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フルカワJAZZ道場

お気に入りの1枚を探すために

映画のBGMにジャズを使う監督は多いです。
しかし、ここまで凝るかというものも中にはあるのです。
今回はそんな「JAZZに魅入られた監督」の一人を紹介します。

カンザス・シティ

なんとも「キテレツな犯罪映画」です。
1934年の不況時代、禁酒法時代のカンザスシティの裏社会を描いているので、登場する主な人物は悪人ばかり。しかも一人を除いてほぼ日本ではなじみのない俳優たちでキャスティングされているので、華やかさはなく一見地味な映画です。
有名なロバート・アルトマン監督の映画ということ抜きにしても、知名度は低いに違いありません。だが決して詰まらない映画ではなく、その混沌とした時代の再現性はみごとです。
キャスト
ブロンディ=ジェニファー・ジェイソン・リー
ジョニー=ダーモット・マローニー
セルダム・シーン=ハリー・ベラフォンテ
キャロリン=ミランダ・リチャードソン
他ジャズ・ミュージシャン多数
ストーリー
白人の青年ジョニーは、黒人のギャングのボスのセルダムの経営する裏カジノの客の金を狙って、送迎役の運転手と共謀し、黒人に化けて現金強奪を実行する。うまくいったかに思えたが、運転手が白状したために、ギャングの手下たちに拉致されてしまう。
その妻のブロンディは、彼を助けるために,ある計画を実行する。大統領顧問の妻キャロリンを誘拐し、大統領顧問の力を使って、黒人のボスからジョニーを助けるようにと脅迫をするのだった。
はたしてこの計画はうまくいくのか?
見どころ
黒人のギャングのボスのセルダム、ギャングの上前をはねる無職の男ジョニー、その妻で誘拐犯のブロンディ、大統領顧問の妻ながら薬物依存症ののキャロリン、その夫の大統領顧問が妻の救出を頼む政治家も選挙で不正当選をを企んでいたりと、ろくな人間は出てきません。
特にそれぞれの人物の性格の掘り下げはせずに、まるでドキュメンタリーか犯罪の再現ドラマのように淡々と話は進んでいきます。
主役らしいブロンディにしても、一切ニコリとすることもなく、変な髪形、誰にでも悪態をつき、感情移入のしづらい女性でなのですが、唯一会話のなかで彼女が当時人気のあった映画女優に似ているといわれて、金髪にしたいと思っていること(そこで変な髪形が脱色の失敗か、途中であることがわかるしくみになっている)、「グランドホテル」という映画がお気に入りであることなどがわかるだけなのでした。せっかく饒舌になっているのに、相手の誘拐されたキャロリンはラリッていて全然聞いてなかったりします。
一方、拉致されたジョニーのはというと、ボスのセルダムに向かって逆に「俺(白人)を殺したらどうなるのかわかっているのか」とすごむ始末。根強い人種差別をのぞかせるシーンとなっています。
黒人のギャングのボスに歌手で日本でも有名なハリー・ベラフォンテが扮していて、なかなか堂々とした貫禄でした。

面白いのは、誘拐したからといって、人里はなれた場所に隠れるのではなく、自分の勤める会社に連れて行って部屋に閉じ込めたり、大胆なことです。職場の同僚にも「薬物中毒だから変な事を言ってもまにうけないで」と言われて、周りが納得してしまうところが面白いところ。
同時間軸で複数の場所でドラマが展開するが、最後に一つになる。この映画は典型的な「グランド・ホテル形式」(映画グランド・ホテルから)の映画だ。(最近の邦画では三谷幸喜が得意としています。)シリアスな犯罪映画のはずが、曲者ばかりのブラックジョークあふれる映画だと気づくともうこの映画の中毒になっている自分を発見するでした。
JAZZ的見どころ
と、ここまで書いてこれらが今回さしたることではないと言うのは心もとないのですが、本当はアルトマン監督の興味は他のところにあるのではないかと思えてしまうふしがあります。
映画の中で1934年ギャングのボスのセルダムが経営するクラブでは毎夜熱いジャズのセッションが繰り広げられていた設定になっています。
客魅了するジャズ・バトルの数々。
監督は当時カンザス・シティ・ジャズの光景や熱狂まで再現しようとしています。
映画のキャストが無名なのとは逆に、そのシーンに出演したジャズ・ミュージシャンのきらびやかなこと。90年代を代表する新進気鋭の面々が網羅されているのだ。名前を上げるだけでもその快挙がわかると思います。
ジョシュア・レッドマン(ts)、ジェームズ・カーター(ts)、デビッド・マレイ(ts)、ジュリ・アレン(p)、サイラス・チェスナット(p)、クリスチャン・マクブライド(b)、ニコラス・ペイトン(tp)そして、御大のロン・カーター(b)。
それらの一流プレヤーが、ジャズ・ジャイアンツのレスター・ヤング、コールマン・ホーキンス、ベン・ウェブスター、カウント・ベイシーを演じるのだから、少しでもジャズを知っている者ならたまらないでしょう。

ぜいたくな顔ふれである。ただその時代を再現しましたというのにはとどまりません。そんなところに本当は映画の方が付録で、アルトマン監督が趣味を超えて、ギャング映画という形を借りながら、このセッションをどうしても実現させたかっただけなのではないかという気さえしてきます。
実はジャズ・ファンとしての究極の夢がこの映画に隠されているのです。

このDVDはたまたま店頭で見つけたものですが、ベストに取り上げているメディアはないようなので、なんとも惜しいことです。
映画雑誌からも、音楽雑誌からも見放されていて、もっと注目されてもいいように思います。