うちにいる愛兎を

優しい気持ちで見つめていたとき

そういえばこの溢れ出るような感覚

この気持ちで世界を眺めていたことが

多かったことを思い出す

 

優しくて愛おしくて

存在が尊くてたまらないという

何とも言えない聖なる感覚

 

こういう瞬間が訪れる度に

「神様の気持ち」

っていう名前をつけて呼んでいた

そんな覚えがある。

 

「神様の気持ち」

というのは本当に尊くて

今この瞬間に存在している全てのものに

目の前のものに

全身全霊で感謝と喜びで

心が溢れている状態のこと。

 

この感覚が自分を包み込んでいる

そんな時間が好きだった。

 

いまだにその頃の記憶が

今日の自分を紡いでいる。

 

これまで命を繋いできた

光の世界に住むスピリットたち。

 

今この瞬間を生きているのは

光の存在が

なんどもなんども

気が遠くなるほど古い昔から

もっとずっと遠い遠い昔から

命をつなげてきてくれたから。

 

大切に紡ぎあげてきた

スピリットの集合体が

人生の道を

光で照らし出している。

 

神様の感覚は優しくて

いつでも見守られているという

優しい感覚を思い出させてくれる。

 

家の中も綺麗にしていても

自分の為だけの空間だと思うと

掃除することに気乗りしないことも

出てきてしまったりするのだけど

いつでも見守ってくれている

存在たちが

この部屋に訪れるのだと思うと

綺麗に浄化しなくてはならないと

自然とスイッチが入ってくる。

 

今まで出会ってきた人たちの多くが

霊感があったり見えないものを見たり感じたりする

個性をもっていた。

自分自身でも見ることはできなくても

たくさん感じることはあったように思う。

 

生まれ育っていく上で

母から不思議な話を何度も聞いていた。

小学生の頃は常に祈りと共にそこに

神様がいた。

「神様の気持ち」で生きていた。

 

この感覚と感性は

自分の中では普通であり当たり前である。

だけれども

失ってはいけない光だと思い

見失うことを恐れ

守り抜いてきた。

 

この世界を優しく見つめる眼差しは

そこから溢れ出してくる。

 

きっとみんな

心からの優しさというのは

「神様の気持ち」

真っ白く光り輝く心が

与えてくれるものなのだろう。

 

みんなが心に持っている

あたたかい光が

目に見える世界も見えない世界にも

輝きを照らし

瑞々しく潤していくのだろうと思う。