新しい棲家(すみか)へ | 宵の明星(卵巣がんを受けとめて)

宵の明星(卵巣がんを受けとめて)

2009/2父がすい臓癌3月母が肺癌発覚。二人の看病中同年/11月私に卵巣癌発覚。自分の抗癌剤治療中(TC6回)両親を看取り喪主を務める。2011/3再発TC11回終了。途中カルボアレルギー。2012/10カルボ脱感作+ジェムザール、ハイカムチン、ドキシル、アバスチン治療中


『○○ゆみさん、どうぞ。』
ギターを弾いて笑っていたその人は、今日、わたしの主治医となりました。
masayoさんのセカンドオピニオンの時に廊下で待っていたこともあって(探検済ってことね)
それぞれの病院が持つそれぞれの雰囲気の中で、ここも自分には違和感もありません。

持って行った画像を見ながら、
今どこかに痛みはあるか、飲んでいる薬の事、既往症、そのほかいろいろな質問に答えた後、
私達はこの脱感作療法のことについてもう一度聞きました。
まず原液の1/1000→1/100→1/10→原液と時間をかけてカルボプラチンを落すこと、
アメリカでは100人にひとり死者が出ること。
1/10くらいがアレルギーの出やすいラインだということ。
出ても抗アレルギー剤を入れて、さらにゆっくり落とすことで対処ができるということ。

主人はどうしても不安でたまらないようです。
私がアナフィラキシーショックを起こした時に、相当な恐怖を見たのでしょう。
私にはわたしの不安があるけれど、
主人には主人の、ぬぐいきれない恐怖がある。
ずっと、車でも、うちでも、やめてもいいんだよ。って自分に言うように言ってくる。

そして、腫瘍内科がここ最近に大事な事だという緩和医療について。
効き目が見込まれない抗がん剤や治療を続けるよりも、自分の大切な事ややりたいこと、
楽しい事をして過ごす方が2ヶ月程度寿命がのびるということを踏まえて、
ゆみさんは最後はホスピスを希望しますか。と聞かれました。
私『私達はそのさいごの場面について夫婦二人まだ話し合ったことはありません。
最後にホスピスに入るお金もどのくらいかかるか調べていませんし、もしそこに私が入ったらこの人は毎日そこに来るでしょう。それは自由業の彼にとってたいへんな事です。そのときになったら、ホスピスというよりも自宅で。と答えるかもしれません。』
主人『私は家でと言ってあげたい。そのために胸にポートを入れたところでもあります。』
医師『わかりました。最近は在宅で看取る人がふえています。横浜には信頼している医師がいますからそのときには紹介しましょう。』
私『近所のお医者様ではいけないのですか?』
医師『癌の痛みを取るにはモルヒネが必要になってきます。その扱いに精通していなければならないのです。風邪一つひいても診てくれなかったりしますからね』
私『じゃ、その時はよろしくお願いします』

そんな話もしたりして長い時間お話しました。
そんなデータが出たことを知っていたのでびっくりはしなかったけど、
ちょっと落ち込むかもしれないね、初めてきいたら。
もう、質問はないですか?となんども聞かれました。
なんとなく、主人の瞳が曇ってるようで、なんともいえなかった。

治療室の看護師さんと、隣の部屋で入院手続きや今日のレントゲン、採血、心電図を受ける説明をひとしきり聞いて、私は彼女とよろしくと握手をしました。
これからよろしく。
ずっとよろしく。
勝俣先生とも握手してくればよかったなあ。

主人はまだまよっているようです。
そんなに苦しいならもう一度ききに行こうよって言ってるところ。
アレルギーのとき、私が、そうだ、周りがぐるぐるまっしろになったよ。って言ったら、
なんであの時先生に言わなかったんだって。
だって忘れてたんだもん。

気持ちを納得させなきゃね。
また行くことになりそうだなあ…。

明日も雨かな。
気持ちも落ちる雨にならないように、
みんなのこと想ってるよ。
皆がわたしを想う以上に、いっぱいいっぱい想ってる。
あしたもいい日でありますように。
わたしも、みーんなも。