天国への扉 | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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男は煙草と美学、女は酒と陶酔、あちしは神と信仰という地上とは違った春こそ誠実と愛。

民主主義というのは
ソクラテスに死刑判決を出したりヒトラーを独裁者にしたりしたわけでニーチェ的には国家というのは一つの巨大な虚偽でありそれが噛むための歯から内臓まで全て嘘だというが、芸術もまた嘘であり、いつの世も巨大な金額を動かす嘘は芸術の名で呼ばれてきたし我々同様に国家も金銭を必要としていて所謂悪党というのがこの世から居なくならない前提であるがこの均衡そのものが目的論的言論統制になるのを踏みとどまらせている状態について考えれば国家や都市は女性的、女像や女神やイブと捉え易く、文化というのが巧みに感覚を利用して生活を司り競争や経済などをも魔術的に操りもするのだろうが言葉によって左右される故に肉体的、身体的な行事や作法振る舞いや伝統によって貫く事を以てして形態を維持することは男性的、土くれやアダムや男像、男神的として捉え易い。

このやうに男像と蛇の巻きついた女像のもつれあいというのが正常で健康的な国家のあり方だと思われるうえで国家が認めている宗教の自由というのはおもしろい。

これは宗教観ではなく国家観の自由となっているはずで、バイブル的な何故神は我々を救わないのか?という問いに対しての、最初の女が蛇に誑かされて男を唆して林檎食ったうえに人類とかいうのを救う為に神が遣わしたその息子を殺めたからやで、という答えに対して恣意をもってnpc的質問を繰り返す仏教的実存ありて、これはおそらくはるか以前から続く内政的な都会対田舎的通対野暮の相剋運動に他ならぬと思いてバイブル的感覚を研ぎ澄ませば、今の世でユダヤ人批判的な連中ほど抽象的にはそのユダヤ人的っぽいなと感じつつ、テレビをつければニュースはいつも遺棄系事件。

ならば法律は復活に対してはどういう対応をとるのだろうか?復活罪?復活税?それなりの対応があるはずだが気になるというのは、つまり、そういう映画とかドラマでもつくったらおもしろいと思うんだけど、マンガとかアニメの実写版ばっかりつくって、一体なんなんですか?



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