2025.12.03
前にこの女将と会ったのは、まだ僕が小さな頃だけど、この人全然老けないなあ。一体何歳なんだろう?見当もつかないや。
『ご無沙汰しております。坊ちゃんもそろそろ大人やさかい、今日は新しいべべお持ちしました』
べべ?ああ、着物のことか。
『新しい着物なんていいよ。そんなの別に必要ないから……』
『今の浴衣もええですけど、それは子どもの物ですやろ?せっかくの機会やし、こう言うのは嫌いどすか?』
女将が僕の前に色鮮やかな黄色の肌襦袢を広げる。ややしっとりと落ち着いた、それでいて鮮やかな色味のそれは、手に取ると柔らかな肌触りで軽くて心地良い。
『……綺麗だね』
半衿が少し橙(だいだい)で差し色になってる。あの人が気に入ってくれそうな色だと、咄嗟に浮かんだのは彼の微笑む顔だった。きっと、眩しそうに目を細めて、頬を緩めて笑ってくれる。
『菜の花色、言うそうですわ』
『菜の花色?これ下さい!』
あの人は僕を「菜の花色」と言った。それなら、あまり大きく色は変えずに、なるべくそれを活かした僕らしい着物にしたい。
そうして僕は、小物から何もかもまるっと新しい大人の物に替えてもらって、今か今かと胸を踊らせ夜になるのを待った。
「あれっ?金魚ちゃん何か綺麗になった?」
出勤して来た智さんの第一声はそれだった。
綺麗になっただなんて、気付いてもらえてとっても嬉しい。と思ったら、智さんは水槽の真正面に立ち、じっと僕の事を見つめてる。
『あわわわ……えっと、何?』
こんなに間近で長々と見られた事が無いから、僕は大慌てで下を向いてしまう。しばらくしてそろっと見上げると、智さんはにこっと笑ってこう言った。
「決めた。俺、明日からバイト終わるまでの1週間で君の絵を描くわ。しばらくモデルよろしくね、金魚ちゃん」
そんな、あと1週間しかないだなんて。だけど、僕の絵を描くって事は、いつもより一緒に居られる時間が長くなるんだよね?どうしよう、寂しいのにすごく嬉しい。
でも、1週間後には、あの人はここから居なくなってしまう。だけど僕にはそれを止める術は無い。せっかく大人になって、綺麗だと言ってもらえたのに、どうしようもないんだ。
つづく