ついに周口店へ行きます。北京原人です。シナントロプスペキネンシスです。
ホテルへ
バスに戻ると、物売りが5~6人来ている。絹のスカーフを20枚1000円でどうかといっている。誰も買わないと30枚1000円だといいはじめた。この人は一体いくらで仕入れているのだ。明らかにインチキものなのに、ここまで言い寄ってくる神経は何なのだろう。時刻は7時40分を過ぎ、外は闇になっているが、自転車、電動バイクは全くの無灯火で走っている。危険なことこの上ないが、みんなで折り合いを付けているのだろう。バスは7時45分出発。
宋さんが「皆さん、ご苦労様でした。明日は最後の日です。モーニングコールは7時、食事は6時30分、出発は8時40分です。荷物は全て持ってロビーに集合すること。部屋のカードキーはフロントに返すことを忘れないようにしてください。」そして、今日の足裏マッサージオプショナルツアーの希望者を届けて、バスは、8時10分にホテルに到着した。
再びカルフール
所持金を調べたら、49.5元だった。日本円で750円くらい。これを残しておいてもしょうがないので、ホテル近くのスーパーで使い切ることにした。
中の様子は一昨日と変わらず、臭いはきつい。生ものは買えないし、値段の高い物も買えない。結局、日本名の着いたお菓子各種を買うことにした。ポッキーやコロンなど5~6種類を選んで、無愛想なレジに持っていくと、なんと49.4元だという。おつりは1角(日本円で1.5円)素晴らしい。
今日は土曜日の夜なので、カルフールの前は一昨日以上に露天商と人が出て、ごった返している。ふと見ると、何故か地図を売っている商人がいる。国境がどのように表記されているのかを見ると、やはり台湾は中国領になっていた。1つの中国という考えはちゃんと浸透しているようだ。
何となく満足な気持ちでホテルに戻り、シャワーを浴びてから荷物の整理をして、御就寝。
モラル
その1.スーパーでよく使われるワゴン。日本ではワゴンとカゴは別々に置かれているのに対して、中国ではワゴンにカゴが固定されている。何故固定されているのか。おそらく別々にしてあったらカゴを持っていってしまう人が多いのだろう。ワゴンを使ったあと、それを放置したまま帰ってしまうことは既に指摘しておいた。
その2.夕方になると、ちょっと大きなバス停には、黄色の上着を着た人が必ず数人立っている。中国の人が順番を守ろうとしない話は有名だ。この人達は、バス停での混乱を避けるために、乗車整理をしている人達なのだ。
市内の幹線道路沿いのバス停には必ずいたから、北京市全体では相当な人数になるはずだ。
5月9日 日曜日
起床、食事
6時40分起床。ここ数日はたいへん良く歩いているので、体がだるい。昨日、万歩計を付けている人が「1万6000歩あるいた」と言っていたので、この3日間で25km位は歩いたのではないだろうか。グダグダ起きだし、着替えひげ剃りなどをしていたら、7時30分になったので、食事に行くことにした。食堂は既に第一陣がすませたのであろうが、まだ混んでいる。今回の同行者もぼちぼちやってきている。朝食バイキングの内容は昨日と同じ。
野菜やデンプン系が多く、畜産や酪農系の食品は少ない。また食品を“新鮮”という概念でとらえることは難しいと昨日のカルフールでも実感させられた。だから、どうしても料理には火を通すことが必要になるのだろう。ハム・ソーセージは味がしっかりせず、タマゴは全て堅茹でで、牛乳も味がいまいちだ。近年日本を訪問する中国人が、日本食品の“新鮮”な味に目覚めたためか、そのような方向の料理の消費が増えているという。ただ中国全体ではそれはごくごく一部であって、基本は料理には火を通す。
食材の産地を見ると、ウリは“ハミ”、パイナップルは“華南”などと表示され、地元産のものはチンゲンサイ、キュウリ、トマトなどではないだろうか。
こんなことを考えながら、食事を終了。
部屋に戻って、全ての荷物をしっかりパックしてからロビーに集合。
8時40分、ホテル出発。
出発
