科学論の最終回は3000文字の論述と800文字×2つの論述。これで全て終わりました、ホッ。

 

さて、本日のテーマは宮内省(勤務者?)発信の封書。奈良の興福寺あてです。

最近、秋篠宮家の案件が世間を賑わしていますが、宮内庁で勤務するのも大変な激務なのではないかと推察する次第ですが、ここでは触れません。

武蔵/東京 明治23年7月3日ト便 → 大和/奈良 明治23年7月4日ニ便 

以下、奈良県の観光公式サイトによります。

興福寺|奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット|奈良市|奈良エリア|神社・仏閣|神社・仏閣 (nara-kankou.or.jp)

興福寺は、京都山科の藤原鎌足私邸に建立された山階寺が前身。飛鳥を経て、和銅3(710)年平城遷都に伴い藤原不比等によって現在地に移転されました。その際に興福寺と名付けられ、以降、藤原氏の氏寺として大いに繁栄、奈良時代初期には四大寺の一つにあげられ、四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ寺院として隆盛を極めました。
 治承4(1180)年の平重衡の南都焼討ちによって焼失した堂塔は、鎌倉時代に復興を遂げますが、その後、享保2年(1717)の火災によって、伽藍の西半分を失いました。境内には光明皇后創建とされる五重塔(室町時代再建・国宝)、北円堂(鎌倉時代再建・国宝)の国宝建築物をはじめ、南円堂(江戸時代再建・重要文化財)、国宝館などが立っている法相宗の大本山。また多くの仏教彫刻の名品を所蔵しています。

 

コロナの第2波?第3波?で「GO TO」も無くなり、観光旅行もいけませんが、こんなアイテムで奈良に行ったつもりにでもなれればいいと思っています。