舎利殿を見させて頂いたあとは、円覚寺のそのほかの頭塔を見ながらいろいろ説明を受け、まったりとした時間を過ごすことができました。


寺院の構造材

 寺院など大きな建造物の柱などを見ると、大抵「ケヤキ」を使っている。硬いし太い材が得られるからだろう。

ところで、鎌倉には多くの寺院があり、いずれも太い柱を使っている。その総量はどの位だろうか。鎌倉周辺の山々を見てもこれだけの「ケヤキ」を見ることは出来ない。これは京都、奈良でも同様だ。中国の宮殿は数千キロ離れたところから皇帝命令で材木を運ばせたというが、日本はどうなのだろうか。そのあたりを記述したものは見たことがない。また寺院関係者の方に聞いてみるが、その答えは何時もない。昔は、道路事情や機材などの関係でそんなに遠くから運んでくることは出来ないと思われるのだが。「舎利殿」の柱は「ヒノキ」だったように思う。

開山堂

 「舎利殿」の須弥壇の後側にも扉があり、そこを通過したところが「開山堂」になっている。ここには、円覚寺を開山した「無学祖元禅師」という方の像が祀られている。像は薄暗い厨子の中に納められているので、ご尊顔を拝見することは出来ない。歴史の重さであろうか、写真に撮ることなどは畏れ多くて出来ない。じっと像前に正座し、お願い事をしてしまった。禅宗は「自力本願」を旨としているのに、「よろしくお願いします」等と虫の良いお願いをされた禅師は、“警策”を何本も準備したのではないだろうか。確か、「三門」で無願を解脱しなさい、ということになっていたはずなのに。これも煩悩のなせる業。「禅師」の警策ならば、喜んで受けてみたい。

厨子に向かって左手に「弘安9年」開山と書いてあったが、これは1286年なので、今年は725年目ということになる。

正法眼堂

 「舎利殿」と「正続院」の間に「正法眼堂」がある。ここは、坐禅堂で修行を許された修行僧が生活する場になっている。畳1畳強の場所と背後の天袋、タナ、地袋を与えられ、そこを生活の場として修行を行わねばならない。飾るものは一切無く、不必要と思われるものは全てそぎ取ってしまってある。入口正面にはまだ真新しい「警策」があった。警策がすぐに折れてしまうためだそうだ。導師の話によれば、修行の時には肩の後に警策で打たれた跡がX字状に出来てしまうとのことだ。

現在は10人近くの方が修行中だとのことであったが、この時間は皆さん作務を行っているので不在であった。だから見せて頂くことが出来たのだが。

天袋の上に札が下がっていて、「直日」「臣恭上座」「助香」「恵開上座」「大衆」等と書いてある。「直日」「助香」は役職で「臣恭上座」「恵開上座」が修行僧の名前だという。「大衆」とはその他の修行者を示している。導師の話。「ここでの修行の1つに、“夜坐”が有ってね。先輩が舎利殿のまわりで夜に坐禅をすると、新参者は寝ているわけにはいかない。丸い座布団を持って外で坐禅を組むんだが、11時12時まで座っている。そのうち先輩が1人ずつ坐禅を終了するが、新参者は“はいどうも”と止めるわけにはいかない。先輩が終わると数分して次の先輩、数分して次の先輩となるから下っ端は1時間くらい後になる。そういう修行をしていたんだよね。」という話をしながら、すり減った木版を懐かしそうに見入る導師がそこにいた。辛いことでも、終わってみれば普通に話せるものらしい。Nさんに「座っていく?」と聞くと「結構です」とのご返事。

隠寮

 ここは、夏目漱石の小説にも出てくるところらしい。ここには導師にも深い思い出があるようで、じっくりと話をされていた。

「先ほどの正法眼堂で坐禅を組んで修行をしていた頃、あそこの出入りは普段は裏からしていたんだが、正面から出入りすることが時々あった。それはここ「隠寮」に来る時だ。ここにきたら、入口からあがり、座って待つ。順番が来たら部屋にある小さな鐘を打ってから、奥の座敷に入る。そこにいる“老師”の前に進み、問答を受けることになっていた。それはもう緊張の極みだった。今思い出しても体に震えが来る。」ということだった。我々は経験がないから分からないが、修行僧は逃れられないもので、このような修羅場をくぐってこそ立派な僧侶に成長するのだろう。「隠寮」から下の通路に戻ると、修行僧が庭木の剪定などの作務を行っている。導師は作務中に崖から落ちそうになったことがあるそうだ。案内をしてくれた僧侶の方とはここでお別れし、方丈の庭を見に行くことになり2時55分に「舎利殿」などを後にした。

円覚寺内のお寺

 円覚寺のような大きなお寺には、たいてい寺の中に寺がある。ここもそうで、「帰源院」「松嶺院」「富陽庵」等々10ヶ寺以上が有るという。

その理由について導師は次のように説明していた。

「昔の僧侶は全国を修行して歩いていた。それは高僧といわれる人もそうで、特別なことではなかった。請われて数年間住職を務め、再び修行の旅に出るということもあったようだ。その流れの中で有力なパトロンが私財を提供してお寺を建てて僧侶を遇することもあったようだ。それが、お寺の中のお寺という形態を生み出したと思われる。だから、所々に見えるお墓は全てが円覚寺のものではないのです。円覚寺のお墓は80くらいしか有りません。」「80。今は拝観料などがあるかもしれないけど、昔はどうやって円覚寺を運営していたんですか?」「円覚寺は修行を中心にしたお寺なので、その系列のお寺が関東を中心にして数百有ります。ある意味、円覚寺はそれらのお寺の本部という意味合いを持っていますから、系列のお寺が円覚寺を支えてきた・支えているといっても良いと思います。」

