<悪太郎と長老>吉田兼好児の土佐日記シリーズより  愛猫は何でも知っていた

Ella Fitzgerald - These Foolish Things (Remind Me of You)

https://www.youtube.com/watch?v=mshV7ug8cdE

平成18年の初秋、長老は心優しいハチキンに看取られて幸せ顔に満面の笑みで天国に旅立った。長老は認知症にも寝たきりにもならず、狭心症の持病があり晩年にはすこし病院通いをしたものの、とくに医者の世話になったと云う記憶もない。悪太郎はこの長老にしっかり秘密を握られており、まったく頭が上らなかった。初秋の涼風時には、天国からは手が届かない長老の遺品である悪太郎行状日記を取り出して捲り読みする。にやにやしたり・阿呆面に冷汗したり、時折顔を赤らめたりしながら熱いコーヒーを飲み、好きなジャズを聴く。長老の名はベニー、愛猫である。雌であったが、悪太郎の大好きなジャズクラリネット奏者ベニーグッドマンから名前を頂き命名した。平成3年に、ニューヨークに渡った女性ジャズピアニスト邸から、どういう理由か定かでないが、当時独り者だった悪太郎のもとに引き取られてきた。ジャズが好きだったベニーは、スイングジャズを聴きながら、ハッピーバチュラー悪太郎のシリーラブストリーを、きしむベッドの脇でいつも黙って呆れかえって、垣間見ていた。ベニ―は東京のジャズ仲間やガールフレンドに本当によく可愛がられたが、悪太郎は外国出張で家を空けることが多く、そのため見ず知らずの家に居候をさせられたり、息子の狭い部屋に住まわされたりで、ベニ―は悪太郎をかなり恨んでいた様である。平成14年夏、ベニーはそれまで住み慣れた大都市東京を後に、羽田空港から飛行機に乗せられ片道切符を背に張られ南国土佐に向う。羽田を発って約1時間半、生れて初めて眺める眩しい太陽の海・土佐湾、波飛沫飛び散る海岸縁に長く真っ直ぐに延びる滑走路・ヒ―ロ―坂本龍馬の立て看板、土佐と云う異国の地を踏んだ。東京弁に慣れ親しんだベニ―にとっては、此処は土佐弁、流石にこれには戸惑った様子だった。夢天候型の悪太郎はどんな異国の環境でも異常な速さで順応できるが愛猫ベニ―も飼い主に似て、言葉以外は、そりゃにゃんぜよ・にゃんぜよ、と悪太郎に訊きながら異国の土佐の地にさほど時間は掛からず馴染んだ。そして半年余りで、東京に居た時と同じ様に落ち着いた暮らしを始めた。いつも大好きな旨いマグロを相手にしては、“阿呆な奴よ・悪太郎は、まったく救いようがない、ちょっとは・悟れよ!”、とよく呟いていた。誰にでも愛され、東京で16年・南国土佐で4年、幸せな日々を過ごして、平成18年初秋、天国に旅立った。愛猫ベニーは、ハチキンにも話せない・誰にも恥ずかしくて語れない、悪太郎のヤングラブストリーを、知り尽くしていた長老であった。享年猫齢20歳、大往生である。今、南国土佐のちょっと小高いペット霊園で眠っている。高知龍馬空港に着いたあの日の夜、初めての異国の地・土佐の田舎で星降る空を見上げて、“東京が恋しいよ、ネオンが観たいよ!” 、と泣き叫んでいたベニー、朝の熱いコーヒーの湯気の中に、長老のまん丸い大きな瞳が浮かび上がる。あんなに暑かった南国土佐にも、今日は・もう、外から初秋の涼風が流れ込んで来る。

速筆作家 吉田兼好児シリーズ 船の翼: 速筆作家吉田兼好児の世界 | 吉田兼好児 |本 | 通販 | Amazon