昨日の夕方から急激に体調が悪くなり、夜中じゅう発熱と下痢嘔吐(スミマセン)で悶絶、
一睡もできず。

何かがおかしいと思い、朝一番で病院に駆け込んだら殺られていたようである。
・・・ウィルスに。

そりゃ何度も「死ぬーーー!」と叫ぶわ(心の中で)

どこで貰ったのやら!
皆様もどうぞお気をつけくださいませ。

友人の誕生日祝いで「神楽坂和楽 」へ。


いかにも奥座敷なこの雰囲気、カップル向きだな~。

ある会社の社長がお妾さんに用意した邸宅を改造した一軒家レストラン、といういわくつきだからか(笑)

陶器製の欄間など、貴重な骨董品を拝見することができたのだ。


こんなお庭を眺めながら食事を頂くことができるのデス。


「私小説日和」 あんだー  the sun


ランチの花籠八寸。

女子は大喜びするであろう。やっぱりデート向きだ(笑)


「私小説日和」 あんだー  the sun


がらっと雰囲気は変わり、柏木真由美さん がプロデュースされた「2-3Cafe」へ。

代官山、お気に入りのLOVELESSも近いので散歩がてら訪れるのにはもってこいのロケーションなのだ。


「私小説日和」 あんだー  the sun


ウッディな内装、ちょうどよい広さ・・・落ち着きます。

厨房ではイケメンオーナーシェフが腕を振っていらっしゃる。生パスタ、美味しかったです。


「私小説日和」 あんだー  the sun


これはメニューにはない特別仕様のスゥイーツ。料理ができる男性って素敵!と改めて思ふ。


「私小説日和」 あんだー  the sun


今後のメニュー開発、楽しみにしています。

貴重な機会、真由美さん&和尚様、ありがとうございました!


タベログシリーズ、順不同・不定期にて続く・・・(笑)

近頃、人と会うことを名目に外食が続いている。

そろそろウェイトコントロールしなくては・・・


やっとこさ行くことができた、西麻布「高畠嘉平 」。場所柄、芸能関係のお客様も多いらしい。


「私小説日和」 あんだー  the sun


この方の行きつけ(週3ペースって・・・)

かつての同僚は、今や立派なシャチョーサン業をしているようだ。


昔話、くだらない話、業界の話・・・色々しましたねぇ。

なんだかんだで、人生のターニングポイントには色々お世話になっている気がする。


「私小説日和」 あんだー  the sun


ハマグリが燃えている!


「私小説日和」 あんだー  the sun


名物、山形十割そば。うどん派のワタクシも解るほどのどごしツルッツルでした。


「私小説日和」 あんだー  the sun


トンテキ~


「私小説日和」 あんだー  the sun


鮎ですよ、鮎。

焼いて、煮て、蒸して、また煮て・・・手間ヒマかかっています。


「私小説日和」 あんだー  the sun


オープンキッチンのカウンターは居心地がよく、一人で訪れてもOK。

お蕎麦だけサクっと頂くというのもあり。またお世話になります。


そして勢いで「来年韓国行こうぜ!」ということになったので、それまでしっかりハタラキマス。

M社長(笑)ゴチでございました。また近々!



あ、西麻布交差点角「権八」に掲げられていました。


「私小説日和」 あんだー  the sun

近年、就職人気ランキングで上位に食い込んでいたリーディングカンパニー・UNIQLO。

社内公用語を英語化するとの動きを見せたとたん、まさに126位へ「転落」。


この現実、もはや日本の英語教育云々という問題ではなく、ワタシタチは国際舞台で全く通用しない

人間ですよ~と高らかに宣言してしまったようなものである。



また、先進8カ国の義務教育の中で「心理学」と「経済学」が入っていないのは日本だけである。


明らかに’考えない人間’を量産しているとしか思えないこの現状、前述の英語教育も、文法重視の

日本独自の指導方法は「普通の人はしゃべることができなくてOKですよ~」という、戦後GHQが齎し

たある種の情報操作が今もなお色濃く息づいている証拠である。



日本の一部上場企業の多くは、創業時のビジネスモデルと現在のビジネスモデルは異なっている。

企業名は割愛するが、皆様お馴染みのあの会社、この会社・・・想像してみてほしい。


初志貫徹では及ばず、経営の多角化という名のもと、企業そのものが生き残りをかけて次から次へと

新規事業、つまり「副業」に手を出している。


なのに、そこに所属する社員の副業を禁止・規制するなど、冷静に考えるとおかしな話だと思わない

かい?


