もう、時系列無視の順不同でいいですか?(笑)


渋谷ランチの定番、韓流スターも訪れる「チャングミ 」のプルコギランチ。

(「チャングム」ではありません)

安くてハズレなしのランチがいただけます。左上にチラ見えしている「黄金水」はご愛嬌!


天弥菜津希のコアマインド


只今絶賛開催中、六本木アークヒルズの「ハイボールガーデン お好み焼祭 in 六本木 」。

全国の人気お好み焼き店が軒を並べています。


天弥菜津希のコアマインド


ワタクシメは、開催初日に元同僚と広島風お好み焼きの「ちんちくりん 」に直行。

創業間もない頃、我々の会社が諸々出店のお手伝いをさせていただいたのです。

いまや業界でも成長企業。広島の味を堪能した懐かしいひとときでした。


アークヒルズに向かう前は、かのセンベロ隊長 親子と新橋で引っ掛けていました。

SL広場そばのハイボール酒場(笑)


天弥菜津希のコアマインド


その際の模様を記事にしてくださったのでリンク貼付 しておきます。

夏は水を浴びるようにお酒も飲めてしまうので要注意ですな。

TOKYO SISEI-UP STUDIOをリニューアルにするにあたり、しばし空白ともいえる時間を過ごしていました。


この間、約3ヶ月。

近しい人に言わせると「フラフラ過ごしてて大丈夫か?」という印象だったかもしれませんが(笑)


最低限のインフラは確保しながら一旦ビジネスという舞台から距離を置き、実際には頭の片隅でただ

ひたすらに「何を伝えたいのか」そして「どう伝えていくのか」ということを考え、考えて過ごしていました。


それにしても、「考え抜く」、いわゆるブレイクスルーに至るには根性が必要だ!ということも解ったのだ。

そして、ビジネスでも生きていくうえでも何でも、時に「絞り込みのセンス」が問われるのです。


何をチョイスするのか?

それを選び取るということは、それ以外のものを一旦捨てる、隅にやるという決意表明でもある。


絞って、絞って、絞り出した奇跡のひとしずく。

現存するビジネスの成功モデルはきっと、そういう苦悩と選択のうえに成り立っているのだと思うのです。


あと、自分自身のマインドを整えることは必要ですね。サッカーの長谷部選手じゃありませんが。

いかなる心で向き合うのか。

焦りの気持ちを帯びて打って出たビジネスは、遅かれ早かれ崩壊していくのをいくつかの現場で見てきた

ので、いずれにせよ暫く時間は必要だなと感じていました。


実際、ここに最も時間を割いた気がします。

「よっしゃ、やったるで!」という勢いではなく、静かなる炎を心に灯すような感覚、なんとなくお解りになり

ますでしょうか?



で、私は再び「姿勢を整える」ということを選んだわけですが、小難しい技術をお伝えしたいわけでもなく、

施術をするわけでもなく、ましてや自ら’カリスマ先生’になりたいわけでもなく(笑)


「誰にでもできるし、いつでもできるし、簡単にできるから、ずれた軸を本来の場所に戻してみましょうね、

自分自身で」

「でも、身体って骨と皮だけで出来ているわけではないから、健康についても知っておきましょうね」


という想いを、絞り込んだSISEI-UPというメソッドや武道の技術などを駆使して、ただひたすらに形にで

きればと考えています。


生きている限り、健康な状態というのは誰にとっても普遍であるべきで、それを自ら維持できるというの

はとても素晴らしいスキル、そして有り難いことなので、表層に見えるものだけではない「コアで感じる

美容法」と捉えていただければ幸いです。


活動の柱は三つです。


○姿勢を整える/誰でも簡単にできる骨盤矯正「SISEI-UP」の講座(個人、法人向け)
○心身を整える/女性向け護身術および護身ストレッチの指導
○次世代教育/キッズエキスパート事業(こども向け・姿勢のコーチ育成)