今日は4日目なので、バスの座席は再び前方に座ることにした。今日の最大見学地は、周口店。中学生時代に「30万年前、初期の人類、シナントロプス・ペキネンシス(北京原人)が中国の周口店にいて、火を使っていた。」ということを習った。ピテカン・・・やシナントロプス・・・いう言葉を覚えることが何か大人の勉強をし始めた感覚になったものだ。又、周口店というのはどんなお店なんだろうと子供心に思ったが、今日はその周口店を見ることが出来るのだ。もちろんお店ではない。宋さんが「皆さん、ザオシャンハオ、おはようございます。今日は周口店へ行きますが、バスで1時間20分ほどかかります。」ホテルから見て南西に50kmほどの移動になる。
宋さんは「中国には新彊ウイグルなどの民族問題があります。いろいろな政治上の困難はありますが、これらは政治家が困難を1つ1つ解決していくものです。新たな問題が出来たら、又それを解決していくのが政治家の仕事です。」と政治のあり方を弁証法的に解説している。「経済では、鄧小平が改革開放政策を始め、まず誰かがどんどん儲けてお金持ちになれば、周りの人もだんだん豊かになる、といいました。今の中国はその途中です。」と政治経済を解説していた。
車窓にて
9時頃、日中戦争の引き金になった「蘆溝橋」付近を通過した。出来たらここも見てみたいが、橋は目的地になっていないので通過。
高速道路の左右には、幅20mくらいのポプラ並木がずっと整備されている。バスは、ホテルから30分ほど走ったが、そのポプラ並木の向こう側には、まだ新築の家が続いている。住宅需要が大きいのだ。高速道路の整備は思った以上に進んでいて、昔のイメージは全くない。料金徴収にもETCが導入されている。
途中いく筋もの川を渡るが、川幅は100mから200m位。しかし、水が流れていない。一昨日、八達嶺に行った時もそうだったが、北京周辺の川には水が流れていなかった。北京周辺の水不足は相当深刻なものがあるようだ。でも、所々に見られる小麦畑は、濃い緑で覆われホッとさせられる。ただ、1枚1枚の畑の面積はそれほど広くない。そういえば、北京市内を夕方走っていると、街路樹の一本一本とその周辺が水浸しになるくらい大量の水をかけてる人がいる。道路沿いにはそれを可能にする水道管とホースなどが設置されている。放っておくと街路樹が枯れてしまうほど北京は乾燥しているようだ。
周口店
9時55分、周口店に到着。博物館入口の看板の文字は、ここも“郭沫若先生”のものだった。この先生は現代中国の最大といって良いくらいに尊敬されている先生だということが分かる。しかし文化大革命では激しく批判・否定されたのだから、中国という国は分からない。はたして、日本人でこの先生の名前を知っている人がどの位いるだろうか。
10時からビデオで周口店の概略説明を受け、博物館内の化石などを見学する。鳥、サイ、ヘラジカ、象、人骨(特に歯)などの化石が多く発見されているようだが、もちろん全てレプリカ展示になっていて残念だ。やはり本物が見たい。歯の減り方などから、原人の食料のほとんどは植物だったようで、化石のような動物はご馳走だったのだろう。
次は発掘場所の見学。周口店には30万年前に北京原人が住んでいたが、その後も人類が住み続け、何層にも重なった地層が堆積している。現在は、山頂同人と呼ばれる比較的新しい人類の遺跡を発掘中だった。そこから山腹の洞窟へ下りていき、北京原人の頭骨発見場所を見た。そこは深さ15m位の石灰岩の割れ目で、アルカリ性のため多くの化石が保存されてきた様子が分かる。まさしく教科書の写真や文章通りだが、実際に見るとそれは又違った感じになる。
北京原人の頭骨の第一発見場所はただの崖で、一枚のプレートが付けられているだけだが、学問的な真実の重みを感じてしまう。最初に発見されたその頭骨は1941年に行方不明になってしまったが、その後の発掘でも不完全ながら人骨が見つかっている。今後の発掘で完全な人骨が見つかることを祈りたい。11時05分出発。
北京とパンダ
帰路、宋さんが「皆さん、お疲れ様でした。皆さんは北京にいらっしゃいましたが、北京は中国語ではありません。ベイジンといいますが、スウェーデン人がペキンと紹介してしまったのです。また、パンダは、フランス人がそのように発音してしまったのです。だから、パンダはフランス語です。」と蘊蓄話を紹介している。気温が上がるにつれ、ポプラの綿毛がまた飛び始めた。
バスは再び北京に向けて高速道路を90kmでとばしている。