ちなみに「給料以外に収入源がある人は53%」とのデータがある。

その内訳に驚愕する。


懸賞 37%

投資 20%

アルバイト 20%

その他 23%


この結果によると、どうやら「一発逆転」は副業と同義語らしい。



生き方そのものが自由選択できる時代、実のところ情報過多、情報錯綜という不自由さの中で生活し

ている人が大多数なのではなかろうか。それが不自由だと気付くかどうかは別として。



ルールが解らないと、人のマネをする。

ルールが解ると、戦略を立てることができる。


先般ある方から伺った言葉だが、心の底から納得する今日この頃である。

をを・・・一週間ぶりですか、更新。



往々にして沈黙を守っている時というのはなにかを思案しているときで、そういう時の集中力はある意味

素晴らしく、どうやらおべんちゃらが使えない性格のため(笑)、調子のいい側面だけをリップサービスする

ことすら出来ないのである。


って、自分で言ってみるのだが。

このブログ、思いのほかエネルギーを消費しているらしいですよ。



自分の人生と真摯に対峙するとき、時に闇の奥の奥・・・静寂なる沈黙の世界まで辿り着くことがある。


「そこ」の在り処は勿論誰も知らないし、もしかすると自分ですら生涯発見することがないのかもしれない、

深くて静かでほの暗い場所である。


あるいは、辿り着くことを無意識に拒絶し続けているのかもしれない。

目をそむけたままやり過ごすこともできるのかもしれない。


ひょっとすると、人知れず棺桶までしまいこむことも可能なのかもしれない。

真っ当な大人である、という最もらしい理由のもとに辿り着く意志を持たぬ、という選択も可能である。



しかしながら「そこ」にある、あるがままの闇の姿を受け入れることができたとき、人というのはひとつ国境

を突破し、新しい世界に向かうことができるのかもしれない。


闇の存在があるから、光の有り難さが身に染みるのである。

そして、そんな光の眩しさを一生忘れ得ぬと思う。


旅とは、なにもセレブリティのフリをして大枚叩いてジェットセッターぶらなくとも良いのだよ。

抗えぬきっかけと対峙する勇気さえあれば「自分」という名の無限の宇宙旅行はいつでも可能なのである。



さ、ぼちぼち記事も再開しまっせ。

ちなみに最近、思いの他この方にお世話になっているのだよ・・・敬礼!



「私小説日和」 あんだー  the sun

「人の運」を考えるにあたり、象徴的な話がある。



かつて所属していた企業での話になるが、当時お世話になっていた役員にふとこんな話を投げ掛けた

ことがある。


「どうして、この会社で働いているのですか?」


今思えばなんと不躾な!直球すぎる質問なのだが、彼はいわゆるCFOとして会社の中枢を担う手腕を

十分すぎるほど発揮していたし、こんな人種は初めて目の当たりにするのだが「まるでピアノのように」

電卓を操る人である。


この才覚があれば、もっともっと大きく、広い世界で勝負ができるのではないか。

あちこちからヘッドハントされてもおかしくないが・・・余計なお世話ながら、日頃から思っていたことを口

にしてみた。


すると、こんな調子で返ってきたではないか。


「ん~、’社長の運がいいから’かなぁ?ボク、運のいい人と一緒に仕事したいんだよね~」


意外でもあり、至極真っ当な回答に驚いたことがある。

自分でことを興すという賢しらな発想すらなく、その一言には一切の迷いが感じられなれなかった。



感覚の鋭い人というのは、そういう言葉では説明しがたい「流れ」というものを、無意識のうちに大切に

している。

見てくれ、ステイタス、調子のいい発言・・・ともすればそんな上っ面で隠れてしまった本質を、動物的

嗅覚をもって正しく見抜いている。


強運であり続けることというのは半ば奇跡のように思われるが、運を保有できるコツは必ずある。

流れに沿ってやってきた目の前の縁を大切にできるかどうか。まずはそれに尽きる。


そして「金の切れ目が縁の切れ目」というたとえがあるが、正しくは「縁を大事にできない人にはお金の

流れはやって来ませんよ」ということなのではなかろうか。


’不景気’だとか’震災の影響’いう言葉の前に、目の前の何を大切にできていないのか?わが身を振り

返る謙虚さをいつでも持ち合わせていたい。



あなたの運も、必ず誰かに見られている。


少なくとも、動物的嗅覚を持っている友人たちには。

本質にしか興味のない人たちには。人の縁を大切にする人たちには。

あなたと一緒によい時間を過ごしたい、そう思っている人たちには。


その逆、たとえば誰かの運に乗っかろうとしたとき、我々はまず自分という確固たる主軸を持ったうえで、

相手を見極める目を養わなければならない。調子よく乗りかかるというのは無責任の極みである。


そしてできれば、誰が何が乗りかかっても取るに足りない「強運」でありたい。



ちなみに前述の役員、信条は昔も今も変わらず「いつでもどこでも、歌って踊れるいち経理担当でいた

い」だそうだ。

かねてより「我が家はビジネスホテルみたいなものです」と明言していた。

余計なものが何もない家。つい半年前まで、寝に帰るだけの家。


という勝手なる認識を、今ここで謝罪しておく(誰に?)