これらを通じ、より良い姿勢・より良い健康を保つためのお力になれたらと思います。


9月よりワークショップを開講します。

皆様の大切な身体、そして心の「軸」についてご一考いただけるひとつの機会となれば嬉しい限りです。


たとえば「飲みに行こう~」「遊びに行こう~」「バンドやろうぜ!」といった軽いタッチのものから、


天弥菜津希のコアマインド


「結婚してください!」といった決死のプロポーズ、はたまたBtoB、BtoCなどにおける新規ビジネスの

提案、ヘッドハンティング、M&A、MBOなど・・・人生を左右する決断を迫られるものまで、見渡す限り

世の中は「お誘い」で溢れています。


そして、声をかけた瞬間に「する側」と「される側」という微妙な力関係が働きます。


当たり前の話ですが、お誘いする側にとっては「お誘いする人(モノ、企業云々)」と、なにかしらの

「お誘いする理由」があってこそ声をかけているはずです。

(深い理由はない、というのもある意味理由になります)


しかしながら、お誘いを受ける側。


「お誘いを受けた・・・受けてしまったよ!」という出来事にのみフォーカスしがちで「なぜ自分に声がか

かったのか?」という理由を汲み取るまでに至らない場合もあります。

これは、そのお誘いに対してさほど深く掘り下げる興味もない、もしくは逆に感情的すぎる、という二つ

のことが考えられます。


ちなみに感情的で行き過ぎたケースとして、自意識過剰のあまり単なるお誘い・お声がけを反射的に

「勧誘」と捉えてしまう場合もあります。

これはもはや、受け取る本人の感性によりますが・・・。


いずれにせよ、なぜ自分なのか?という主観的なことを、客観的に観る。

そういう感性と、心の余裕を持つ。


お誘いということを一例にあげたまでですが、人生を主体的に生きるための方法として、事実をありの

まま受け止めたうえで、たとえその返答がイエスだろうがノーであろうが、物事をなるべく正確に判断す

るのに大切な基準になり得ると思った次第です。


そして、ここまでの想像力が及ぶからこそフェアな関係を保つことができ、お誘いがあったことに対し

純粋なる感謝が生まれるわけです。


今日、誰かに誘われる。

そんな何気ないことが、思いのほかものすごい確率の奇跡でもあるのです。

近頃、夏休みの課題図書よろしく、もりもり読書をすすめているのだ。


これは、自宅から徒歩数分のところに新設の図書館が出来たということもとても大きい。

知的好奇心に輪をかけ、活字を愛する人には究極的に堪らぬ環境に埋もれています。


今しがたの選択基準は「誰にとっても普遍であること」が書かれているもの・・・よって、必然的に死や宗教、

歴史、経済に関するものを手に取ってしまいます。

また、これらの内容はある側面において、仕事にも大きく関係があると考えており、資料的に目を通してい

る感覚もあります。

まぁ、基本的な物事を知らなさすぎた、という反省も多いにあるのですが(笑)



