いつだったかのジャパンスタンプオークションで入手した赤二のエンタ。

 配達印の隠岐/崎村の丸一型日付印が鮮明なのはとてもいいのですが、更にこのエンタのいいところは差出と宛先にあります。(後述)

 

 

 

まずは隠岐諸島の位置関係を旅行業者のパンフレットから拝借。

崎村郵便局があるのは中ノ島、明治18年の郵便路線図にも出ています。

 

〔崎村郵便局の沿革〕

 

 このエンタを見ると、差出は境港の隠岐汽船株式会社(の事務所)、宛先は中ノ島の個人宛ですが、wikipediaによれば、隠岐汽船は1895年(明治28年)に設立され、本社は中ノ島菱浦に置かれましたが、宛先の渡辺新太郎氏が隠岐汽船の最大株主かつ初代社長であることがわかりました。このエンタも隠岐汽船で運ばれたと思いますが、社内便もしくは幸便ではなく、切手が貼られているのがいいと思います。

 また、その後、舞鶴航路が開設され阪鶴鉄道と連絡したのを皮切りに新規航路の開設が順次進められ、最盛期には網代港、津居山港、敦賀港、温泉津港、浜田港、下関港へ就航した。1933年4月には松江港の築港に合わせて境港から松江港まで航路を延長、第一隠岐丸と第二隠岐丸が交互に毎日運航されました。1910年から1917年まで短期間ながら、朝鮮半島への北韓航路が開設され国際航路を運航したそうです。

 これらの便で運ばれた郵便物もあったと思いますので、特に隠岐諸島から差し出された郵便物のルートを追いかけるのも面白いと思います。

 国際線にまで広がった隠岐汽船も、今では七類港もしくは境港-隠岐諸島の港を結ぶフェリーと高速船に絞られています。鳥取県在住の人でもあまり行ったことがないようですが、1度入ってみる価値はあります。飛行機という手もありますが、ぜひ隠岐汽船で船旅を楽しんでみてください。

小生の乗った境港から西郷港への高速船

西郷港(島後)から島前への切符

西ノ島から中ノ島への切符