空港に着陸し、いよいよ香港マカオの観光が始まりました。
今日は忙しかったので、ブログは1回しかアップできませんでした。
香港返還・マカオ返還
1840年にイギリスと清との間で「アヘン戦争」がおき、1842年の南京条約で「香港島」が、イギリスに割譲された。さらに、1860の北京条約(アロー号戦争)で、「九龍半島の南端」が割譲され、2地域と清との緩衝地帯として「新界」を含め、1898年の香港領域拡大協約によって、99年間の租借が決まった。以後、「香港島」「九龍半島」「新界」の3地域はイギリスの統治下に置かれることとなった。1984年に、英中共同声明が発表され、イギリスは、99年間の租借期限が切れる1997年7月1日に香港の主権を返還し、香港は中国の特別行政区となることになった。しかし、中国の支配を受けることに香港住民は不安を持ち、移民ブームが起こった。中国政府は鄧小平が提示した一国二制度(一国両制)を提示し、社会主義政策を将来50年間(2047年
まで)香港で実施しないことを約束した。現在はその人達も戻ってきているようだが、国籍は移民先に置いてあると思われる。
1849年、ポルトガルがマカオの行政権を中国から奪い、植民地にした。それは、アヘン戦争でイギリスが香港を植民地にしたことに刺激されたものであった。その後、1862年に清はマカオの統治権を認め、1887年に友好通商条約を締結してマカオを第三国に譲渡しないことを条件に永久的に占有することを承認した。ポルトガルが得たのは統治権のみで、マカオの主権は清側にあった。「マカオは歴史上ポルトガル領になったことはない」とも言える。第二次世界大戦では、ポルトガルが中立を宣言したため、中国人の難民が大量に流入した。1951年、ポルトガル、ポルトガル系住民によるマカオ植民地支配を続けようとしたが、1966年に中国系住民によるマカオ暴動が起こった。
マカオ暴動以降、中国側からの影響と返還の圧力が高まるなかで、1979年に中華人民共和国とポルトガルの国交が樹立され、マカオの主権が中国にあることが確認された。
1986年より、香港返還交渉と平行してマカオ返還交渉が始まり。1999年、行政権が中国に返還された。マカオには、マカオ基本法を実質上の憲法として運用する一国二制度が適用され、現行の社会制度を返還後50年にわたって維持することとなった。
香港国際空港
この空港はターミナルビルが2つあるようだ。2時15分、「入境検査」の矢印にしたがって進んでエレベーターを2つ下り、連絡シャトル電車に乗ることになった。1分ほど乗ってから、再び長いエレベーターを4階まで上る。「入境検査」の矢印に従って、長い行列に並んだのは2時20分。係員が甲高い声で何か言っているが分からない。指示された通りにつづら折りに並んでいると、列は少しずつ進んでいく。後の方では「アッ。パスポートの期限が切れている」と言う声が聞こえてきた。良く出国できたものだが、入国できるのだろうか。2時35分、やっと順番が来た。チェックは簡単ですぐに済んでしまった。
周りを見ると、①中国人 ②日本人 ③インド人 ④インドネシア人 ⑤白人がいるが、他は分からない。国際的だ。
2時45分、Bの出口から出ると、迎えの「旅物語」のプラカードが見えない。パンフレットを見るとAの出口と書いてある。急いで移動して、無事に添乗員と遭遇できた。
機内であった、茨城のおじさん達3人は既に来ていた。そのうち、会社グループの7人がやはりB出口から出てしまい遅れてやってきた。今回の旅は12名の参加だと聞かされて、ちょっと驚き。何でこんなに少ないのだろう?男9人、女3人という、今までにない変則的組み合わせになっていた。おまけにリタイア夫婦が一組もいないのだ。
出口のロビーを抜け、エスカレーターを下りると、そこは搭乗ロビー。さらにエスカレーターで下りていくと、3時10分に、大型バスがやってきた。12人で大型バスとは贅沢な。座席を決めるまでもなく乗り込んで勝手に座席を占領し、11分に出発。
添乗員の孫さん
添乗員は、孫さん。日本語はあまりうまくないが、自己紹介の後、香港での注意事項をたくさん言い始めた。
「①時差は1時間 ②香港ドルは1ドル=11.2円 ③水道の水を飲んではダメ ④貴重品の管理をしっかりする ⑤ホテルの部屋は自動ロック ⑥チップが必要。ホテルは1回1人5ドル、町中の有料トイレは2ドル ⑦道路は車優先だから注意
⑧スリが多い。グループのスリ集団がいる ⑨ホテルの冷蔵庫のものは高い。コーラの場合、ホテルは30ドル、コンビニは6ドル ⑩両替を受け付ける。今日は1万円=890ドルのレート。毎日変わる。」これだけたくさんのことを一度に言われても、頭には3つ位しか入らないだろう。
