やはり最近の日中関係を表しているのでしょうか。このブログを訪れてくれる人が減りました。

中国は色々と深い国だと思っているのですがね。あれこれいっても中国との関係を絶つことは出来ないし、相互の理解は大事だと思うのですが。ケンカをしたって何も始まりません。しかし、ケンカをしたくてたまらない人がたくさんいる状況を憂慮しています。

さて紹興酒工場見学のあとは西湖クルーズを体験します。


瑪格而特(マークーニートゥー)レストラン

 今日の昼食は紹興料理。呉と越の長い歴史から紹興料理は味が濃くザーサイなどの漬物があり、砂糖はあまり使わないのが特色となっている。

説明を受けている間に、12時45分に昼食会場の「瑪格而特」レストランに到着。2番テーブルにいつものメンバーが着席したが、今回はビールなし。

なぜなら、紹興酒が小ぶりの湯のみ茶碗に半分注がれて出されたのだ。これはうれしい限りで皆さん笑顔になったことはいうまでもない。味は5年物くらいで少しピリッとくるが、臭味・渋味などの残り臭がなくて美味しい。さすがは本場である。

庭のもぐら-昼食  紹興酒がついた2番テーブルでの昼食

メニューは①インゲンと漬物の炒め物、②豆腐としいたけに煮付け、③サトイモの煮付け、④生揚げと豚肉の炒め物、⑤豚肉と漬物の炒め物、⑥チャーハン、⑦チンジャオロース、⑧唐辛子と鶏肉の炒め物、⑨唐辛子の乾煎り

事前に言われたとおり味は濃い目で、少しピリ辛の感じがする。でも疲れている体にはちょうどよかったようで、皆さんには好評であった。

⑤の豚肉と漬物の炒め物は色が黒いので味がとても濃い感じがした。食材などを見ても日常にごく普通に食べているものなので違和感がなくて良い。

唐辛子の乾煎りは食べると美味しいのだが、中の種をかじったとたん口中がヒリヒリになってしまった。でもそれはそれで面白い。ここの料理は今までのイメージとは少し違う感じがし、皆さんであれこれ批評をしながら1時15分に終了し25分に出発。

2番テーブル

 今回の旅行の食事では、同じメンバーが同じテーブルに座ることになっていた。2番テーブルに座ることになったが、このテーブルのメンバーは話好きの人が多い。年齢も似ているので話題があれこれと違っても皆さんそれに合わせ話が発展していく。各人が過去の旅行の経験談や趣味などを話し尽きることがないのだ。酒が来るとすぐに“乾杯”をして運ばれてくる料理一つ一つに“あーでもない”“こーでもない”“美味い”“不味い”と言い合って楽しい。これだと消化も早いことだろう。

西湖のほとり

 1時50分ごろバスは景色のよい西湖のほとりを走っていたが、乗客の頭はユラリユラリと揺れている。西湖もその成因を調べると揚子江の土砂によって区切られた堰止湖なのだ。辺り一帯は湿地帯だったので、開発が遅れ広大な空き地が残っていたのだろう。そこに道路を造成し、水杉の林ができ、プラタナスの街路樹などを植えたので風光明媚な地域に一変してしまった。この景色を利用して「国賓館」や「空軍保養所」「杭州動物園」が造られている。鄧小平などもここを訪れて保養をしていたという。

西泠印社

庭のもぐら-西冷印社の石碑  やはり中国は書の国です

 2時48分に西湖の湖畔に着いた。ここには「西泠印社」という書道集団の建物があり、書、墨絵、篆刻が展示されていた。この団体は1913年に同人が集まって組織されたもので、現在も多くの書家が所属しているという。日本人もいるらしいが、生来の悪筆にはうらやましい限りだ。書の道具の販売や、印鑑の販売などもしていたが、皆さんすでに持っているのだろう。見るだけで3時18分に出てきた。

