性懲りもなくまた北関東にきてしまいました。どこへ行ってもそこには一生懸命に頑張っている人たちがたくさんいました。
でも、この4ヶ月後に「東日本大震災」がおき、益子一帯も大きな被害を受けました。早くその被害から立ち直って元の益子に戻るよう、そしてさらに発展されることをお祈り申し上げます。
秋の益子焼大陶器市
足利フラワーパーク
日程 2010年11月6日(土)
出 発 6時45分 帰 着 22時35分
出発
今週は、北海道に寒気が来ているなどという予報もあるが、関東地方はずっと晴れ模様で暖かい。出かける時は、誰でもお天気が心配になるが、このような天気予報は大歓迎だ。昨日は、カバンから「カサ」「雨具」のたぐいは全て取りだしておいた。しかし、暖かいといっても、北関東であるから冷えるのではないかと思い、厚手の上着を着て、さらに1枚余分に衣類をバッグに入れることにした。いつものように、6時に起き出してバナナを食べ、6時45分に家を出た。外はヒンヤリとしているが天気は予報通りに晴れて、朝日がまぶしい。7時08分の特急青砥行きに乗り込むと、土曜の早朝なので席はたくさん空いている。でも、駅ごとに次々と客が乗ってきて、座席は全て埋まり、金沢文庫に来ると、8割方の混雑。休日でもみなさん一生懸命に働いているのだ。7時58分に横浜駅に到着。
駅構内は、11月に行われる「APEC」の関係で、10mごとに警察官が立っている。
胸の字を見ると「岐阜県警」と書いてあるから岐阜県警は横浜駅が担当になったのだろう。
「みなとみらい」の方は、“もっとすごいことだろう”と想像しながら、心の中で「ご苦労様」と言いつつ集合場所の「天理ビル」脇へ急いだ。
8時10分に、「天理ビル」脇に着いたが、バスはまだ来ていない。これもいつものことだが、他の観光バスがたくさん停車し、歩道では各社の係員が「○○方面はこちらです」などとプラカードを掲げて大きな声を張り上げている。
8時18分に我々のバスが到着し、受付が始まった。バスのスタートは新横浜だったので、途中の道が混雑していたのかもしれないが、バスを見ると乗っている人はほとんどいない。40人以上がここから乗車をしたものだから、予定の8時20分から遅れること7分、8時27分にバスは出発した。今回の同行者の総勢は、47名とバスは満員になっている。最近、同行者の不規則行動に悩まされていたので、何となくいやな予感を持って出発したのだ。
運転手さん挨拶
出発する前に、運転手さんが挨拶を始めた。今回は初めて「神奈川中央交通」のバスに乗るので、運転手さんの行動も若干違うのだろう。「皆さんおはようございます。本日、バスを運転してまいります“田所”と申します。安全運転に努めてまいりますのでよろしくお願い致します。」拍手。「なお、前方に飴を置いておきますので、後ほど適宜お取り下さい。」という。このようなサービスは初めてだ。
添乗員さん挨拶
バスは出発すると、すぐに左折して「首都高横羽線」に乗り北上を始めた。間もなく添乗員さんが挨拶と連絡を始めた。「皆さんおはようございます。私は“位田”と申します。今日一日、皆様をご案内させて頂きますのでよろしくお願い致します。注意事項なのですが、シートベルトの着用をお願いします。また、リクライニングの使用は禁止させて頂きます。本日の行程ですが、道路は「東北道」が混んでいるようですので、「常磐道」を利用する予定です。最初の休憩地は「守谷サービスエリア」にさせて頂き、そこで今日のお弁当をお配りし、益子までまいります。益子では3時間ほど御自由に過ごして頂き、次に“足利フラワーパーク”へ移動して、アメジストセージのイルミネーションを見て頂きます。その後は横浜へ戻ってくる。というのが今日の予定になっております。」
首都高速から常磐道へ
「横羽線」は、京浜工業地帯の真ん中を走っているので、道の左右は名の知られた企業の工場が道路のすぐ脇まで迫ってきている。この道も作られてから、40年以上経っているので、道幅が狭い感じがするし、カーブもきつくだいぶ傷んでいる印象だ。
これもAPECの関係だろう。三重ナンバーをつけた警察の車両が何台も反対側車線を横浜に向かって走っていくが、今日も緊張した警備を羽田空港でしてきたことだろう。「ご苦労様です。」
47名を乗せたバスは快調に走り続け、車内の人達は何となく浮き浮きと楽しそうだ。
大師、羽田を過ぎて8時46分に平和島料金所を通過した。この頃から首都高が渋滞を始めダラダラ状態になってきた。左手の運河を見ると、日だまりにカモが2羽3羽、6羽7羽と浮かんでいる。大井を過ぎ、天王洲のあたりに来ると道路の隣が東京海洋大学で、帆船の日本丸がサビを浮かべて置かれている。朝食が軽いので、コンビニで買ってきたお握りを流し込み、お腹は一安心。
9時01分、芝浦を通過。依然として渋滞。運河沿いをジョギングしている人が何人か見られるが、良い汗をかいていることだろう。東京タワーが左手に見える頃には、車が流れ始め、浜崎橋、汐留、銀座、京橋、宝町、江戸橋と一流の名前の場所を通過していく。
