日米安保 | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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ではなくて安保理
特に日米安保や
国防という安全保障における懸念から
米政府から待ったがかけられたという
日本製鉄によるUSスチール買収計画

なんと買収出来なかった場合は
違約金約800億円という報道


韓国の大統領が

何と唐突に戒厳令を出したが

勿論失敗に終わり

勿論失脚目前ということだが


次の候補は

勿論民主主義的に選ばれるのだろうか。


私も投票した兵庫県知事選挙
騒ぎの発端となった故人が墓に持って行くつもりで自死し知事も決して口を開かなかった問題が第三者の手でどんどん公開されてゆく状況にて、ルールと一匹というテーマに立ち返らされる気分なのであるがその一匹側から常に問題が取り沙汰されるのであり、(三島由紀夫の言葉だったか、犬が人を噛むのでなく人が犬を噛むからニュースになるのですな)本来その一匹の役目を公的に請け負うのが政治家だと思っているのだが、今回またもや兵庫県知事を問題視沙汰(本来もっと報道すべき問題、また、このような問題視沙汰がある事でしか機能できない分野や世論なるものを形成、誘導する事で責任を分散回避しつつも利潤や権益を設けるという企業的パロディ、つまりこの人間一般の社会にある機械主義とでも呼ぶべき姿勢が確かに存在する事が垣間見れる気がする)に巻き込んだ女性の言葉に「選挙は広報の総合格闘技」とある。つまり格闘技とは抽象名詞に他ならず、要は欲求される承認と実態が反比例するかのようなものなのだ。人類(国家と人間の関係を超えた思想)、平和、勇気というように、ある意味憲法や法律のようにどう解釈するかどう振り回すかというような部分があり、抽象的な物いいとはよくゲームや遊びに、つまり、現実や実際の抽象で擬似や類似体験、トレーニングに過ぎないようなものなのである。

そして格闘技という言葉の抽象度は高くは無い。なぜならば、それなら戦いや単なる格闘の方がふさわしいとなるし、喧嘩の方がまだわかりやすい。ところが、なんとスポーツの定義と隔離をしている為に時として何でもありや殺し合い、争い、それがダメならインチキ、八百長、パフォーマンスとしての意味とし揶揄されてしまう事もできてしまう、都合上万能だが抽象的には実はよくわからない言葉だからである。格闘する時に使える素手の技術全般を指してありもしない学術や権威的にそうなのかもしれないが、もうボクシングを格闘技と呼ぶ事の意味が理解できると思う。格闘技という抽象名詞にはそれが抱擁したつもりでいる各々の競技や技術の文化や歴史、血と汗と涙みたいなものをカバーするだけの時間もキャパもそれだけの事をしようとしている人間さえも存在しないのである。


その格闘技のレスリングマット?の上で来年までライセンス停止中のガルシアと安保がエキシビション。

ガルシアの煽りは安保がエキシでパッキャオを倒しに掛かったのが癪に障った。安保はケツモチというか、那須川が開いた門から押し寄せてくる外来ボクサーからライジンのリングを守るという感じだろう。

ボクシングではガルシアもタンクも来年にテオフィモ戦を意識した発言をしていておそらくウェルター級が彼らの舞台となるだろう。安保も今回スーパーウェルター級?のエキシだがボクシングに自信があり結果次第で集客が見込めるならレスリングマットではなくボクシングの床の上でウェルター、スーパーウェルター級のボクシングを体験してみるのも良いかもしれない。

更に数日前に壮絶な計量失格を演じたモートンがそのままライジンでエキシビション。相手は確かALAジムの選手だったはずのパガラで以前井上のスパー相手だったとの情報も。こうなってくるとボクシング方面人達の注目は井上尚弥に集まるだろう。本当の意味での海外進出、何処までの階級制覇、活動期限。p4p一位の称号をほしいままにする事は追う者から追われる者になる事を意味し、その包囲網は間違いなく押し寄せているはず。


そして

ジャロン エニスとの対戦が決裂したバージル オルティスは期待のザヤスと対戦合意か!





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