前回の記事からの続きになりますウインク




幼稚園の頃は、

ひとりぼっちでいることはだめ、可哀想、

という概念はありませんでした。


幼稚園で一人で砂場で遊んだり三輪車に乗ったりしていた記憶もありますが、

ただ楽しんでいたし、その時に寂しかったという記憶もないです。



でも、小学1年生の時に

「ひとぼっちは可哀想なんだ」という概念が入ってしまってからは、一人でいる自分を恥じるようになりましたショボーン


そんな概念が入る前までは、一人で遊んでても平気だったし、ただ楽しかったのにえーん




そして、「友達がいないとだめなんだ」という思いにも、とらわれるようになりましたショボーン



そこから私は、「友達」というものをすごく意識するようになります。





私には、小2のときにすごく仲のいい友達がいました乙女のトキメキ



気が合って、仲良しで、大好きで、学校でも放課後も、この子といつも一緒に遊んでいましたニコニコ


めっちゃはにかんで笑ってますが、他の友達と映っててこんなに嬉しそうにしてる写真はないですニコニコ




この子のことは本当に大好き過ぎて、一緒にいることが当たり前過ぎて、

「友達だ」と考えることすらありませんでした。


でも、他の子に関しては

「この子は友達かどうか」っていうのをすごく考えていたし、友達と思ってもらえているのか第三者から見て友達に見えているのか、っていうことをすごく気にしていました。


まだ小学生の、8歳9歳とかの時ですよ…驚き




それはきっと、

「友達がいないと可哀想なんだ」という概念にとらわれていて、可哀想なことは恥ずかしいことだと思っていたからだと思います。


恥ずかしいのは嫌だから、「友達がいる私」になりたかったし、そうなれているのかいつも気にしていました。





でも、私の「病」の星は人との何気ない関わりの中から幸せを感じたい星なんです。


外側の「友達」か「ただのクラスメイト」か、なんていうラベルなんて気にせず、ただ目の前の子との関わりを純粋に感じたいんです。



そこを感じたい私がいるのに、友達なのかどうかがどうしても気になってしまう私もいて、

そこでいつも葛藤していたから、子供の頃お友達と関わることが苦手だったのかもなぁ、と今になって思います。




でも当時の私の感覚や気持ちは、今になってはほとんど思い出せないなぁ…と思っていたら、


そういえば!!


小3のときに、毎日担任の先生に提出していた日記があったんですキラキラ



それを探してみたら、ありましたおねがい



心ノートキラキラ


タイトル通り、私の心の中のことがたくさん書かれていましたおねがい




読んでみて意外だったのは、常にクラスの子と関わっていることでした。


私は、自分は小学生のとき友達があまりいなかった、という印象が強いのですが、全然そんなことなく、クラスのいろんな子と休み時間は過ごしていたみたいですびっくり



たぶんそこの記憶のかけ違いも、

私にはちゃんと友達がいるのかどうか」という思いにとらわれすぎていて、常に不安だったからなんじゃないかなぁと思います。


まだ小さかったのに、いろいろ考えたり感じたりして葛藤してたんだねぐすん




この日記とか、当時の気持ちがすごく出てるなぁと思います。



「友達」っていう外側の形を得られて安心してる気持ちと、お友達ができたことが純粋に嬉しい気持ちが混ざってるなぁと思います。


で、また先生が「友だちをふやそうと思っています」にラインを引いたりするもんだから、お友達を増やすのはいいことなんだ!!っていう考えが強化されるわけなんですけど笑い泣き




でも、読んでいると、

私の心が動いているのはやっぱり、大きなイベントごととか、何かを達成したときとかではなくて、日々のクラスの子たちとの何気ない関わりの中なんです。



例えば、

みんなで遊んでいて私が転んでしまった、という日記があったのですが、みんなが心配して「大丈夫?」「怪我ない?」って声をかけてくれたようで、

「そのとき私はとてもうれしくなりました。いたいのになんでうれしくなるのかな」って書いてあって、


この感じはとても「病」の星っぽいです流れ星


そう感じたことが、というより、

ここにわざわざフォーカスして、日記にまで書いていることが、です。




あと、給食をひっくり返してしまったときに、いろんな子が自分のティッシュをくれて片付けるのを手伝ってくれた、という日記があったのですが、

「うれしい。うれしい。うれしい。私はそればかり思っていました」って書いてあって、


これも「病」の星の感覚だなぁと思いました流れ星



普通に誰でも嬉しいとは思うんですが、他の人が1で感じるところを、たぶん10くらいで感じてるんですよね。

それが、文章の表現の仕方でなんとなくわかります。




他にも、クラスの子が自分に向けてくれたさりげない優しさが嬉しかったという趣旨の日記がとても多くて、


自分の記憶では、友達があまりいなくて惨めだった、つらかった、という印象がとても強かったのですが、

全然そんなことなかったんだな、ちゃんと世界の優しさを感じていたんだな、と正しい記憶を今になって取り戻すことができた気がして、


今の私は、とても嬉しかったです照れ





前回のブログに書いたように、十二運星にある星は、どうやってもそうなってしまう星です。


私はどうやっても、「病」の何気ない小さなところに大きな幸せを感じる性質が発動します。



でも、「それを許さない思考」が必ずどこかの段階で入ってしまうため、そこで葛藤が生まれてしまうわけです。


なぜそれが入るかというと、人生の中でその葛藤を通して学んだり、身につけたりしないといけないことが何かあるからなんですよね流れ星




また、次に続きますウインク