9時09分、「箱崎ジャンクション」から隅田川沿いに走る「首都高速6号向島線」に乗り換えた。走っている車を見ると荷物を満載したトラックが多いが、景気は少しずつ良くなっているのだろうか。やがて、進行方向右手に「スカイツリー」が見えてきた。いつも荒川沿いを北上しているので、「スカイツリー」を右手に見るのは感覚的に変に感じるが、今回はこれが正しいのだ。20分頃に、浅草の桟橋やアサヒビールの「炎のオブジェ」が見えてきた。これでどこを走っているのかを納得できたが、「スカイツリー」は大きすぎてこのあたりを走ると全体像を見ることが出来ない。隅田川を見ると屋形船が岸辺にもやい、都鳥が水面をかすめている。天気は良いし、春のうららの隅田川のような感じになってしまう。
9時25分、「堀切ジャンクション」から「小菅ジャンクション」を経由して「高速三郷線」に入った。この道を直進すれば「常磐道」にそのまま入っていくのだが、運転手さんはプロとはいえ首都近郊の道が全て頭に入っているのだろう。流れるように道を選びバスを操っているから、尊敬してしまう。
9時29分、埼玉県八潮市に入ったが、今度は都心に向かう上り線が大渋滞になっている。
33分に「三郷ジャンクション」を通過。これから「常磐道」だ。
守谷サービスエリア
37分に江戸川、43分に利根川を渡り、45分に最初の休憩地「守谷サービスエリア」に到着した。位田さんが「皆さん、ここを出ましたら益子まで停まりません。1時間半位はかかると思いますので、トイレはしっかりと済ませておいて下さい。トイレが混んでいると困りますから、出発は10時05分と致します。混んでいて遅れても、置いていくことはいたしませんので安心して下さい。後、お弁当をお座席にお配りしておきます。」と連絡。果たしてみんな時間通りに集合するだろうか。
「守谷サービスエリア」はそれほど大きくはないが、時間も10時に近くなり、渋滞を抜けてきたこともあって、多くの人が休憩を取っている。天気も良いから売店の人たちも「今日こそは」と大声を上げて客の呼び込みをしている。また、利用客もトイレを済ませたあと、売店に入ったり適度に食べ物を買ったりしている。本当にうららかな秋日和だ。
バスは定刻通り、10時05分に出発。人数は47名と多いが、皆さん時間には正確のようで嬉しい気持ちになる。(どうしても、奈良の事件が頭から離れないのだ)
関東平野
「守谷サービスエリア」を出発したバスは、時速90kmで快調に飛ばしていく。23分頃、左前方に山が見えてきた。「筑波山」だ。右手には、「橋のない川」の作者「住井すえ」さんが住んでいた、牛久沼があるはずだが、バスからは見えない。「4月17日には「つくばジャンクション」から筑波研究学園都市に行った」等と思い出しているうちに、高さ877mの「筑波山」はどんどんその山容を大きくしてくる。さらに、その北側にとんがった形の山が見えてきた。地図を見ると、これが明治初期の自由民権運動で有名な「加波山」709mだということが分かった。水田は刈り入れが終わり、ひこばえが青々と芽を伸ばしている。あたかも田植えを済ませた初夏の水田の様相を見せている。車内はそんなことはどうでも良く、皆さんおしゃべりに夢中だ。
10時35分、バスは相変わらず快調に90kmで走っている。
沿線の農家を見ると、どの家も広い敷地に「入母屋」か「寄せ棟」の大きな母屋を構えている。豊かな農村地帯なのだろう。何しろ、茨城県の耕地面積は北海道に次いで日本2位と、とても豊かなところなのだ。きっと武士の時代には、鎧や刀、ヤリを片手に「いざ鎌倉」「いざ関ヶ原」と出陣をしていたのではないだろうか。等と適当な妄想にふけっていると、余りの平穏状態に安心したのだろう。添乗員の位田さんまでが、居眠りをし始めた。でもさすがプロだ。10時39分に、「岩間インターチェンジ」を通過したところで目を覚ました。
10時43分、「友部ジャンクション」で「常磐道」から「北関東自動車道」に入ると、50分には「友部インターチェンジ」を下り、国道355号線を北上し始めた。すぐ隣をJR水戸線が並行して走っていたが、やがてそれとも離れ、笠間稲荷の付近を通って山間の道に入った。低い峠(佛の山峠というらしい)を越えると道は下り坂になったが、周囲は北関東の田園地帯だ。まだ早いと思ったが、お弁当を広げて食べることにした。
メニューは、①きのこご飯 ②ハマチの塩焼き大根おろしがけ ③筑前煮
④カラシナの漬け物の油炒め ⑤唐揚げ一つ ⑤厚焼き玉子
⑥鶏肉のスライス ⑦串団子。味付けは薄味でなかなか美味しくて完食。
友部といえば、国鉄「友部駅」のベンチで野宿をさせてもらったことを思い出しました。
青春の思い出とは、他人から「くだらない」といわれるものほど、本人の心に大きな影響と印象を残すものです。他人の批判などどうでも良いのです。それが青春なのですから。
ところで、あのときのベンチの硬い感触がまだ背中に残っています。そんな野宿を許してくれた国鉄さんありがとうございました。今のJRは絶対に許可しないでしょうね。余裕がないのでしょうか。
若い者には旅をさせろとか、他人の飯をくえとか、獅子は千尋の谷に子を落とすのはやはりその言葉に真理があるのでしょうね。皆さんいくつになっても自分は青年です。旅をしましょう。
すみません。こういうことになるとすぐに熱くなってしまうものですから。
ところで、次はいよいよ益子の町に入っていきます。