第一相治験参加 | 宵の明星(卵巣がんを受けとめて)

宵の明星(卵巣がんを受けとめて)

2009/2父がすい臓癌3月母が肺癌発覚。二人の看病中同年/11月私に卵巣癌発覚。自分の抗癌剤治療中(TC6回)両親を看取り喪主を務める。2011/3再発TC11回終了。途中カルボアレルギー。2012/10カルボ脱感作+ジェムザール、ハイカムチン、ドキシル、アバスチン治療中

今日は調子が良いので長く書きますね。


2009年11月はじめ。
卵巣癌です。と当時の婦人科医師に言われ、
私達夫婦がとった行動は、手術までの2週間の間に、当時有名な婦人科の医師にセカンドオピニオンに行くことでした。
病になったばかりで質問することさえもまとまらない私達に、30分の決められた時間、その医師が教えてくれたのは

『自分の病気を知りなさい。金原出版の卵巣癌ガイドラインを読みこなしなさい。
そして手術では目に見える全てを取り切ってもらうように頼みなさい。今はこれが重要です』
と言いました。

当時、実父が膵臓がん、実母が肺がん。
どちらも進行が早く、隣に住む私1人がそれぞれの診察に付き添い生活全般を支えていましたが、ここで私までがんになったのは、同じ気持ちになって支えよということなのか、と驚きもしなかった。
主人が、卵巣癌手術例が多い病院に移ろうと繰り返し私を説得しましたが、両親と同じ病院でなければ時間的にも支えることができないから。と私はそこに残りました。
実際、同じ時期に入院が重なったりして、病院内で共に過ごしたり、両親の主治医にふいと相談できたりと、ふたりの側に少しでもいたかった私には選択の余地もなかったのです。

けれど手術が終わった時に医師に言われたのは
『腹膜に握りこぶし大のものが取りきれなかったのでそれは抗がん剤で対処していきましょう』
だった。
その後、今の病院でのCTで下腹部に取り残しのホチキスが残っているのを見つけられたりして
先日MRIを撮るときにだいぶ心配した。
結果、撮ることができる、と聞いて胸を撫で下ろしたけど、こんなことで未だにあの若い医師は私を苦しめるのか。と身が震えた。

私達の目の前でガイドラインを開き抗がん剤の副作用を話し、また、どうせ死んでしまうのに何故ジタバタと勉強しているのか、と聞かれたときに
あなたのお母様もきっと生きたいがために深く考えることでしょう。と小さく言ったら、
僕の母はもう死にましたから。と言って笑った。

たまに思い出すけれど、私が人を憎まずにすんでいることに感謝している。それだけそれからの日々は悲しくて、うれしくて、しんどくて、輝かしくて、彼を哀れと思ってもそれ以上の感情はないから。

主人は初めからガイドラインを理解しようと勉強していた。
医師は、手術前は初発抗がん剤治療に希望したウィークリーTCも可能だと約束してくれたから
病院を移ることを断念したけど
手術後、やっぱりできません。と言われて再発の覚悟を決めたようだ。握りこぶし大の取り残しもあるしね。
当時は手術をしたあとは転院はありえない常識だった。
再発をできれば後ろに持っていきたかった希望は少しづつ担当医師に潰されて、その頃の主人はいつもパソコンの前に座りながら正しい知識を得ようとしていた。
私にはところどころマーカーで線の引かれたガイドラインを見せて、『知らない』ことで不安にならないように噛み砕いて説明をしてくれた。
そして、じきにくる再発にむけて準備をしていたようだ。

卵巣癌は抗がん剤が終わって半年以降に再発をしたら同じ薬が使える。
なによりカルボプラチンが特効薬であるのはしっているよね。
9年前の当時も、再発をしたらTCをつかう。ということはわかっていた。そこで主人は、
そのTCにアバスチンを重ねている治験がある情報をチェックしていたの。
初発治療が終わって10ヶ月後、数値が倍々に上がっていった時、その治験の話を聞きに周り巡って出会ったのが、今の主治医の勝俣先生です。
治験は薬剤会社が進めるのが通常ですが、医師主導でしているこの治験に、主人は並ならぬ効力を感じていたのでしょう。
けれど勝俣先生は、
この治験はマンスリーTCと合わせることになります。初発でウィークリーTCをすると再発まで10ヶ月マンスリーより延びるというエビデンスがありますから再発治療も治験ではなくそれを重んじましょう。
そう言って、受けられる腫瘍内科を紹介してくださったのです。
それは当時の病院内、院内での転院でした。


