前回は北京に到着してすぐに頤和園を観光し、中国近代史の一部にふれ圧倒されました。

アヘン戦争に負けた原因の一部が頤和園にあったというのを知ることができたのでも大収穫でした。



夕食 便宜坊

6時13分にやっとレストランに着いた。お店の名前は「便宜坊」。道の反対側は長い塀になっていて、そこはあさって訪問する世界遺産の「天壇公園」で面積は650万平方mということだった。

レストランは、10人テーブルで自由着席だった。ビールは有料だが、お茶は無料で飲み放題。さすが中国はお茶の国だ。

頼んだビールは「燕京啤」30元、600ml、3.6度、緑の瓶。ちなみに中国のビールはほとんど緑色の瓶に入っている。味はそんなにクセがないし、日本のビールのようにベトッとした感じもないので飲みやすい。ビール名の“燕京”とは北京の昔の名前である。

「便宜坊」は宮廷料理というふれこみだったが、テーブルに並んだものを見て、昔の宮中はこの程度のものを食べていたんだというのが率直な感想だった。

メニューは、

①鶏肉の甘酢あんかけ、②野菜(キュウリ、ピーマンなど)のピリ辛炒め、

③ナメコの炒め、 ④菜の花の炒め物、 ⑤スープ、 ⑥チャーハン、

⑦豚バラ肉のスライス煮、 ⑧春巻き、 ⑨キャベツの油炒め(塩味)、

⑩干しシイタケのニンニク風味炒め、 ⑪豚細切りと豆腐のあんかけ、

⑫ピーマンのあんかけなどで、12品が次々に並べられた。

これで終わりかな。デザートがないな。と思っていたら、次に⑬白ごまパンの牛肉そぼろはさみと⑭オレンジが出てきて、合計14品になった。もちろん生ものはない。

全体のイメージとしては、肉が少なく野菜が多い食事だったので、健康には良いのかもしれない。量的には余る位で満足だが、この時同席の10名は朗らかな方ばかりで食欲旺盛。各皿の残りを余す所なく処理して完食。

中国的

食事が終わってからトイレに行くと、便器のボルトがさびている。宮廷料理を出す店だろうに。女子用の方では、ドアはあるが開けっ放しで用を足している人がいるという。おまけに便器の向きは前向きなので、こちらを向いているらしい。これは文化の違いなのかもしれないが、日本人にはどうしても理解が出来ない。6時55分出発ということでレストランを出るとこれぞ中国。「ビトン!ビトン!」「ロレックス!ロレックス!」と偽物売りがまとわりついてくる。中国に来たんだなあという気がしてきた。良くもまあ恥も外聞もなく売りに来るものだ。

帰りのバスで、宋さんが明日の予定などを話す。「皆さん、ご苦労様です。(これが宋さんの決まり文句)明日のモーニングコールは6時20分、朝食は6時30分からで4階の食堂です。出発の集合は7時30分です。朝食に行く時は、ルームのカードキーを見せれば大丈夫になっています。又、各部屋にはお水が2本置いてありますが、決して水道水をそのまま飲まないで下さい。一度沸かせば大丈夫ですが。」

ホテルへの帰りに、今日のオプショナルツアー「北京雑技団公演」(北京市工人倶楽部)の参加者を降ろしてホテルへ直行。20分位でホテルに着くはずだったが相変わらずの渋滞で、1時間もかかって8時頃にやっと到着。このまま部屋にはいるのももったいないので、近くにあるスーパーマーケットに行くことにした。ホテルの傍からは歩道橋があったので安心して道を渡ることが出来たが、そこへ至る数十mを進むにも、慎重注意の連続だ。

スーパーマーケット・家東福(カルフール)

 このマーケットを点描しよう。名前から分かるようにフランス系のマーケットだ。ビルの1階と地下が販売フロアーになっている。1階は日用雑貨、電気製品、衣服、鍋、ティッシュ、自転車、CDなどで、地下には食料品、化粧品、洗剤などが売られている。ところが、地下へ行くのが難しい。1階の売り場に入って10m進む、左折して一番奥まで30m進む、さらに右折して一番奥まで10m進むとそこに、ひっそりと地下へ下りる動くスロープがあるのだ。下りる途中からなんとも言えない臭いがしてきた。下りたところに肉売り場があるがそこの臭いのようだ。そこでは生肉を室温状態の売り場にそのまま陳列して売っている。隣の鮮魚?売り場も同じで魚の皮が乾燥している。どうも臭いはこれら肉や魚から発生しているようだが、中国の人は気にならないのだろうか。

肉売り場の店員は、客の注文があると大きめの中華包丁で、ブロイラーをバンバンと叩き切っている。解体しているのではない。

魚売り場には、太刀魚、イシモチ、イカ、エビ、ボラ、名前不明の淡水魚だけが並んでいる。およそ、日本では保健所がとんでくるような代物ばかりだ。蛙の肉や小さなカレイの冷凍物も置かれている。

その隣にはお茶売り場、その奥は野菜と果物売り場だがこれも「大丈夫かなあ」という代物だ。乳製品の売り場を見たが、乳酸飲料の割には、白牛乳の面積が狭くそれを買っている人はほとんどいない。メラニンの影響か?

