ポスト構造主義についてのchatGPTとの対話 (第四回) | コンセプトカフェ『アイデア・キッチン』 by (株)シンクアップ

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「カフェを開設するまでの奮闘記。開設は3年後くらいです。」
と書いていたら引き寄せの法則か?本当に学校をやめて2017年12月株式会社シンクアップを設立しました。アイデアキッチンという創発会議をやってます。

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私:デリダは書くということ(行為)にも言及していますが、紹介してもらえますか?

 

chatGPT:デリダは「書くこと」という行為を、単なるコミュニケーションの手段ではなく、思考のプロセスにおいても重要な役割を果たすものとして捉えています。彼によれば、書くことは言葉を使って考えを表現するだけでなく、新たな考えを生み出し、世界を再構築するという、非常に創造的な行為でもあるのです。

デリダはまた、「言葉」自体も、固定された意味を持つ単なる記号ではなく、無限に連鎖する意味のネットワークの中で意味を持つものとしてとらえています。そのため、言葉の意味を決定づけるのは単なる言葉自体ではなく、文脈や歴史、文化など、言葉が存在する複雑な関係性の中で決まっていくとされます。

このような観点から、デリダは「書くこと」を非常に重視し、言葉や記号に対する徹底した批判的態度を示しました。

 

私:なにかdescribeを違う単語に置き換えていたように記憶していますが、わかりますか。

 

chatGPT:おそらく「differance(ディファランス)」という言葉のことをおっしゃっているのかもしれません。ディファランスとは、フランス語の「différer(異なる、延期する)」と「différence(差異)」を掛け合わせた造語で、言葉や表象に内在する意味の欠落や不確定性を指します。つまり、意味は必ずしも確定的なものではなく、その意味がいくらかずつずれていくような現象を指しています。デリダは、このディファランスの考え方を書くという行為にも適用し、「書く」とは言葉の意味を完全に伝えることではなく、むしろ意味の欠落や不確定性を含んだ表現であると考えました。

 

私:そうでした。思い出しました。

 

chatGPT:良かったです!何か他にお探しのことはありますか?

 

私:デリダは書く行為による意味の欠落を補うものはなんだと考えたのですか。

 

chatGPT:デリダは、書かれたテキストの意味は書かれた時点で完全であるわけではなく、むしろ読者や文脈によって解釈が変化することを主張しました。彼は「徴候」という概念を導入して、テキストの意味は、それが示唆する全ての可能性を含むものであり、文脈や解釈によって開かれたり閉じられたりすると主張しました。このように、テキストは一定の意味を持っているわけではなく、常に解釈にさらされているということになります。

 

私:言葉にするときに、あるいは文章にするときに、自分の思考すら曲げてしまうことがありますが、そういう現象についてデリダ、あるいはほかの人で言及している人はいますか?

 

chatGPT:はい、デリダは「差延」(différance)という概念を提唱し、言語における意味の永遠の欠落を指摘しました。彼によれば、言語はすべての意味を完全に表現することができず、言葉や文章は常に他の言葉や文章との差異によって意味を生み出しているとされます。このため、私たちが何かを言語化するとき、必ずしも自分の思考や感情を完全に表現できないことがあるということになります。また、デリダは「影響の余地」(the trace of the other)という概念を提唱しており、私たちが言葉を用いて自己表現する際には、常に他者や歴史的・文化的な文脈の影響を受けていることを指摘しています。

 

私:思考をより厳密に表現するのに脱構築という手法は有効とかんがえたのでしょうか。

 

chatGPT:デリダ自身は脱構築を思考の「精度」や「正確さ」を高める手段としてではなく、あくまで意味や価値の不安定性、不確実性、あいまいさを明らかにするための方法として提示しています。つまり、脱構築はあくまでも「解体する」ことで、それ自体が目的ではなく、解体された後のものを再構築することはできないという考え方です。したがって、脱構築を使って思考をより厳密に表現することができるかどうかは、デリダの主張とは異なります。ただし、脱構築の考え方を参考にして、従来の概念や枠組みを疑い、より広い視野で問題を考えることができるかもしれません。

 

私:そういうことを主張する人はいますか。

 

chatGPT:脱構築を主張するデリダ自身も、脱構築があくまである種の「戦略」であり、厳密性を追求するための「手法」であると述べています。彼は脱構築を、ある種の「遊び」であり、「試行錯誤」と表現しました。したがって、脱構築によって思考をより厳密に表現することができると主張する人はいないかもしれませんが、脱構築を通じて新たな考え方を生み出すことができるという考え方があるかもしれません。