再発治療でカルボプラチンに次のレベルは『死』という重度のアナフィラキシーショックがでましたが、ちょうどそのころ勝俣先生が日本医科大学武蔵小杉病院で腫瘍内科をたちあげ、脱感作を施してくれる情報を主人が調べて、
100人に一例は最悪の事態もあることを知り、
だいぶ不安もありましたが心を澄ませて移ったんです。




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勝俣先生のところに移ってきてから5年だろうか6年になろうか。
ひとり不安と闘いながら病気について勉強していた主人にとって、質問に丁寧に答えてくださる勝俣先生は本当に力強い方だったでしょう。
私は体調をよく把握し不調を丁寧に伝えながら
日々を楽しく過ごしていることが役割だからね。
主人は診察日に時折、気になる治験を見せたりして先生の考えを仰ぎ、それは信用できません。と説明を聞きながらなるほど。と納得する。
私の副作用症状に効きそうな薬を調べては先生に相談をする。
そんな日々が、この病院にきて7レジメンもの抗がん剤を不調はあれども続けて受け、そして今に繋がってゆく信頼で結ばれた過程となるのです。



さて本題。ぷぷ。長いね。ここまで。

私はもはや全てのエビデンスのある抗がん剤を一巡しました。
身体は初めの方の抗がん剤を忘れてしまうこともあるようだから、かつて効いていた抗がん剤をする。という方法もあります。もう9年前だからね。
けれど、主人がいつもチェックしていた治験一覧で気になるものをまた先生に尋ねました。
そうですね。
それならやってみてもよいでしょう。


治験って聞いたことがあるかと思うけど、
細かいことはちょっと下記を開いてみてね。

治験の流れ 

治験はね。まず動物実験からはじまるの。
過酷なものなんだと思います。
同じ一つの命である重さに、充分に想いを馳せなくてはならないね。
そして、なんとかつかえるのではないか?という段階から第一相に入ります。
繰り返しになるけど動物実験の次の段階です。
上記の『治験の流れ』を読んでみるとわかるとおもうけど、この薬を人間に入れてホントに大丈夫なの?
これが大きな目的です。

第一相から承認まで約10年。
第一相に100の色々な治験の種類があったとしても10年後に承認までこぎつけられるのは3つだけ。
こんな話を聞くとね。
エビデンスがある。という意味をとても深く考えるのです。それまでどれくらいの苦しく悲しい患者が、後の希望になるように。と身を委ねた意思を。

動物実験
第一相試験(フェード1)
第ニ相試験(フェード2)
第三相試験(フェード3)
承認


第一相はそんなに人数はいません。
第三相になると数百人規模になるって書いてあるね。
そしてそれぞれに受けられる制限があるのです。

私はね。
今までいろんな種類の抗がん剤で命を繋いできましたから、この薬を投与したことがある人はできません。というような制限におよそ引っかかります。
だからね。
私が受ける治験は第一相しかないのです。

あのね、
再度伝えたいのは、治験はエビデンスないんだからね。それをより安全でよく効く為に実験するものなんだからね。
エビデンスのある治療が、どれほど素晴らしいものか。をよく理解してね。

『標準治療』というけれど、それは、日本で日本人に合わせて10年にも及ぶ歳月を経て検証された『最高の治療』なんです。
これはとても大事なこと。



10月末に治験を申し込みに行って、
どんな治験になるのかもわからない状態のまま、
それでも、受けられないような状態にならぬように気を遣いながら11月末ようやく診察日となりました。
聞かされた治験の種類が、主人が望み主治医も後押しをしてくれたものでしたので即答で申し込みました。
第一相ですからどんな副作用がでるかわからない。ということで、初回は約1ヶ月弱の入院となります。入院は12月半ばかな。
ちょうどクリスマスも暮れも明けも、私の誕生日までも含む日程になりますが、しかたないね。
治験の種類は教えることはとめられています。
だから聞かないでね。ごめんね。


何を用意したらいいのか。
まるで考えられないや。
もし効かなかったら。
そんなことも想定している。

だけどね。
だけど、

希望も持ってるんだ。

握りしめて小さくなっちゃったけど
それにはぎっしり想いが詰まってる。
キラキラそれは輝いて、夜空に放てば星となろう
でもしばらくは手の中で
私の近くで守ってもらおう。

それだけ不安も大きいの。





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