ヤクルトを売っていたので購入。レジへ進むと、そこのテーブル、計算機、ワゴン、カゴ、床、天井と全てが薄汚れている。営業取り消しにしたいくらいだ。レジでの品物の扱いも雑で、もちろん笑顔はない。「お客様、ありがとうございます」なんて姿勢はまるでない。「売ってやる」といった調子だ。

レジを出たところに珍しくテイクアウトの寿司屋があった。三文魚、烟薫三文魚、豆皮、金棆魚等の握りを売っていた。それが何であるかはこの項の最後に答えを乗せておこう。

一緒にこのスーパーを訪れたご夫婦と共同で水を買ったが、何とペットボトル500cc1本が「9円」。それに対して、ホテルの部屋では「540円」だったので比較のしようがない。とにかくスーパーを出た。そこにも中国人のモラルをかいま見た。客は自分が使った買い物ワゴンやカゴはそのあたりに放置して帰ってしまうのだ。もちろんカゴは持って行かれないようにワゴンにボルトで固定されている。

又、スーパーの前の空き地や歩道、歩道橋の上には20近くの露店がでて「こんなの大丈夫かな」といったようなものを売っている。もちろんバッタ物だろうが、それを堂々と売るというバイタリティーに感心するばかりだ。(サーモン、スモークサーモン、稲荷、マグロ)
8時52分、部屋に戻りシャワーを浴び、荷物の整理をして就寝。
今日は長い1日だった。

5月7日 金曜日

出発

 5時40分、起床。外は朝靄がかかっている。靄が消えたら暑くなりそうだ。部屋は静かだしベッドは寝やすかったので、昨夜はやや眠れた。公称五つ星ホテルというだけのことはある。(そうとは思えないが)

朝の準備をし、モーニングコールを聞いてから4階の食堂へ移動した。ホテルの朝食は、世界のどこでもバイキング式になっているが、貧乏人の性で高そうなものを大量に食べようとしてしまう。ところがこのホテルは、でんぷん系と野菜系がほとんどで高そうなものはない。良く言えば健康的だ。ハムやタマゴ、牛乳などの品揃えが少ないのだ。

7時22分ロビー集合、30分出発。昨日は最前列の座席に座ったので、今日は真ん中の席に座ることにした。やはりこういう旅行は適当に位置を交代するのが暗黙の礼儀ということになっている。宋さんによれば、今日の日程は、翡翠店、明の十三陵、万里の長城、列車乗車を行うという。

宋さんによる鉄道の話。北から入ってくる鉄道は北京が終着駅で南へは連絡していない。特に北京北站は最近作られた新幹線が入る。中国の鉄道全線は9万kmあるが、人口一人当たりにしてみると70cmにしかならない。それだけ人口が多い国なのだ。さて北京1800万人の暮らしだが、生きることだけを考えれば生きていける。しかし、高価な物もたくさんある。その中で家があればさらに良い生活になるが、マンションは1戸あたり数千万円するという。

翡翠店「明翠珠宝」

そんな話をしているうちに7時47分に、オリンピックの陸上競技場「鳥の巣」近くの中華民族園の南にある翡翠店「明翠珠宝」についた。

こういう旅行には、工芸品店などが必ず組み込まれているが見ていると必ず購入する人がいる。さてこの店の外見は薄汚れた感じで目立たない。入口では2人の店員が笑顔もなく割引券を配っていたが、ほとんど物置状態だ。さらに中へ進むと、そこにはきれいに整備された明るく近代的なショッピングケースがずらりと並んでいる。もう少しトータルでデコレーションをすればいいのにと老爺心が湧いてくる。また、店員は所々で腕組みをして突っ立っているのは、この店が国家管理で店員は国家公務員だからかもしれない。だから入口が汚かったし店員が無愛想だったのだろう。お客が来ているのに、モップで掃除をしている人もいるし・・・。【宝石は人間の夢なんだよ。マネージャー出てこい。】

8時15分になったら、次の日本人の一団がやってきた。どうも日本人はカモにされているのじゃないだろうか。

さて販売だ。最初、説明員が流暢な日本語で翡翠のなんたるかや見分け方などを話して、女性のお客の気持ちを高ぶらせる。もちろん男性客は相手にしていない。そこで、店内を見わたしてみると30~40人くらいの店員が手ぐすねを引いて待っている。陳列してある品物を見学すると、40万~50万元の工芸品が飾られている。もちろんこれらは見せ物であって、翡翠は高価な物だという印象を与える作戦なのだろう。そのあと、指輪やネックレスなどのショーケースを見ると、2000~5000元の物が安く見えてしまう。

だから、女性の皆さんはショーケースから離れないのにたいして、男性はブラブラ歩くか、そのあたりのイスに座って「どうでもいいや」といった顔をしている。

翡翠の蘊蓄

翡翠は古今東西で不思議な力を持つ宝石として珍重されてきた。日本では曲玉に使われ、中国では特に最高の宝石として扱われてきた。皇帝の死体を翡翠の小片を金糸、銀糸でつなぎ合わせた「金(銀)婁玉衣」で包んで葬ってもいた。翡翠の元々の意味は「カワセミ」でその色合いから付けられたらしく、漢字を見ると羽という字が入っていることからも分かる。中国での産地は新彊ウイグル地方のホータンであるが、そこでは軟玉という質の劣る物しか取れない。軟玉は世界では宝石とはされていないが、中国では白く透明感のある軟玉を最高のものとして珍重している。中国で売られている硬玉という翡翠は全て輸入品で、ミャンマーあたりからの物らしい。硬玉のうち高品質で竹のような緑色をしたものを琅玕(ろうかん)といい、西太后が熱狂的なファンだった。一般的な工芸品店で売られている物は、軟玉や模造品がほとんどで、翡翠といって良いかどうか分からない物ばかりらしい。


次は、明の十三陵と万里の長城(八達嶺)へ行きます。