しばしば書店に足を運ばれる方はうっすらとお気づきのかもしれませんが、雑誌しかり、ムックしかり、単

行本しかり・・・棚や平積みスペースには広義における宗教、もしくは宗教性、霊性(スピリチュアリティ)に

ついての書籍が増えています。


ついでに東京では只今「空海と密教美術展 」なるものが開催されています。

単なる’空海ブーム’とは言い難い状況にも思います。


我々の生活、たとえ「私は無宗教論者です!」と主張したところで「宗教的な習慣」や「宗教的な行為」から

完全隔離することはほぼ不可能だとワタクシメは考えています。


たとえば今この瞬間を生きている「暦」というもの・・・あ、今日は月曜日!昨日は日曜日でお休み!という

何気ない曜日感覚でさえ、元を辿れば(ユダヤ)キリスト教の定めた戒律に基づいています。

宗教なんか嫌いだーーー!と騒ぎちらしそこから解脱するためには、曜日という概念を外した世界で生活

を送るしか方法はない。


結局何が言いたいのかというと、人と宗教は切っても切り離せないし、時代が動くときは宗教も動く(もしく

は、宗教が動くときは時代が動く)ということを、過去の事例からしてもひとつ認識しておくべきなのではな

いか、ということです。


そこを基本概念として置くと、それらを紐解く歴史、死生観、そして人間が作り出した「経済」というもの、す

べてが数珠繋がりになり「世界と私」「日本と私」「私そのもの」という観点でモノゴトを見聞き、考えることが

できるのかなという個人的見解に落ちるわけです。

よって、たとえ出版社の微妙な駆け引きで羅列された諸々でさえ、時代を読み取るヒントにもなり得るという

ことです。


参考までに、最近目を通したものの一部を。

以下は医療関係者やマーケッターと呼ばれる方々にとって大いに参照になろうかと思います。


現代霊性論/内田 樹
¥1,575
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スピリチュアル市場の研究 ―データで読む急拡大マーケットの真実/有元裕美子
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死とは何か さて死んだのは誰なのか/池田 晶子

¥1,575
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待つことも、ひとつの優しさ①



前回の記事からちょうど一ヶ月・・・お待たせしました。


ここでひとつの真理、「待つことも、ひとつの優しさ」が思いがけず証明されるわけなのだけど。

それはひとえに「それでも待つ」という、本当に寛容な幾人かの皆様が「ここに居る」ことに尽きるわけ

です。

心して続き、いきます。よかったらご覧ください。


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言葉を連ねる前に、正しく日本語を理解しておこうと思う。


ま・つ【待つ】


1.物事・人・時が来るのを予期し願い望みながら、それまでの時間を過ごす。また、用意して備える

2.しようとする動作を途中でやめる。普通、相手に要求する形で用いる。→「ちょっと待ちなさい」

3.相手の反応や態度がわかるまで静観する。

4.それを頼りにしてまかせる望みを託する期待する

5.・・・するまでもない。その必要がない。→「言を待たない」


                                                    (大辞泉より引用)


前回、おみくじを引いた際 思いがけない’待ち人’の登場に面くらい、あなたは一考の機会を得た。


待人とはいったい誰なのか?

待人とはいったい何なのか?

待人が来ないとは一体どういうことなのか?

音信(おとずれ)はどういう方法でやってくるのか?


そしてワタクシめ、このように締めくくっている。


「待つ」とは諦めの状態では不可能である。

むしろ、想像以上に期待や希望が込められた状態であり、無意識にエネルギーを費やしている。


「待つ」ということに関して、大辞泉サマと認識がずれていないことにまず安堵したのだが(笑)


様々確認を経て、ここで「待つ」ためにどうやら必須であるらしいことを簡単に挙げてみる。


◆自分(自己、自我)

◆自分とは違う何かの対象(物事・人・時)

◆時間軸(純粋なる時間、タイムラグ、リミット)

◆願うこと、望むこと

◆「~する」という動詞

◆体力、気力(エネルギー)


ちなみにこれらは’待ち人’・・・つまり、「来る」という確実性がないものに対して、我々が無意識レベルで

対象にそれ~っと捧げているものである。


そう、もはや結論でもあるこの’捧げる’という行為そのものが、待つことの正体・・・つまり、優しさでもあ

るのだ。

それが双方向でなくとも、たとえば優しさという観点からアンパンマンの「顔をむしり取り、我が身を捧げる」

行為を見て「なんという悪党め!」と憎悪を覚えるはごく稀なのではないか。


天弥菜津希のコアマインド


待つことができる人は、基本的に寛容であり、優しい人だと推測する。

そして、捧げることができる人でもある。

(単に時間に疎い人、いかなる状況であれそれを望む人、という人々もいるが「ひとつの優しさ」という

テーマゆえ割愛)