出るわ出るわの大騒ぎ、先般から大量の洋服や書籍、CDを処分している。


洋服は、春夏ものを中心に45ℓビニール袋2枚分、本に至っては今年に入って100冊以上は処分して

いる。CDも今回は50枚ばかり売り払った。プレゼントできるものは友人にもあげた。


俗に、このような状況のことを「断捨離」というのかもしれない。

しかし、今回の場合単に「捨ててスッキリ生活」という単純心理で行動を起こしたわけではなかった。


これまでの自分の感性を育ててきたもの、それを思い切って捨ててみようと思ったのだ。

別名、「過去の自分」ともいう。



たとえば何かに迷い答えを求める場合、ワタクシめの場合その対象は生身の人間である前に本に綴ら

れたもの、言葉である。


言葉に励まされ、言葉に叱咤され、言葉に頷き、言葉に希望を託す。


素知らぬところでワタクシめに希望を託された言葉達は、古いもので10年選手。

いかなる時にも傍らにあった。


だがある日、ふと気づいてしまったのだ。

失うことでようやく手中に収めることができる希望もあるのだと。


つまり心に留めておいた言葉を、言葉のままで終わらせるわけにはいかない、ということである。


記念品として後生大事にするのではなく、今ここに活かすことで、ようやくその言葉に意味が与えられる

のだ。そして衝動的に行動に移してみたのである。



しかし、中古買取システムというのは解りやすいビジネスモデルだとつくづく思う。


必要な人には○割で売って、不要なモノは○割で買い取る。その仲介。以上。

一言で説明できないビジネスはまさに「不要」、足繁く通う店内でいつも思う。


捨てを決め込んだことにより、これまでであれば考えも及ばぬ知恵もついた。


本やCDに関しては、近頃近所にできた図書館で「借りる」というワザを覚えたのだ。

所有欲が強いのか、必要なものは買うというこの癖、少しは改善されそうである。


最後の最後まで処分に悩んだものを図書館で発見したとき、ようやく手放す決心がついた。

願わくば最期の瞬間、ともに棺桶に入れてくれと一筆綴っておこうかと思った位の本だった。


戸棚に並んでいる姿を見たとき「あ、いつでも手に入る」と思った。



そこまで決心をつけなければならぬものなら、手元に置いておけばよかろうに。

別にわざわざそんな思いをしなくとも。きっと皆そう言うだろう。


ワタクシにとって「捨てる」ということはすなわち、自ら退路を断つということである。


物心ついた頃から特に影響力が強かったもの、そこから一旦離れることにより、ようやく思考の柔軟性を

獲得することができる。

そして初めて「心の中の宇宙」という名の、無限のデータベースを駆使することができるのだ。


それでもまだ口惜しいと思うのであれば、単に取り戻せばいいだけの話である。

嗚呼、泰子さんのブログ を見ていたらワタクシめもバッサリいきたくなりました。



現在、人生最長のロングヘアである。ぽにぃ~てぃるまで出来ちゃうんだぞ!


昨年更新した免許証の写真はまるで別人・・・無駄に?ゴールドなため、次の更新までこの写真なのか

と少々落ち込む。


若かりし頃からの友人知人、また何年もお会いしていない方などは今のワタクシめの姿、恐らく多少の

驚きがあるのではないか。

もしくは、ここ一年で出会った方はショート姿を見た時に驚かれるかもしれない。


ちょうど一年前頃は、あまりの忙しさに毎日ひっくり返るような思いで生きていたので(実際過労でひっく

り返った)残念ながら身だしなみに気と時間を遣う余裕がなかったのだ。


その惰性の結果「もっさり」を通り越して、今ではすくすくツヤツヤとした、ワカメのような黒髪ロングヘア

が手に入ったのだが(笑)


