命咲き誇る春
死と再生と生命
キリスト復活の時期にローマ教皇が帰天と話題のキリスト教
という事で宗教と文化について
神は言葉で世界をつくったとされるが
たしかに考えてみると
文化とかいうのは語られたものに過ぎず
何をどう語るかで文化というものは相応に変化し社会も変革する
ものそれそのものは語りうるものであり
語りえないものはさておき
存在する、認識、知覚できるという事だが
ここに介入して我々を混乱させるのが文化
文化を混乱させるのが新しいもの?というか分類
それをしちゃうのが人間であり
諸行無常な支配と征服の相剋だが
聖書にはこうあるそうである
何をする前にも
自分自身ではなく神を信じろ
そうすれば全てうまくいく
自分の理解ではなく
どんな時でも神を信じれば
神は正しい道に導いてくれる
時にその過程は辛く過酷であっても
神の計画はいつも最高のものであり
神が沈黙している時は
貴方の為に何かを為されている時である
神は貴方を祝福し
貴方を他者への祝福とする
と
これは三島由紀夫の
ものは決まりきってる方が逆に自由やん的な考えと同じように思えるし
キリストの死と再生という神への過程も
反キリストを謳ったとされるニーチェの超人思想と同じように思う
社会という
文化とか物語化した空間において
生命を模倣する嘘のはずの芸術を模倣するよう
支配されそれをまた征服する我々の生
自由だと思い込まされている限界地点で
善悪の彼岸の大義を見出すには
何かを目指す少年のような
宗教的か道徳的である時期が必要なのですかな
おまけ