*『ハンドクリームの秘密』翔視点。2025.0911







櫻井翔、27歳。
兵庫県生まれの関西人。


唐突だが、この歳で性的な事に“全くの未経験”と言うのは、ほぼ誰にも言えない俺の悩ましい秘密だ。


さすがにこの歳になるまで、機会なら何度かあるにはあった。あったが、情けないことに、どうしても出来なかったのだ。 


高校2年のクリスマス。同級生で幼馴染みの大野智に、俺は勇気を出して告白した。


だけど、それから何日経っても返事は無くて。俺はそれを『フラれた』んだと受け取った。


態度が変わらなかったのは、彼の優しさや同情で、いくら仲が良くても、無理なものは無理なんだと思い知らされた。


あれからもう10年にもなるって言うのに、俺は新しい恋のひとつも出来ず、彼と離れる為に出て来た東京の片隅で、ごく平凡なアナウンサーを生業としていた。


何であんな初恋を引き摺って、いつまでも新しい恋に飛び込めないんだろう?


ずっとそう思っていたけど、ちゃんとフラれてないからではないかと、最近になってようやく気が付いた。


そんな今日。休みだって言うのに、アラームもかけずにいつもの時間に目が覚めた。


起きた自分を、褒めるべきか呆れるべきか。褒めるべきだろう。朝のニュース番組の担当者としては。


しかし、今日は珍しく連休の初日。特に予定も無い。だけど、今からなら始発で遠出だってできる。


俺は時計の秒針が回るのを見ながら逡巡した。「どうする?」と自問自答もして、やるしかないと腹を括った。


クローゼットからナイロン製の丈夫なボストンバッグを引っ張り出して来ると、手早く必要な物を突っ込み、1泊のつもりで出掛ける支度を整えた。メガネは変装を兼ねた偏光レンズのもの。


最近コーナーを持つようになり、知名度が上がったからなのか、外で声を掛けられる事が増えたので色んな意味で気をつけている。そして俺は、タクシーを呼ぶと、関西に向かう新幹線の始発に乗る為、人気の無い早朝の街を駅に向かった。


木枯らしの吹き荒れる、とても寒い日だった。





つづく