西湖遊覧船

庭のもぐら-西湖遊覧船  西湖遊覧は底の浅い舟で

 「西泠印社」を出たところが西湖の湖岸で遊覧船乗り場になっていた。それほど大きくない遊覧船で3時22分に出航。曹さんの話では「西湖にはいくつかの川が流れ込んでいるので土砂が堆積しだんだん浅くなってしまうのです。深さは大体1.5m~2.5m位しかありません。ですから浚渫しないとこの湖は陸地になってしまいます。それでなくても過去には旱魃で干上がってしまったこともあるのです。湖の中にある島は、200年前、300年前、400年前に浚渫した土砂を積み上げてできた島なのです。

有名なのは前方にある堤防で、これは1091年にこのあたりの知事をしていた「蘇東坡」が住民を動員し浚渫した土砂で造ったものです。そのころ旱魃がおき西湖は干上がってしまいました。それを利用して住民に手弁当で集まってもらい、湖底を掘り下げたのです。

そのためこの堤を【蘇堤】と呼んでいます。また白楽天が知事をしていた822年に造られた堤は【白堤】と呼ばれます。」話の中に漢詩の世界の有名人が土木工事の有名人として出てくるとは驚きだ。はるか前方には杭州の町が霞み、湖上には漁でもしているのだろうか一艘の小舟が漂っている。遊覧船は西湖の中ほどで舳先を返し4時に船着場に戻り、バスは4時05分に出発。

庭のもぐら-白堤  蘇堤の遠望

長恨歌

 白楽天は白居易とも言い、長恨歌の作者としてあまりにも有名だ。高校時代には習った後に本を買って読んだ記憶がある。

  漢皇重色思傾國、御宇多年求不得 楊家有女初長成、養在深閨人未識

  天生麗質難自棄、一朝選在君王側 回眸一笑百媚生、六宮粉黛無顏色

  春寒賜浴華清池、温泉水滑洗凝脂 侍兒扶起嬌無力、始是新承恩澤時

  雲鬢花顏金歩搖、芙蓉帳暖度春宵 春宵苦短日高起、從此君王不早朝

  承歡侍宴無閒暇、春從春遊夜專夜 後宮佳麗三千人、三千寵愛在一身

  ・・・・・・・

【和訳】漢の王様は長いこと美人を求めていたが、なかなか得られなかった。そのうち楊家に美人がいることを知り、それを王宮に召し出した。その娘が笑顔を見せれば宮廷の美人達は普通の人にしか見えないくらいだ。春まだ寒い時に華清の池の温水を賜り、体を洗ったところその肌はきめ細やかで温水が滑り落ちていった、娘はたおやかで力無く侍女に助け起こされるほどだった。それ以来娘は王の寵愛を受け始めたのであった。柔らかな髪、花のような顔、歩くと金のかんざしが揺れている。芙蓉模様の帳は暖かく王はそこで春の宵を過ごすようになった。春の宵は短く王は日が高くなってから起きだすので、早起きをしなくなった。娘は王の宴には常に侍り、春は春の遊びに従い夜も娘一人が侍るようになった。後宮には美人が3000人もいたが、その3000の寵愛を一身に受けたのである。

 詩はさらにこの10倍続くのだが、この後安禄山の反乱が起こり楊貴妃は梨の木の下で殺されてしまう。乱が治まった後、王は楊貴妃を捜し求めたが、東の海上の島にそれらしい仙女がいることが分かり使者を送ると「天にあっては比翼の翼、地にあっては連理の枝になりましょう。」という2人だけの言葉を伝えられたのであった。

バスの中では、昔の楊貴妃が何人か居眠りをしている。これじゃあ楊貴妃ではなくて六宮の粉黛にもならない。侍女が良いところだ。


思わず白楽天の長恨歌を調べて書いてしまいました。「六宮の粉黛顔色無し」というところがなぜかとくに印象に残っているのです。また本を買って、長恨歌を呼んでみたい衝動に駆られてしまっています。