 

私:ことば遊びがアイデアをだすのに役立つと考える考え方はありますか。

 

chatGPT:はい、ポストモダン以降、ことば遊びを用いてアイデアを発想しようとするアプローチが一部の文学や芸術の分野で見られます。例えば、オウル・シティの楽曲「Fireflies」の歌詞には、ある種のことば遊びが使われています。また、オウル・シティのリード・シンガーであるアダム・ヤングは、創造性を刺激するために日常的な言葉遊びを行うことを推奨しています。また、詩人のジョン・アシュベリーも、詩作業中に意図的にことば遊びを行うことで、新しいアイデアを発見できると述べています。

 

私:デリダが生涯を通じて、考え方を変えたことはありますか。

 

chatGPT:デリダは自分自身を常に変化する運動的な存在と見なし、彼の思想が進化し続けたことを認めています。彼は自分の最初の著作である『声と現象』で、存在論的な問題を追求していますが、後には「延期」、「跡」、「欠落」などの概念を導入し、その後の著作では、ジェンダーや人種、文化の問題にも取り組んでいます。しかし、彼は自分が一貫した哲学的立場を持っているとも主張しています。つまり、彼の思考が変化しても、彼の基本的な哲学的立場や思考の基盤が変わらないということです。

 

私:『声と現象』についてどのような内容か800字くらいで紹介してください。

 

chatGPT:『声と現象』(La voix et le phénomène)は、フランスの哲学者ジャック・デリダによる重要な著作の一つであり、1967年に発表されました。この著作は、西洋哲学の伝統的な問題をめぐるデリダの考察をまとめたものです。

著作のタイトル「声と現象」とは、プラトンやアリストテレスなどの古代哲学者たちが探求した「言葉」や「知識」、つまり存在を表象する方法についての問題を取り上げています。デリダは、この問題に新たな視点を提供するために、言葉の本来的な機能としての「差延」(differance)という概念を導入しました。

「差延」とは、言葉や記号が何かを表現する際に、それが本来的に意味するものを「差し延べる」と同時に、同時に「先延ばしにする」という両面性を指します。言葉や記号が意味するものが常に不在であるため、それを取り巻く現象や世界も常に不確かであるということを示しています。

この著作では、この「差延」の概念を軸に、プラトンやデカルト、フッサールなどの哲学者たちが抱える言葉と現象の関係についての問題を扱っています。デリダは、それらの哲学者たちが、言葉が表現するものに確実性や安定性を求める傾向にあることを指摘し、それによって言葉と現象の関係についての問題が生じていると主張しています。

また、この著作には、デリダの哲学における重要な概念である「テクスト」(texte)の概念が初めて登場します。デリダは、テクストを言葉や文章に限定することなく、あらゆる形態の表現や文化的な実践を包括する概念として提示しました。これは、言葉や現象が単なる表層的なものではなく、内部に深層的なテクストを有しているという考え方を示しています。

『声と現象』は、言葉と現象の問題をめぐるデリダの哲学的な考察をまとめた

 

私:続きをお願いします。

 

chatGPT:「声と現象」は、デリダが初めて本格的な哲学的論文を発表した作品であり、同時に彼の哲学的思考において重要な転換点を迎えた作品でもあります。この論文では、西洋哲学史における音声の概念を批判的に検討しながら、言語や表現についての新しい視点を提示しています。

デリダは、従来の音声の概念が、口から出される音を対象としているという点に注目します。しかし、彼は言語が単なる音の集まりではなく、表現としての意味を持つと主張します。言語は、表現としての存在としてとらえるべきだというのです。

また、デリダは音声というものが不確かであることにも注目しています。言語の表現は、その表現を受け取る人々の解釈によって意味を持ちます。つまり、音声は受け手によって解釈されることで初めて意味を持つのです。このことから、言語の表現には不確実性がつきものであることが分かります。

このように、「声と現象」は言語や表現に対する新しいアプローチを提示したことで、現代思想史において重要な位置を占める作品となっています。

 

私:音声と書かれたものの違いについてはどうかんがえているのですか、デリダは。

 

chatGPT:デリダは、音声と書かれたものの間には本質的な違いがあると考えました。彼によれば、音声は瞬間的に現れ、消えていくものであり、聞こえた音はすでに過去のものとなってしまいます。一方、書かれたものは時間を超越したものであり、読まれるたびに再現されることができます。

