建物が幾つか建っていた。もちろん再建されたものではあるが。中心の建物に行くと、何かの中継か撮影をするようで数人の人が準備をしている。靴を脱いでその建物に上がってみると、広間の床は細い竹を細かく編んだござを敷き詰めてあり、先生が座る場所であろうかそちらは黄色の麻布を敷き詰めたオンドル部屋になっていた。その後建物裏手にまわってみると、オンドルの焚き口があり、大量の薪が積み上げられていた。広い縁側に座って前庭を見ると、そこは矢場でもあり2つの的が置かれ、縁側には竹を輪切りにした矢の入れ物もあった。しばし、風に当たって休息を取ってから「全州郷校」を出発したのだが、時刻も2時に近くなり益々暑さが増してきている。「郷校通」は石畳なので、道からの照り返しも強い。日陰を探そうにも街路樹も疎らにしかないので、これ以上観光を続けるのが嫌になってしまいソウルへ戻ることにした。
全州の韓屋村は、再建されたものがほとんどですから、そこには歴史的重みを見ることが出来ません。また、各施設が点在していますので、1つ1つを見て回るのがとても大変でした。
最も、暑かったのもあるのですが。