もし、何かを待っている状況で悶々としているのであれば、前述の◆の部分に何を、どれだけと当ては

めて分析してみても良いかもしれない。

自分の’待ちスタイル’の指針が出来上がるのではないだろうか。


何がわかっていて、何がわかっていないかをわかろうとすることはとても大切である。


待つということに自覚がない状態であれば、時間がある際に駅前や商業ビルの前に「何を思うことなく」

立ちすくみ、誰かを待っている姿を観察してみるのも暇つぶし程度にはなると思う。

その人が「待っている」のか「待ち望んでいるのか」ぐらいは、感覚を研ぎ澄ませれば見分けがつくだろう。


なお退屈を覚えるのであれば、あえておみくじを引きに行っても良いのではないか。

思いがけない’待ち人’に遭遇するかもしれない。

いずれにせよ、自分以外の誰か、何かが深く介入していることに小さな(大きな)驚きを感じずにはいら

れないはずである。



余談だが、お恥ずかしい限りの我が日常に準えてみる。


・ 幾人かの友人のメールの返信を待っている。

・ 幾つかのことをペンディングにしている。

・ 仕事の企画を何本か抱えているのだが、まだ完成形に達せず、お待たせてしている。

  (関係各位に深謝)

・ 上記理由により、自分自身をも待たせている。

・ ある人からの一報を暫くじっと待っているが、時効の香りがするため少々諦め気味。


とまぁ、「待つ」「待たされる」のオンパレードである。

ヒューマニズム溢れた(?)言い方に変換すると「もちつ」「もたれつ」ともいえるのか?

これは絶妙なバランス感覚を問われるのだが・・・。


そう考えると、以下のような待ち方は稀有である。

「ほかの誰かにあなたがふられる日まで」というのは、気が遠くなるようなとんでもない時間の捧げ方で

ある。

待つわ /あみん
¥150
iTunes

※モバイル非対応

現にどのような状態であれ、少なくとも人ひとり以上が関わっていること。

そこに見え隠れするのはやはり、ちょっとした優しさの捧げ合いであり、思いやりでありたい。

ゆえに「待たせている」という自覚があるのであれば、せめて可及的速やかに○、×、△、□・・・何でもよい

から結論もしくは現状報告することによりコミュニケーションエラーも生じないかと思うのだ。

これはひとえに「待たせない」気概であり、「待たせ癖」の矯正である。

随分更新を怠っておりました(反省)


その間に8月を迎え・・・その割には、スカっとせずなんだか危うい天候です。

東京もここ数日、揺れる揺れる。


「余裕とは品位である」という言葉がワタクシ大好きなのですが、ここのところの異常気象については、

時を経てうっかり忘れがちなこと・・・防災意識やら日頃からの備えを怠るなというメッセージのようにも

思えます。


そしてXデーといわれた8月2日、米デフォルト回避というニュースも飛び込んでまいりました。緊迫する

米経済、もしこのまま世界恐慌が起こればとんでもない返り血を受けるのが明白な日本。

国家レベル、そして個人レベルで「これからどう生きる?何を選択する?」ということを問われています。


人間は無意識レベルでバッドニュースを強く信じがちです。

明らかに「怪しいやろ!」というような’うわさ話’レベルでさえ、その情報の根拠は一体何なのかを考える

隙間さえなく、まるっと鵜呑みにしがちです。


そのような習性を踏まえたうえで、


◆問題が起こる前に対処する方法はなかったのか?

◆事実は事実としてありのままを受け止めながら、自分自身の真実・・・

 そこから何を学び、何を 得るのか?

◆そのうえで自分にとって、大切な誰かにとってのグッドニュースをどれだけ増やして

 いくことができるのか?


というような「感じる力」が生き方を左右する時代のようにも思います。


さて、ご覧のとおり、ブログタイトルおよびデザインを変更しています。ようやく一元化が図れる状態になっ

てまいりましたので、TOKYO SISEI-UP STUDIOのブログと統合させていただきました。


とんでもなく大きく時代が動く今生、皆様とともに生をなすアマミの活動と思索、これからしっかり情報発

信できればと思いますので、引き続き宜しくお願い致します。


う!前回の記事の続き、アップせねば!(笑)