円覚寺と菊の紋

 円覚寺の紋は「ミツウロコ」だが、所々の建物の目立つところに「菊」の紋がある。このお寺は、そんなに皇室と関係深いものだったのだろうか。との質問に導師は「想像だが、明治の“廃仏毀釈”への対策だったのではないだろうか。この寺も天皇家の繁栄や菩提を願う姿勢を示すことにより、政府などからの攻撃を避けたのではないかと思うのです。」菊の花弁は確かに16枚。水戸黄門の「この葵の御紋が目に入らぬか」の世界だが、当時の方々の気苦労は並大抵ではなかったように思われる。

方丈の庭園

 道を戻ってくるところにある庭園に立ち寄った。ここは方丈の裏手にあたり、静かな山水庭園になっている。敷石の通路に続いて苔を植え付けた庭、池、山とあり自然の石などが配されている。水の落ちる音が絶え間なく聞こえているので導師に「あの水は山からしぼれてきたものですか」「そうです。円覚寺は水に恵まれていて、きれいな水がしぼり出てきています。“正続院”には井戸があるのですが、水面までは2mくらいの深さしかありません。周りを囲んでいる山からしみ出してきた水がその井戸に集まっているとしか考えられません。この池の水も目の前の山からしみ出してきているものです。」と一同目の保養をしてから、庭園を後にした。池にさしかかる楓が紅葉する頃には、その色彩がまた一段ときれいなはずだ。実は禅宗は色彩が豊かなのかもしれない

洪鐘(おおがね)と弁天堂

 3時もすぎ、「では、弁天堂でお茶でも」ということになった。案内には「洪鐘・弁天堂」と書いてある。これで“おおがね”と読ませるが何でだろう。

100数十段の濡れた石段を、息を切らせてあがっていくと、そこには関東地方最大の国宝の鐘があった。鐘の上部にある「乳」は108個あるが、その形から江戸時代のものではないことが分かる。ものの本によると1301年に9代執権北条貞時が寄進したものだそうだ。撞木は少し朽ち果てていて使い物にはならない。鐘楼を支える柱に、落書きを彫りつけた馬鹿者がいたようで、その傷跡が痛々しい。馬鹿には価値どころか、ことの善し悪しが分からないのだ。

ここには弁天堂が作られていて、その奥には床几がしつらえられ30名ほどが座れる茶店になっている。ぼんやりと抹茶などを頂くのも良いということになった。抹茶600円。干菓子3個を食べながら抹茶を頂き、最近の話などをアレコレとするが、これも楽しい。やはり「舎利殿」を見たという満足感がそうさせるのかもしれない。 

4時近くなり、名月院には行けないので、このまま大船に行くことになった。ここで、同行者が一人一足先にお帰りになった。

※108の蘊蓄  1年360日の分け方はいくつかある。

  ① 30日ずつ12ヶ月に分ける    12

  ② 15日ずつ24節気に分ける    24

  ③  5日ずつを「候」と呼んで分ける 72   合計すると108

   24節気と候から「気候」という語が生まれた。

再び北鎌倉駅

 4時も少し過ぎたので、2次会に行くことになり、再び階段を下りて北鎌倉駅へ。横須賀線の踏切を渡って駅正面に向かうと、Nさんが「横須賀線は円覚寺の境内を走っているんだよね。確か自動車道の縁までが円覚寺の敷地のはずだ。」と相変わらず知識が豊富。大船までHaさんとHiさんは電車、残りは歩いて行くことになった。「雨は大丈夫かねえ?」そこで観天望気。「大丈夫そうだな」ということで、健脚?を生かして大船へ出発。大船までは線路に沿って2.3kmをみんなでテクテク歩くことになった。歩きながら取り留めもないことを話すのも楽しい。そういう時は疲れも少なく5時前には目的地「鳥恵」に到着して、Mさんが合流。

開会

7時半頃、成さん到着。いろいろとお話しが炸裂したのは、ストレス貯まっているからだろうか。みんなストレスはたまっているんだよね。そんなこと忘れて大騒ぎ。かくして、9時頃「鳥恵」お開き。今日は何となく雨が降らなくて良かった、と思っていたら10時過ぎには雨が降っていたが、まっいいか!

導師、本当に今日はありがとうございました。

皆さんのご健康とご発展をお祈り致します。合掌!


舎利殿のあとにやけ酒を飲んでいたら、お釈迦様に申し訳ない。きっとこの日に騒いだ連中は「不信心もの」と怒られて、地獄に落ちるかもしれない。そのときには導師の先生よろしくお願いします。

”ギャーテーギャーテーハラギャーテーハラソーギャーテーボージーソワカー”