千島/蘂取と千嶋/蘂取の葉書2点を入手しました。

宛先はいずれの同じ方で、蘂取→茂原、茂原→蘂取の2方向。これの兄弟カバーは多数あったので、入手された方も多いと思います。

比較的状態のいいもので、喜んでいます。

 

 

 

島嶼の丸一型日付印の作品で示せた蘂取は、島・嶋が揃っていますが、以下の通り60~70%程度だったので、今回の収穫は本当に大収穫でした。

  

さて、茂原→蘂取はM37.1.2→M37.1.27で25日間、蘂取→茂原はM39.10.2→M39.10.14で12日間の逓送日数でした。

このうち年賀状は、茂原からどのような逓送ルートをたどったのでしょうか?

明治18年の郵便路線図しか手元にありませんが、そこから想定されるのは、「茂原→千葉→東京→横濱→〔海路〕→(宮城)萩濱→〔海路〕→函館→〔陸路〕→根室→〔海路〕→(国後島)泊村→〔海路〕→(択捉島)紗那→〔陸路〕→蘂取」のルート。多くの郵便局員の手を経て届いた年賀状、関わった方に敬意を表します。

逆ルートは10月だったこともあり、半分の日数で届いていますが、海路も親潮との関係で、北から南の方が速かったと思われます。

2枚の葉書で色々と考えさせられますが、これも郵趣の楽しみですね。