ショートヘアがばっちり決まっている方をお見かけすると、後に続け~と美容室に電話をしたくなる。

しかし、まさか自分にこのような感情が芽生えるとは思わなかったのだが、ショートヘアにすることに、

多少の勇気を感じるではないか。


年のせいか・・・とうとう守りを覚えたか。

もしくは「ロングもいけるやん」と開眼したか。


相当昔話なのだが(10代!)ショートヘア時代、かつてお付き合いをしていた男性から「ロングヘアにして

ほしい」と懇願されたことがある。


意外?に忠実なワタクシめ、そこまで言うならば・・・と「らしくなさ」を感じながらも延々伸ばしてみた。

そして、心の内ではやっぱり「らしくない」ことに気がついた。彼はご満悦のようだったが。


特別な関係の人は少なからず自分色に染めたくなるものだ、ということもここで知った。


そして、残念ながらその男性とお別れした瞬間、即刻バッサリ切って「何かあったのか」と周囲に心配され

た記憶がある。


鼻っ柱が強い10代、髪型ごときでアイデンティティを譲るわけにはいかぬ!と心に誓ったのだが。

そのアイデンティティ、20年近い時を経てどこに行ってしまったのやら。


実は、ロングヘアのほうが「楽」であることに気づいてしまった。

最悪、髪結んどけばえぇやん、ということである(笑)


とか言いつつ嗚呼、泰子さんのブログ を見ていたらワタクシめもバッサリいきたくなりました、と振り出しに

戻るのだが。


只今、人生最長の未体験ゾーンにて切るか、切らぬかの狭間で揺れているのである。

時に、こんな遊びもできるのだけど。



「私小説日和」 あんだー  the sun





おや?携帯メモに残されいた言葉に唖然とする。


「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」


メモ帳で間に合わない場合はこうしてメールのテキストに閃きの種を残しているのだが、一体何を目指

しているのだよ、ミー・・・少なくとも日本は大統領制じゃないし、王様はいないのだが。

(王様のように振舞う人はいる)


「私小説日和」 あんだー  the sun


しかしまあ、これは永遠の若輩ワタクシめの、人生のひとつの真理のように思う。


お恥ずかしや、何を隠そうつい最近まで「夢」と「志」と「目標」と「人生」を混同していたのである。


夢を叶えることが志であり、

志を貫くことが目標であり、

目標達成が人生であり、

人生とは、夢を実現することである。


元々正しく言葉の意味を捉えることが得意な聡明な方には基本の「キ」なのだろうが、これは大いなる

誤りなのである。


これらの違いに気がついたとき、これまでどうもしっくりこなかったワタクシめという存在そのもの、この

期に及んでようやく帳尻が合おうとしている。


「夢」も「志」も「目標」も「人生」も、よくよく目を凝らさないと見えない境界線の隣に、別セクションのパー

ツとして存在しているのだ。


夢がない、志がない、目標がない、人生って何ぞや?


という壁の手前で只今悶々と思案されている人がもしいるならば、おそらく全てのセクションが頭の中で

筑前煮状態になっているのではなかろうか。


違いの解釈のひとつとして、半ば強引に公式化するとこう準えることも可能かもしれない。



(夢+目標)×志≒人生



更に、各要素を分解してみると


「夢」とは現実化されていない物事や知識である。

「目標」とは目印、水準である。

「志」とは心の持ち方である。

「人生」とはこの世に生きている生活のことを指す。


これを前述の


夢を叶えることが志であり、

志を貫くことが目標であり、

目標達成が人生であり、

人生とは、夢を実現することである。


に当てはめてしまうと、なにやら違和感があるではないか。


これはワタクシめが開眼したひとつの解釈なので、正当化するエビデンスは、ない。

唯一、まさに体現することでしか答えを証明することはできない。


しかし「似て非なるもの」で延々悩ましきを追求し、時間を消耗するのはナンセンスであること、早急に

気づいたほうが良いのではないか。


そう、「人生」の正体は「時間」でもあるからだ。

職業ブログ のほうにもリリースのとおり、身体のこと、姿勢のことについて学べる小冊子がようやく

完成したのだ!


このような方にお届けさせて頂く予定です。


◆ SISEI-UPのメソッド、考え方に興味がある方

◆ 戻らない骨盤矯正に興味がある方、スタジオ入会を検討されている方

◆ 身体のしくみをもっと知りたい方

◆ 一生持続可能な身体を自分で作りたい方

◆ 美しい姿勢を手に入れたい方


薄着の季節もなんのその。


一生涯取替え不可能の勝負服・・・「姿勢」に関心のある女性のお手元に届いたら嬉しく思います。

よろしければ身体のことを考える小さなきっかけとしてお読みください。


ちなみにこの小冊子、無償で配布させていただきます。

お申し込み方法は別途アップさせて頂きますので、もうしばしお待ちあれ!



「私小説日和」 あんだー  the sun