昨日のゴルフは天気は最高、腕はいつもの通り。そのあとに飲み会まであって、帰ってきたらダメな人でした。

 

 さて、本日のお題は華族局差出のエンタ。華族局は明治15年に華族部長局から改編された組織だそうです。 

宛先の渋谷家教氏はWikipediaによると、伏見宮邦家の第15皇子として江戸で生まれ、臣籍降下して真宗仏光寺第25代管長教応の養子となり、仏光寺を相続して第26代管長となった。明治5年に華族になり、渋谷家教と名乗った。明治21年渋谷家を離籍して伏見宮家に戻り、再び臣籍降下して新たに清棲姓を賜り、伯爵清棲家教を名乗った。山梨、茨城、和歌山、新潟の各県知事を務めたとのこと。

 国立公文書館のHPによれば、華族制度は明治2年から昭和22年に廃止されるまで78年間存続し、華族は「皇室の藩屏(はんぺい)≒守護」として位置づけられていた。明治17年に華族令が制定されると、公・侯・伯・子・男の五爵位により序列化され、これに伴い、天皇親臨のもと授爵式が行われました。勲章・爵位等の親授・奉授式は宮内省式部職(しきぶしょく)が執り行っており、「授与式録」には式次第・準備に関する書類が綴られています。

 宮内省では華族部長局・華族局・爵位局(寮)・宗秩寮(そうちつりょう)等と担当部局名を改めながら華族の監督・統制・保護を行っていました。とあります。