《翔》
すっかり受験モードに突入してピリピリしていた1月の中旬。韓国に帰る事になったハヌルが、見送りに来て欲しいと頼むので、俺達は空港に来ていた。
「久しぶり、翔!と青野君」
「久しぶり〜!うわあ、ハグはやめろ!この、スキンシップ過多野郎!」
「俺にまで抱きつくな!暑苦しい!」
ひとしきりハヌルのハグ攻撃を受けてから、ふと気付いてしまった。俺達の他に見送りが居ない?まさか。
「ハヌル、見送りの人達は?」
「ああ、韓国に帰ることは誰にも言ってないから」
「は?俺達だけ?」
「そうそう」
「帰ったら何かするの?」
「するって言うか、もうしてると言うか……あ、そろそろ行かなくちゃ。またね!翔!聡!カムサ〜」
パタパタと駆けて行く彼の後ろ姿が見えなくなる頃、空港の電子ポスターが変わって、韓国のアイドルグループが表示された。
『デビュー直前インタビュー。今回はグループの要、リーダーのハヌルさんです』
「ん?」
俺達はポカンと映像を見上げる。さっきまでここに居たのは一体?ハヌルと言う名前は、韓国ではよくあると聞いていたし、実際そうなのだろうが。
『デビュー直前まで日本に住んでいらっしゃったそうですが、それはまたどうしてですか?』
『それは、日本に好きな人が居たから……なんてロマンティックな理由ではなく、日本語を勉強していたからです』
『既に日本活動を視野に入れておられたわけですね。何か心に残る日本語はありますか?』
『うーん。“ナゴリユキ”かな?季節との別れにかけて、大切な人との別れを惜しむ言葉です。美しい表現だなと思いました』
『ああ、“名残り雪”と書くのですね。なんだかとても切ない気持ちになる、美しい言葉です。教えて頂きありがとうございます。ところでーーーー』
俺は、ハヌルの事はよく知らないままで、勉強の話以外はほとんどした事がなかった。だけど、ハヌルに“名残り雪”の意味を教えたのは、実は俺だった。
『翔、“ナゴリユキ”ってどんな意味?』
日本語に長けていたハヌルが、一度だけ俺に尋ねた言葉。
あの時、答えながら思ったのは、ハヌルはこの言葉の意味を知っていて、敢えて聞いたのではないかと言うこと。
「行こう、翔ちゃん」
「あ、うん」
青野が俺の肩を抱き、来た道を戻り始めたけれど、人のごった返す空港の中で、俺達を気に留める人は誰も居ない。
いつしか肩にあった手が、指先まで降りていて、手を繋がれていても。俺がその手を振り解く事はなかった。
つづく