今日はいずみの例会と新年会でした。新年会には17人が参加し、オークションが行われました。

 小生も文献や雑品を出しましたが、半分しか落札されませんでした。ニーズに合わなかったと言うことでしょうか?

 

 さて、本日のテーマは、京阪電気鉄道株式会社差出の書状 です。12月のいずみの例会のサイトーさんの100円均一で拾ってきました。消印も押されていないため、送付時期はわかりませんが、販売されていた同じ宛先の書状が明治40年代のものが多かったので、その頃のものだと思います。

 時期はわかりませんが、京阪電気鉄道株式会社の初期の資料と思われますので、まあ貴重なものでしょう。鉄道会社も変遷がありますので、それを語るときには活きてくるでしょう。

 

 

 Wikipediaによれば、

 大阪と京都の間には1876年(明治9年)、淀川右岸(西側)に官営鉄道(現・東海道本線〈JR京都線〉)が敷かれたが運賃が27銭と高く、上り12銭・下り10銭の淀川の蒸気船が貨客輸送の主力だった。

 そこで左岸(東側)の京街道沿いに大阪と京都を結ぶ電気鉄道を建設する計画として、東京の渋沢栄一、岡崎邦輔などの実業家グループの私設鉄道法による「京阪鉄道」と、村野山人や松本重太郎などの京阪神地区の財界人らの軌道条例による「畿内電気鉄道」の建設計画が同時期に立てられた。両派は競願のムダを避けて話し合いの末に一本化し、畿内電気鉄道株式会社として設立。

 1903年(明治36年)11月9日に改めて畿内電気鉄道として軌道条例による路線特許が申請された。その後、1905年(明治38年)8月30日の発起人会・設立委員会で京都 - 大阪を結ぶ鉄道ということを表す「京阪電気鉄道株式会社」に名称変更すること、運輸だけでなく電力供給事業・同関連事業を兼業することが決められた。1906年(明治39年)8月25日に軌道敷設の特許が下り、同年11月19日に東京商業会議所で創立総会を開催し京阪電気鉄道株式会社が設立された。

 1910年(明治43年)4月15日に最初の路線として大阪・天満橋駅 - 京都・五条駅(現・清水五条駅)間が開業した。・・・