ある日、あなたは散策がてら偶然通りかかった(どうやら有名らしい)神社にお参りをする。


まずはご挨拶をとセオリー通りに二礼二拍手一礼を終え、人だかりで賑わうほうへと向かう。

そこには神社における最大のお楽しみともいえる「おみくじ」と書かれた箱が置いてある。


人々は、小さな巻物のような紙に記された言葉について悲喜こもごも至っているようである。

これもひとつの運試しと息巻いて、あなたもその箱の中に手を入れ、ひとつの束を選択する。

ちょっとした運命の分かれ道みたいなものを感じながら。


商売、引越し、旅行、縁談・・・人生を構成する各要素、または「起こるかもしれない近未来」について、あ

なただけに向けてひっそり説かれている。

なるほどそういうこともある、と現状や潜在意識に当てはめながら読み解く作業はまさに想像力の活用で

あり、言葉のエンターテイメントでもあるのだ。


ああ、大吉!なかなかの結果!今日もツキが巡っている!

しかし次の瞬間、浮かれ踊るあなたはひとつの単語に怯むことになる。


「待人」 (まちびと)


そしてそこには 「来らず、音信(おとずれ)あり」とも記されている。


この瞬間、年に一度か二度かしか見かけることのない、さして気にも留めない単語によって、あなたの人

生に新しい疑問と構成要素が誕生する。


あなたは一考の機会を得る。


待人とはいったい誰なのか?

待人とはいったい何なのか?

待人が来ないとは一体どういうことなのか?

音信(おとずれ)はどういう方法でやってくるのか?


そして、よりによってこれらの意味を全力で解釈しようとしている私そのもの、誰を、何の訪れを待ち望ん

でいるのか?


待っているもの(人)がいるという真実を認識、または再認識し、驚愕し、溜息を漏らす。

汝、油断することなかれ。

まるで神様にそう言われているようにすら思う。



「待つ」とは諦めの状態では不可能である。

むしろ、想像以上に期待や希望が込められた状態であり、無意識にエネルギーを費やしている。


では「それでも待つ」ということは、一体どういうことなのか?

長くなりそうなので、次の段でワタクシなりに紐解いてみようと思う。

ちゃんこ鍋とともに蜜月(?)

先日、久々に浅野ヨシオさん とお会いさせていただいた。


’最強の自分商品化戦略’・・・泣く子も黙る「ザ・プロフィール講座 」の人気講師、浅野さん。

ワタクシメの「B級グルメ(味は特A級)の師匠」でもあるのだ。

たった1通で人を動かすメールの仕掛け (青春新書PLAY BOOKS)/浅野 ヨシオ
¥1,000
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浅野さんとお話するたびに、プロフィールを作ることは命がけである、と感じる。


様々なバックグラウンドを抱えた「赤の他人」と、上っ面の実績や数字や単なる栄光の一ページだけでは語

りつくせぬ人生の傷や失敗、えぐみ、涙の味を掘り返しながら伴走していく作業は、受講生共々並大抵の

精神力では不可能である。


まずもって、本人がそれら事実を認め、わざわざ後戻りなどしなくて良いであろう暗闇までもを模索すると

いう強い意志を持たなければならない。

また、これはご自身も同様に「自分とは何者か?」というある意味人生最大のテーマと命がけで真っ向勝負

したからこそ可能なワザである。


突き抜けた人は、時代の波に翻弄されることなく最強である。


そういう人のことを、真の「ブランド人」と呼ぶのだろう。

そして、その人生すべてをたかが300文字程度にぎゅぎゅっと詰め込んだ真実の人間絵巻を、プロフィール

と呼ぶ。


プロフィールに隠されている真のメッセージとは 「自分は、誰を救うことができるのか?」

これは、とことん考え抜いた人にだけ与えられる神様からのギフト・・・つまり今生での使命である、というの

がワタクシメの解釈である。


というわけで、今回も楽しく、愉快に、大真面目に語り尽くしたのだ。

いやはやなんとも、おふざけかつ贅沢なひととき。


ドスコイ酒場ちゃんこ芝松

「ドスコイ」という言葉にB級を感じる(笑)が、住宅地にありながら大盛況!ホンマ美味でした。


「私小説日和」 あんだー  the sun


「私小説日和」 あんだー  the sun


「私小説日和」 あんだー  the sun


「私小説日和」 あんだー  the sun


「私小説日和」 あんだー  the sun


ドリンクメニューの中にあった「カシスコーラ」という、明らかに不味そう(失礼)な飲み物。

しかし、こちらのブランド人は「じゃ、これ!」とオーダー。


未知との遭遇、「取り扱い注意」に自ら飛び込んでいく・・・ブランド人発掘作業と同じですやん!

