今回の最大の収穫は慈照寺銀閣でした。その1、定食屋さん味処大銀 その2、銀閣 その3,哲学の道です。

銀閣寺道

 「新葵橋」のバス停から、205系統のバスに乗ったのが12時08分で、12分には「河原町今出川」のバス停についた。大きな交差点を渡って、銀閣寺へ行く203系統のバスを待つのだが、日だまりで暖かく苦にならない。18分になるとバスが来たのだが、時刻表では23分発になっている??バスはかなり急ぎ目に走り、「百万遍」の交差点を直進して、12時27分に「銀閣寺道」(ここは「白川通今出川」の交差点なのだ)についた。急いでいたのは一本前のバスだったのかもしれない。時間も昼になったので、事前に調べておいたこの辺りの食堂に行ってみると、小さな器がウィンドウにいくつか並べてあるだけなので、他を探すことにした。「銀閣寺道」から琵琶湖疎水分流に沿って東へ進もうとすると、そこに「哲学の道」という標識がある。記念にパチリ。疎水沿いの道には何軒か食堂があるが、    そのうちの1軒の敷居が低そうなので入ることにした。

  庭のもぐら-定食屋さん    庭のもぐら-昼食

  定食屋さん味処 大銀」     煮魚定食770円

そこは地元の人たちも使う「味処 大銀」という定食屋さんだった。770円の煮魚定食を頼むと、12時50分に、どんぶり一杯のご飯に、鯖の煮付け、みそ汁、冷や奴、おひたし、たくあんを付けて運ばれてきた。量が多く、ご飯は軟らかめでみそ汁のだしがきいている。煮魚は少し冷えていたが関東風の濃い味の煮付けで味はよく、冷や奴とおひたしの薄味とマッチして具合がよい。お腹が空いていたのだろうか、おいしくてパクパクと食べ、お腹がいっぱいになってしまった。店内を見回すと地元の人だけでなく観光客もいるし、外国の方も数名いる。1時07分に完食。

銀閣寺

 哲学の道を、しばらく歩くと1時20分に再び「哲学の道」の石碑が現れた。何とここからが本物だったのだ。疎水に架かる橋を渡ると、だらだらとした狭い上り坂が真っ直ぐ続いている。この坂道が銀閣寺の表参道。橋の周囲には人力車が数台客引きをしているが乗る人も特にない。この表参道を歩き始めると、左右にはお土産屋さんが何軒も軒を並べている。小間物、漬け物、きんつば、せんべい、飴湯、アイスクリーム、食堂・・・・。

およそ250mも歩いただろうか。「東山 銀閣寺」と掘りこんだ石の門標があり、正面に小さな総門が見えてきた。1時30分。この寺の正式名は「東山 慈照寺」(建立は1482年)だからややこしい。総門を入ってから数m進み右へ曲がると、30mほどの参道になる。参道は、左右ともよく手入れされた高さ6~7mの生け垣で挟まれている。

 庭のもぐら-通路  庭のもぐら-東求堂同仁斎

 銀閣の庭園に続く通路      東求堂同仁斎

 庭のもぐら-向月台  庭のもぐら-銀沙灘

 慈照寺の庭園、向月台      慈照寺の庭園、銀沙灘

 その終わりの辺りに拝観料受付があり、1人500円。すぐの角を左に曲がって中門を入るともぎりをされ、10mほど進んで右に“くぐり戸”を入ると、そこは山水の庭園になっていた。銀閣寺は東山との狭い斜面に建てられているので、こぢんまりした感じがする。そのせいか、人間が手を入れた庭園であるという感じがしてならない。代表は「向月台」と「銀沙灘」(ぎんしゃだん)だろうか。そのすぐ左に国宝の「東求堂同仁斎」がある。三間半四方の檜皮葺で、足利幕府八代将軍・足利義政(1436-90、将軍職は1449-73)の持仏堂であった。この建物がその後の茶室や、書院造りに大きな影響を与えたとパンフレットには書いてある。庭園内の道を順路に従って歩いていくと山裾に沿った道を少しずつ登っていく。やがて、途中の斜面に水が湧きだし、足利義政がこの水でお茶を飲んだという「お茶の井」があった。1時46分。このころ天下は赤松、山名、京極、一色などといった有力者大名が三管領四職として権力を握り争っていたが、ついに応仁の乱が(1467~77)発生して、京都の町は大争乱に陥ったのである。13歳で将軍になっていた足利義政の力ではどうしようもない状態になっていたのだ。そのとき、義政はこの銀閣でどのような心境で過ごしたのだろうか。「お茶の井」の隣には銀閣寺創建当時の庭園の石組みが発掘されていた。その脇のやや急な坂を登っていくと寺を一望できる高台に出た。

 庭のもぐら-銀閣  静かに見ていたくなる銀閣

ここから見ると、銀閣寺は本当にこぢんまりとし落ち着いた感じがする。さらに進んでいくと、山茶花の花がちらほらと咲いている下り坂になり、銀閣寺の横手から裏手に道が続いていた。この角度から見ると、金閣寺と違って心が落ち着く感じがする。再び中門から高い生け垣の道を通り、総門から寺を出たのは2時09分。そこには“左南禅寺・若王子神社”“右真如堂”と掘った石の道標がひっそりと建っている。門前の土産店を冷やかしながら、表参道の下り坂を歩いて2時12分に「哲学の道」にでてきた。

哲学の道

 庭のもぐら-哲学の道  冬の陽差しと哲学の道

 物の本によれば、その昔、日本第一の哲学者といわれる西田幾多郎先生がこの道を歩いて大学に通われたとか。当時は哲学の道などという名前ではなかったようだが、その後他の先生方も良く歩かれたので、このような名前になったという。地域の人たちの努力もあるのだろう、琵琶湖疎水分流を流れる水は澄んでいて藻等が少し生えて鴨が泳ぎ、両岸には桜の木などが植えられている。車の喧噪もなく、考えながら静かに歩くには良いところである。13分ほど歩いたところで哲学の道は工事中のために通行止めになってしまった。そこに架かっている橋は「洗心橋」。やむを得ず、右折して「鹿ヶ谷通り」に出て、「南田橋」のバス停に向かった。鹿ヶ谷といえば、1177年に後白河法皇が側近と示し合わせて、平家打倒の陰謀を図ったという理由で、平清盛が一味を捕らえたことで有名な場所である。この事件の真相は分からないと歴史書には書いてある。



良く金閣、銀閣と並び称されますが、一般には金閣を大きく取り上げる傾向にあります。しかし2ヶ所を訪れてみると、その人の好みもあるのでしょうが、銀閣のたたずまいには驚かされるものがあります。人の心に訴えかけるものがあるように感じてなりません。

哲学の道もその延長線上にあるのではないかと思います。哲学の道が金閣のそばにあったらどうだったのでしょうか。