入れ墨⑧—天空と赤男爵— | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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潜伏中に考えること

それは

ボクシングがスポーツなのか
格闘技なのかということ。

ボクシングはスポーツである。

相手を攻撃する武器は拳のみ。
スコアの対象は上半身のヘソから上と
耳から前の急所のみ。

ベルトライン打ったら反則だが金的そのものでなければ或いは脚を打っても注意もしないレフリングも目立ち、ラビットパンチも勿論反則だが耳の周り、真下真後ろはテンプルである。



寸止めの武道や、金的や目つきや引っ掻きに髪の毛掴むのを除いてあらゆる攻撃が解禁された総合格闘技とは違う、制限の中にうまれる達人達。

格闘技の方は法治圏外での人体の有能さを謳っているのかと思えば、まあそうだろうが、昔最初らへんのUFCでキモの師匠のジョーサンが寝技中に金的にパンチ百発くらい貰って負けてたり、バーリトゥード以前のビーチファイトで寝技以外機能不全な地の利でグレイシー達が技を磨いたり、実際乱闘中に寝技使ったのなら顔踏まれて終わりだったり、階段や危険なフロアでは使えないという、基本一対一を想定した術である。



例えばであるが、
球技のルールで肉体攻撃を解禁したとしたら、球を何処かに入れる入れられる前に相手を倒してしまえば済むのであるから全ての球技はボクシングに行き着く筈だ。このように制限の解禁のギリギリの境界にそびえ立っているボクシング。


つまり

ボクシングはスポーツだ。




潜伏中にわざわざ記事を書くのは

今日妙な噂を耳にしたからだ。



あのゲイリーラッセルJr
亀田和毅がやるという噂である。




ラッセルはフェザー級はもう上がってしまったはずで、皆んなから逃げられていて仕方なくライト級やウェルター級までいくみたいな感じで、デイビス戦でやられるまで実によく善戦していたサンタクルスと遂にやるのかもなと思っていた。


零戦という日本の航空技術が世界の水準より抜きん出た束の間の真空状態。そのような天空の住人であるボクサー達の一人であるラッセル。
被り物もファラオ的。

夢の痕の瓦礫の中で生き残り何かを立ち上げるピンチをチャンスに替えるような原動力となったような反骨心や克己心、大義と倒錯と教育のパラドックスの毅然さを物語るような流派のボクサー達の一人である亀田。


一体どうなるのか


そして

レイバルガスはどうなったのか?







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