また、デリダは書かれたものが言葉の真の意味を捉えきれていないと主張しました。書かれた言葉は、それが表現している意味に対して、いつでも他の可能性を持っているということです。これは、書かれたものを読む人が、文脈や文化的背景などのさまざまな要因によって解釈を変えることができるためです。

つまり、デリダは、言葉そのものには本当の意味がなく、常に他の意味や可能性を内包しているということを主張しました。そして、それを読む人や文化的な背景などが影響して、意味が変化すると考えました。

 

私:このことはAIによる自然言語処理に影響していますか。

 

chatGPT:はい、AIによる自然言語処理においても、音声と書かれたものの違いは重要な問題となっています。例えば、音声認識技術においては、音声の微細なニュアンスや言葉の抑揚などを正確に捉えることが必要です。一方、自然言語処理においては、文章の文法や構造などを正確に理解する必要があります。

また、デリダが指摘したように、音声と書かれたものの違いは単なる媒体の違いにとどまらず、異なる言語学的・文化的・社会的文脈を背景にしていることもあります。そのため、AIによる自然言語処理においては、このような多様な文脈を理解し、適切に処理することが求められます。

 

私:なるほど、おもしろいですね。

 

chatGPT:そうですね。例えば、自然言語処理において、音声認識やテキスト生成の精度向上のためには、音声とテキストの違いを正確に捉えることが必要です。また、自然言語処理技術を活用するアプリケーションの中には、音声とテキストを相互変換するものもあります。その場合、デリダの指摘が考慮されることで、より適切な処理が行われる可能性があります。

 

私:wisper AIはそういうことを考慮していますか。

 

chatGPT:Wisper AIは、自然言語処理において、文脈や言葉の関係性を重視しています。例えば、文脈によって単語の意味が変わることや、同じ単語でも文脈によって異なる意味を持つことを理解し、それらを正確に解釈することができます。また、単語や文章の意味を理解するためには、言語学的な知識や文化的背景など、多岐にわたる情報が必要とされます。Wisper AIは、これらの情報を複数のデータソースから総合的に収集し、より正確な自然言語処理を実現することを目指しています。

 

私:話ことばにおける、意味のない「えー」とか「あのー」とかはどう処理しますか。

 

chatGPT:話ことばにおける「えー」とか「あのー」といった発話は、言語表現としての明確な意味は持たないものの、発話者の意図や心理状態を表す機能を持っています。そのため、自然言語処理においては、これらの発話を単なるノイズとして無視するのではなく、テキストデータからこれらの発話を検出し、それらを正しく理解することが重要です。

具体的には、音声認識技術においては、これらの発話を無視するためのアルゴリズムが用意されており、一定の精度で検出することができます。また、自然言語処理においては、これらの発話を削除する前処理を行ったり、話し言葉の特徴を考慮してモデルを構築することで、これらの発話を扱うことができます。ただし、人間の言語処理に比べると、まだまだ課題が残っています。

 

私:発話を無視するためのアルゴリズムとはけば取りとかいうものですか。

 

chatGPT:はい、けば取り(filtering)と呼ばれるアルゴリズムを使って、発話中の不要な言葉やノイズを自動的に無視することができます。けば取りは、音声認識技術においても一般的に使用される処理の一つです。例えば、ノイズや口ごもり、発話前後の無音区間、無意味な言葉などを自動的に削除することで、より正確な音声認識を行うことができます。しかし、削除すべき言葉としては、例えば「えー」とか「あのー」といった音声がある場合でも、その意味が発話の理解に必要であることもあります。そのため、すべての不要な言葉を削除するわけではなく、文脈や話者の特徴に応じて柔軟に処理する必要があります。

 

私:話は哲学の話に戻ります。フロイトは言い間違いについて精神分析的に言及していますが、このことは構造主義と、あるいはポスト構造主義と関係がありますか。

 

chatGPT:フロイトの言い間違いについての精神分析的アプローチは、構造主義とポスト構造主義に影響を与えました。フロイトは、言い間違いを現れのレベルと意味のレベルの間の対話の障壁と考え、そのような間違いが無意識の欲望や感情を反映する可能性があると主張しました。このアプローチは、現代の構造主義の考え方に反映されています。構造主義は、意味の生成に対して言語の内部構造を重視し、言葉や表現の背後にある構造やパターンを解明しようとします。フロイトの言い間違いのアプローチは、このアプローチと一致しています。ポスト構造主義は、構造主義に対する批判的な立場を取りますが、フロイトのアプローチは、構造主義における言語と意味の関係を扱う上で重要な観点を提供しました。