3時25分、バスは「エアポートエクスプレス高速道」を快調に走っていく。道はすいている。孫さんが続けて話しをしている。「明日16日にマカオへ行くと、香港に戻ってくるのは遅くなる。予定表にあるお寺やお店はとても行くことが出来ないので、今日はこの後、お寺を見に行きます。だから、明日のモーニングコールは6時20分、ホテルの出発は7時00分で、食堂に移動し、点心を食べてマカオに行きます。パスポートを必ず持参して下さい。」ということを話した。道路の舗装は必ずしも良くはない。舗装の継ぎ目をバスはガタンガタンとリズムを刻んで揺れながら走っていく。時々十字架をつけた墓地が見えるのも香港だからであろう。
黄大仙(ウォンタイシン)
3時45分、「黄大仙」という道教のお寺に着いた。道教は中国人に信仰されているが、どこに行ってもすぐにそれだと分かる。とにかくとてもカラフルで、赤を基調として金色、青、黄色と様々な極彩色で塗られている。
舗装がかなり傷んでいる駐車場にバスを止め、歩いて正面の門に向かっていった。周辺には20~30階の高層住宅が林立して、その谷間にこの寺があるという感じがする。階段を数段上り、左に進んでいくとまた階段がある。それを上ったところに本堂がある。
ここでお祈りをする時は、火を点けた線香を3本持ち、本堂正面で願い事を3つ唱え、3回礼をして、線香を供えるのだというので、その通りにお供えをしてきた。
願い事の1つは、家族の健康。どこへ行ってもそうなのだが。
本堂前の広場には、ひざまずくためのクッションが置かれ、何人かの人が盛んに“100本の木片が入った竹筒”を振っている。1本だけ出てくるまで、何度も振るのだという。ここまでは無料。1本出たら、それを持って占いの先生の所に行くと、ご託宣をいただけるのだという。これは有料で40ドル。
道教は、中国に昔からある民間信仰が、その後様々な宗教要素を取り入れ、変化してきたものなので、このお寺の場合は仏教の「観音様」と儒教の「孔子」もお祀りしている。
目的はもちろん「自分に利益をもたらしますように」だが、このお寺は「病気平癒」が中心になっているようだ。4時17分、出発。
車内
孫さんが、「ホテルまでは、25分ほどで着きます。ホテルでは毎日1人1本の水がサービスで付きます。」と説明を補っている。
道路を見ていると、車は左側通行をしている。お金も「人民元」ではない。ホンコン返還の時に、中国政府が1国2制度を認めたからなのだが、このスタイルもいつか吸収されてしまうのだろうか。車窓から、建築現場の「竹の足場」が見える。料金所のETCを「自動繳費」(じどうきょうひ)といい、“自動的に費用をくるむ“という意味らしいが、随分難しい漢字を使うものだ。というのをみているうちに、4時35分にホテルに着いた。蒸し暑い。
ホテル
ホテルは、「ハイアット リージェンシー ホンコン シャティン」。最初、ハイアットホテルだから繁華街にあるのかと思っていたら、長ーいトンネルを抜けて、周囲が山に囲まれた所にあった。パンフレットを見たらニューテリトリーと書いてある。これは「新界」という、中国に近い地域なのだ。ホテルの隣は「中分大學」のビルで、すぐ脇を走る鉄道には「大學」という駅がある。一応セブンイレブンと喫茶店があるが他に商店らしいものは何もない。自分に都合よく考えるものではないと反省させられた。
しかしホテルの建物は新しく、なかなか良さそうだ。
カウンターでは順番に、宿泊手続きをしなければならない。まずパスポートを提示するのは中国ではお約束。次に宿泊保証金として日本円だったら1万5000円を預けなければならない。2万円を出したら、5000円が無いというので、保証金は2万円になってしまった。これはチェックアウトする時に返してもらえるのだが、なんとも不思議なことだ。
カードキーを使ってエレベーターで11階の1139号室にようやく入ることができた。部屋は清潔で、なかなか良い造りになっているから、満足。
今日の夕食は付いていないので、日本から持ってきたお握りやパンを食べて済ませた。
オプションで「ミシュラン1つ星レストランで夕食、2大夜景の観賞」というのがあったが、1人8000円というのはいかにも高すぎるからやめ、「大學」駅から電車に乗って九龍の「尖東(チムサーチョイイースト)駅」へ行き、夜景を見ることにした。
今日、ブログに写真をのせる方法をレクチャーされてきました。
初心者は簡単なことでもとっても難しいものですから、かなり頭を使いました。
そのうちに、試しに写真をのせてみたいと思います。