いよいよ北京周辺の観光が始まります。数えてみますと、この北京旅行は原稿用紙で100枚くらいのものになっています。

すでにその1を書きましたが、最終的には、その8くらいまで続きます。長丁場になってすみませんが、じっくり読んでください。そして間違いなどがあったらご指摘ください。待っています。


空港出発

 2時10分、バス発車。ドライバーは「楊さん」、添乗員は「宋さん」、アルバイトの「牛さん」の3人体制でこれからの旅行が進んでいく。

バスは、飛行場を出発したあと高速道路で北京中心部に向かい、途中4環路(環状4号線)を右折して北京市北西部にある「頤和園」を訪問することになった。予定では北京原人の「周口店」へ行くはずであったが、入場時間の関係で「頤和園」訪問に変更になったのだ。

道路は、片側3~4車線であるが、発展途上国の例に漏れず近郊鉄道や地下鉄といった公共交通機関が未発達のためどうしても自家用車の利用が多く大渋滞になっている。

北京の交通事情 その1

 オリンピックの前、北京の大気汚染は最悪だった。「こんな空気のところでは走れない。」とエチオピアのゲブレシラシエ選手はマラソンを棄権したくらいなのだから。

これに対して、北京政府はいくつかの交通対策を立てた。①北京市街地へのトラック乗り入れ禁止②北京市民のバイク免許取得禁止だ。でも時々バイクが走っているのはどういうことだろうか。そのせいか、北京中心に近づくと、確かにトラックとバイクを全くといって良いほど見ることがなかった。昔からの名物「自転車」はその割には少ない。面白いのは、電動バイクだ。自転車や原付バイクのエンジンを電気モーターに代えた物だ。ヘルメットはかぶっていない。価格はだいたい2000元(日本円で3万円)くらいで、北京市民には結構高いと思うのだが、これがたくさん走っている。それだけ北京市民の経済力が高くなったことを示しているのだろう。

北京市民が欲しい物はマンションと自家用車だという。家のない男には娘を嫁がせないという親もいるのだという。どうも、マンションと自動車が市民のステータスシンボルになっているようだ。だから、ローンを借りてもその2つを手に入れようと涙ぐましい努力をしている。それが現在の中国経済の原動力になっているのかもしれない。ところが、このような急激な変化は誰も予想していなかったのだ。もちろん北京政府も。北京政府はまず市民の住居を確保すべく多くのマンションを建てたのだが、駐車場という概念はなかったのだ。そこへこのモータリゼーションが来たので、人々は駐車場が確保出来ない。必然的に路上駐車(もちろん駐車違反)をせざるを得ない。どこを見ても駐車違反の連続だ。当然警察は取り締まりを行うが、その警察官も家に帰れば路上駐車を行っているので、なにをか況やということになっているという。

北京には環状道路が5つある。2環路(30km)、3環路(43km)などと整備をしているが、車の増加がそれを上回っているので駐車違反と渋滞というダブルパンチが生まれている。地下鉄は総延長240kmあるが、人々はマンションと自家用車がステータスなので地下鉄利用者はそれができない貧乏な人という烙印を押されることになる。結果として、この渋滞はなくならない。

頤和園

 2時49分、「頤和園」に到着した。ここにも観光バスの駐車場はない。文昌院入口前でバスを降りて東宮門へ歩いていく。そこには物売りが、焼き芋、栗、パイナップル、ココヤシ、肉の串焼き、水、リンゴ、ソーセージなどを並べていたが、そのバイタリティーはどこから来るのだろう。それらをジグザグによけながら東宮門から園に入るが、何しろこの頤和園は面積270万平方mというから、この旅行ではそのほんの一部しか見学出来ない。

頤和園の始まりは、1153年頃からであるようだが、その後、歴代の皇帝が建造・破壊・再建・増築を行って利用し、1884年から95年にかけて「西太后」の隠居所として作られたことで有名になった。当時国家財政は逼迫していたが、光緒帝の命令により清国海軍予算をこちらに流用することにより完成したという。そのため清国の海軍は弱体化し、結果として日本は日清戦争に勝利出来たといわれている。

東宮門に続いて仁寿門を入ると孔雀の翼を模した松と麒麟の像がおかれた庭園があり、他にも松などの樹木と無錫あたりで取れた石灰の自然石で飾られている。ちなみに無錫は北京の南方1000kmの町だ。庭園の奥に「仁寿殿」があり、ここは、かの有名な「西太后」が陰で政治を行い、政府高官を謁見していた場所であるという。元々は別の名前だったが、西太后が長寿を願って「仁寿殿」と改名したようだ。さて、「仁寿殿」を過ぎるとそこは「徳和殿」。ここでは、京劇が大好きだった西太后がわざわざ1891年に「徳和殿」を作らせて鑑賞したようだ。西太后は飲食をしながら劇を鑑賞したので、その後京劇を鑑賞する時は飲食がOKになったのだという。「徳和殿」を過ぎると次には「楽寿堂」がある。「楽寿堂」は昆明湖に面して建ち、西太后が毎年4月から9月半ばにかけて居住した生活の場であった。西太后は「人生は短いが、楽しく、できたら長寿をしたい」という考えを持ち、贅沢の極みをしたようだ。そのため、遙か彼方から大石を運ばせて庭を造り、ここに滞在中は料理人を500人連れてきて、毎日1食あたり150種の料理を作らせ、それらを見て楽しんだという。もちろん大量の料理が余るが、それらはそこに居並ぶ大臣・百官に分け与えたらしい。無駄なことのようだが、ある意味、政治的には1つの社交場になっていたということである。西太后の生活について、お風呂の話があった。西太后は8人の湯女にお風呂に入れてもらっていた。上半身を4人が担当し、下半身を別の4人が担当したという。下半身の不浄の部分を洗う湯女が上半身を洗うことが許せなかったらしい。又、健康長寿を維持するために、子供を産んだ若い女性の母乳を手に入れて毎日飲んでいたようだ。

