待つことも、ひとつの優しさ①
前回の記事からちょうど一ヶ月・・・お待たせしました。
ここでひとつの真理、「待つことも、ひとつの優しさ」が思いがけず証明されるわけなのだけど。
それはひとえに「それでも待つ」という、本当に寛容な幾人かの皆様が「ここに居る」ことに尽きるわけ
です。
心して続き、いきます。よかったらご覧ください。
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言葉を連ねる前に、正しく日本語を理解しておこうと思う。
ま・つ【待つ】
1.物事・人・時が来るのを予期し、願い望みながら、それまでの時間を過ごす。また、用意して備える。
2.しようとする動作を途中でやめる。普通、相手に要求する形で用いる。→「ちょっと待ちなさい」
3.相手の反応や態度がわかるまで静観する。
4.それを頼りにしてまかせる、望みを託する。期待する。
5.・・・するまでもない。その必要がない。→「言を待たない」
(大辞泉より引用)
前回、おみくじを引いた際
思いがけない’待ち人’の登場に面くらい、あなたは一考の機会を得た。
待人とはいったい誰なのか?
待人とはいったい何なのか?
待人が来ないとは一体どういうことなのか?
音信(おとずれ)はどういう方法でやってくるのか?
そしてワタクシめ、このように締めくくっている。
「待つ」とは諦めの状態では不可能である。
むしろ、想像以上に期待や希望が込められた状態であり、無意識にエネルギーを費やしている。
「待つ」ということに関して、大辞泉サマと認識がずれていないことにまず安堵したのだが(笑)
様々確認を経て、ここで「待つ」ためにどうやら必須であるらしいことを簡単に挙げてみる。
◆自分(自己、自我)
◆自分とは違う何かの対象(物事・人・時)
◆時間軸(純粋なる時間、タイムラグ、リミット)
◆願うこと、望むこと
◆「~する」という動詞
◆体力、気力(エネルギー)
ちなみにこれらは’待ち人’・・・つまり、「来る」という確実性がないものに対して、我々が無意識レベルで
対象にそれ~っと捧げているものである。
そう、もはや結論でもあるこの’捧げる’という行為そのものが、待つことの正体・・・つまり、優しさでもあ
るのだ。
それが双方向でなくとも、たとえば優しさという観点からアンパンマンの「顔をむしり取り、我が身を捧げる」
行為を見て「なんという悪党め!」と憎悪を覚えるはごく稀なのではないか。
待つことができる人は、基本的に寛容であり、優しい人だと推測する。
そして、捧げることができる人でもある。
(単に時間に疎い人、いかなる状況であれそれを望む人、という人々もいるが「ひとつの優しさ」という
テーマゆえ割愛)
もし、何かを待っている状況で悶々としているのであれば、前述の◆の部分に何を、どれだけと当ては
めて分析してみても良いかもしれない。
自分の’待ちスタイル’の指針が出来上がるのではないだろうか。
何がわかっていて、何がわかっていないかをわかろうとすることはとても大切である。
待つということに自覚がない状態であれば、時間がある際に駅前や商業ビルの前に「何を思うことなく」
立ちすくみ、誰かを待っている姿を観察してみるのも暇つぶし程度にはなると思う。
その人が「待っている」のか「待ち望んでいるのか」ぐらいは、感覚を研ぎ澄ませれば見分けがつくだろう。
なお退屈を覚えるのであれば、あえておみくじを引きに行っても良いのではないか。
思いがけない’待ち人’に遭遇するかもしれない。
いずれにせよ、自分以外の誰か、何かが深く介入していることに小さな(大きな)驚きを感じずにはいら
れないはずである。
余談だが、お恥ずかしい限りの我が日常に準えてみる。
・ 幾人かの友人のメールの返信を待っている。
・ 幾つかのことをペンディングにしている。
・ 仕事の企画を何本か抱えているのだが、まだ完成形に達せず、お待たせてしている。
(関係各位に深謝)
・ 上記理由により、自分自身をも待たせている。
・ ある人からの一報を暫くじっと待っているが、時効の香りがするため少々諦め気味。
とまぁ、「待つ」「待たされる」のオンパレードである。
ヒューマニズム溢れた(?)言い方に変換すると「もちつ」「もたれつ」ともいえるのか?
これは絶妙なバランス感覚を問われるのだが・・・。
そう考えると、以下のような待ち方は稀有である。
「ほかの誰かにあなたがふられる日まで」というのは、気が遠くなるようなとんでもない時間の捧げ方で
ある。
- 待つわ /あみん

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※モバイル非対応
現にどのような状態であれ、少なくとも人ひとり以上が関わっていること。
そこに見え隠れするのはやはり、ちょっとした優しさの捧げ合いであり、思いやりでありたい。
ゆえに「待たせている」という自覚があるのであれば、せめて可及的速やかに○、×、△、□・・・何でもよい
から結論もしくは現状報告することによりコミュニケーションエラーも生じないかと思うのだ。
これはひとえに「待たせない」気概であり、「待たせ癖」の矯正である。