アルバム販売
車内ではアシスタントの“牛さん”がこの旅行の間に勝手に取った写真を売り始めた。各グループごとに取りだめた写真を、ファイルにして売りつけるのだ。1枚800円で、必要なものだけを買ってくれればよいと言う。いらないから全て返したらとまどったような、いやな顔をしている。なるほど、こういう商売もあるのだ。偽物ビトンを売りつけるのとそんなに変わりはしない。日本人の好意につけ込んでくるようなこのような商売には良い気持ちがしない。
今度の旅行は、写真を買いに来たのではないのだから。
中国人と宗教
12時頃、市内に戻ってきた。皆さん疲れているので、うたた寝状態だ。
宋さんに、中国人のお葬式について質問したが時間がなくて返事がもらえていなかったが、ここで宗教観を話してくれた。「中国には、儒教があります。儒教は人生の道徳を示し、仁の心が最も大切です。目的はその人が“君子”という、立派な人になることです。道教があります。道教は永遠の生き方、長寿を目的としています。ですから仙人になることが目的です。そこで陰陽説や風水が使われるのです。仏教もあります。これは来世の生き方を求めるものです。このように理解をして毎日暮らしているのです。でもどれをとっても、勧善懲悪の考えは共通しているのです。」でもこれはお葬式の話ではない。
随縁芸木館
12時45分、最後の訪問場所の「随縁芸木館」という工芸品店に着いた。
このあたりに来ると、疲れてしまって今北京のどこにいるのかが分からなくなってしまった。とにかくこのような高級品販売店でものを買う気持ちなどさらさら無いのだから、記憶に残そうとしないのだ。もうどうでも良い。
3~5万円くらいの翡翠のネックレスなどを購入した人もいたみたいだが・・・。
1時40分、出発。空港出発までの時間調整で立ち寄ったのか、この業者との契約で立ち寄ったのか、とにかく全体的には“お金を使わせる”というコンセプトでこの旅行が成り立っているように思えて仕方がない。これは邪推だろうか。
北京国際飛行場
2時10分空港到着。搭乗券をもらったあとは、宋さん達とはここでお別れ。
シャトルで、出発ロビーに移動して搭乗手続きを行う。①搭乗券チェック、②イミグレーションでパスポートチェック、③ボディーチェック、ところが体がピーピーと引っかかった。「???」なんだか分からないが、台に立たされて全身を金属探知器で調べられるが何もない。3時に通過。
搭乗口で待ちながらトイレをすませたり、パンを食べたりしてぼんやりと座っていると、4時頃搭乗開始になった。帰りは全日空NH1286便で機体はB767-300、座席は37FG。この席より後側は今回の同行者ばかりだ。
離陸 帰宅
4時55分に滑走開始し離陸。時計を1時間進め日本時間に直した。だから40分ほど経過した6時40分に飲物が配られた。全日空なのでアサヒスーパードライをお願い。7時10分に機内食が配られる。
①ご飯、②牛肉の炒め物、③茶そば、④魚のサラダ、⑤マカロニサラダ、⑥ハム1枚、⑦大根の切り干し煮。美味しい。
飛行機は高度11277mを時速1000kmで飛行している。行きは時速600kmだったから、その差が大きい。
8時35分、予定より早く羽田着陸。ほぼ2時間半で着いたことになる。
再び、タラップを下りてシャトルバスで到着ロビーに戻り、さっさと羽田空港をあとにした。京浜急行で9時13分発の高砂行き、京急蒲田で9時23分発の久里浜行きに乗り、家に着いたのは10時50分。
つい数時間前まで、この体が中国にいたとは信じられず、日本のお風呂にゆったりと浸かっていつもの布団に潜り込んだのは12時近くなった。
問題は、その翌日以後。全身が言いようのない疲労感に襲われ、これが数日間続いている。
短い間でしたが、中国の一端を見ることができました。全体の感想としては、中国は日々変化を続けているということです。ですから、今日の中国と明日の中国は違うのです。良い方にも変化しているでしょうが悪い方にも変化をしています。でも、長い時間で見ていくとそれなりに落ち着いていくことでしょう。日本人はどうしても焦ってみてしまいますから、数年後にまた北京を見てみたいと思います。北京の旅日記はこれで終了です。次は何にしましょうか。