「頤和園」に立ち並ぶ建築物は、最初、屋根を「瑠璃瓦」で葺いてあったが、時代と共に衰え、現在は黒瓦になっていた。建物の柱は中国式で赤く塗られているが壁などは黄色が多く使用されている。中国では色に大きな意味があり、紫は天の色、黄色は皇帝の色になっているのだ。これは陰陽五行説の中央に位置する「木火土金水」の土が、華北平原に広く分布する「黄土」を意味していることに由来するのだ。

昆明湖は深さ5~6mの人造湖で、その土を担ぎ上げて高さ数十mの万寿山を作り上げた。これにより、北に山を背負い南に水を配置するという、風水的にとても良い配置になっている。西太后はこの昆明湖の沿岸を散歩することが好きだったが、雨に濡れるのをいやがったため沿岸に沿って長い廊下が造られた。これが「長廊」でその長さは728mもあり、8000枚の絵が飾られている。いかにしてもスケールが大きすぎる。西太后は、時々昆明湖に船を浮かべて遊覧もしたようだ。昆明湖周辺での料理に「鯉のカラ揚げあんかけ」が有名だそうだが、今回の旅行では一度もそれがでたことはない。日本の中華料理の宴会での最後に、「鯉のカラ揚げあんかけ」が出るのは、この西太后にちなんでいるのかなと思ったりもした。3時57分、見学終了。

所変われば

東宮門から出て文昌院入り口のバスへ歩いて戻っていくと、先ほどの物売りが1人もいない。不思議に思って見回すと、「1人の警察官」がジッとその通りをにらんでいるのだ。100m近く歩いてから振り返ると警察官の姿が物陰に消えていた。すると物売りが又ぞろぞろと現れてきた。まさに「上に政策有れば下に対策あり」を地でいっている様子であった。

4時10分、ホテルに向けてバスは出発。ところが、バスの中で添乗員の宋さんが「皆さん、ご苦労様です。中国ではホテルにチェックインする時にパスポートの提示が必要なのです。私の方で集めて、フロントで一括して手続きをいたしますので、一時的に預けて下さい。」ということで、パスポートを預けることになった。所変わればだ。もっとも中国人でも国内に都市戸籍と農村戸籍があるのだから外国人はなおさらかもしれない。

日航新世紀飯店

3時32分にホテル到着。

今回の旅行のホテルは「日航新世紀飯店(Hotel Nikko New Century Hotel)」に3連泊。

宋さんから「皆さん、ご苦労様です。私の電話番号は013501232884です。何かありましたらこちらにお願いします。お部屋に荷物を置きましたら、お食事に行きますので、5時5分にこのロビーに御集合下さい。」と連絡があり、部屋のカギをもらって解散。

我らの部屋は、1818号室。「これはイヤイヤと読めるなあ」といったら「何でそんなこというの。良いわ良いわと読めばいいのよ」などと話しながら、部屋へ。部屋を見回してからすぐにロビーへ降りるともう皆さんがきている。今回の皆さんは時間に正確だ。

交通事情その2

道すがら、北京の市街路を垣間見ることができた。トロリーバスが走っているのが懐かしい。自転車は多い感じがするが、ずいぶん少なくなったようで昔の数分の1だそうだ。バイクは走っていない。公衆電話がとても多い。その形が独特なのでとてもめだつ。最大の驚きは、話には聞いていたが交差点での交通マナーだ。これは、基本的に右折車は信号に関係なく交差点を通過できるというルールがあることも関係しているのかと思ったら、そうではないようだ。

中国の人たちは、法律・規則を守る気持ちはあるようだが、問題はそれらの法律・規則の解釈にあるようだ。例えば、信号は自動車がスムーズに流れること、交通事故を防ぐことが目的だ。だったら自動車の流れを邪魔しないで、事故に遭わなければ、交差点が赤信号でも渡って良いということになる。一事が万事でこの考え方が社会に蔓延しているのだ。その結果、接触事故は頻発するし、クラクションは良く鳴るし、ヒヤッとさせられる運転の連続になる。5時にホテルを出発して夕食のレストランへ移動。ところが、道は夕方のラッシュ時のため大渋滞だ。幹線道路の片側4車線に側道2車線の6車線だが、脇道からの割り込みも次々にあるので、バスは徒歩状態になってしまった。宋さんは「いつも道路は駐車場です。」と自嘲気味に冗談を言っている。

6時になったが、バスはまだダラダラと走っている。その幅広い道路でも、歩行者は赤信号を無視して道路を渡っている。


中国の第1日目から驚かされることの連続です。と言うことはこの後どういうことになるのでしょう。

きっと、この状況に慣れてしまう自分になってしまうのではないかと思うと日本に帰ってからが恐ろしい。