とことん探究心旺盛である。

表向きのビジネス活動をほぼ抑え「人間活動」に勤しんだ一ヶ月が終わった。


結果的には、プライベートでは思いのほかアクティブに動いており、手帳に書き込まれたスケジュール

は未だかつてないほど真っ黒な状態である。

それらはこれまでのワタクシメの’常識’を覆す、なんとも不思議な時間でもあった。


だいたい、一ヶ月も沈黙を貫くこと自体が発狂レベルというぐらい、狂ったように仕事をしていた時期も

一応あったので。(今思えばその状態こそ「発狂」で、体力的にもう無理、と思うのだが)


時間を自分のものにする、ということが半ば強制的にでも可能になると「休むこと=負け」というなんとも

微妙すぎる日本人的価値観に長い間踊らされていたことも改めて知る。

この発想、完全に労働者マインドだよなぁと。


この間何をしていたかというと、三年近く会っていなかった(働きすぎて会う時間がなかった)家族と会っ

てみたり、旅行に出かけてみたり、おいしいものを食べに行ったり、新しい友達と出会ったり、図書館に

行って本の山に埋もれてみたり・・・いたって普通のことを淡々と行っていただけである。


しかし、ここでこれまでの常識を覆す疑問符と出会うことになる。

「普通」を普通に感じることが出来ずにいたこれまでってナンだったのか。


更に、新しい自分の資質にも気づく。

アタシ、もしかするとバリバリ働かなくてもいい人なのかもしれない(笑)と。


この気づきに至るまでは、実は思いのほか深く自己探求した過程があるのだが、その部分は割愛する。

端的にいえば、自分的幸せの源泉に大きく辿り着いたということである。


ちなみにそれはともすればお金になるかもしれないし、お金にならなくても「それをやっていたらめっちゃ

幸せ」という、とてもニュートラルな事である。


つまり、金銭を稼ぐことが第一の目的ではないため邪なこともなく、単に自己満足でも可能なことである。

これは今までよかれとやり過ごしていたことが総崩れするような、本当に大きな発見だった。


結局、幸せの源泉というものは、めかし込んでどこかしらにお出かけして探し当てるのではなく、足下を

黙々と掘り続けることによってようやく掘り当てることができるのだということも解った。


この源泉の(一円の価値もないかもしれないが)絶妙なしずくの味を忘れなければ、おそらくこれから世

の中が大きく動いても、最悪わが身が吹き飛ぶことはないであろう。


一円の価値にもならないものを絶対的に保有し、それを楽しむ感性があること。

これは人生における最大の強みなのかもしれない。


たとえばライフラインの確保として最低限の収入を得るということであれば、自意識過剰にならなければ

その方法はいくらでもあるし、その手段や情報源はドラえもんの四次元ポケットの如く、自分なりに確保し

ているつもりである。究極、日本にはセーフティネットも存在する。


表舞台でバリバリっと仕事をしていくことも可能だし、せっせと資産形成に勤しむことも可能だし、日常を

普通に楽しむことだって、もちろん可能である。


ならば、今となっては自己探求の過程を端折り、足下を掘り当てることが結局出来なかった・・・という生涯

を想像するほうが、もはや空恐ろしくも感じるのだ。


「働くことは生きること」 これは自己の表現手段としてさもありなん。

しかし「考えること」なくして、誰のものでもない’自分’を生き抜くことは不可能である。



まあ、脱線しながら書き綴ったところで、ちょっと早い夏休みを頂いたというご報告、そしていつもの口癖で

「自分の感性を信じる」、この一言に尽きるというわけです。