ダイヤモンドプリンセス号で起きたことが詳しく知りたい、感染拡大は日本のせい? | コンセプトカフェ『アイデア・キッチン』 by (株)シンクアップ

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「カフェを開設するまでの奮闘記。開設は3年後くらいです。」
と書いていたら引き寄せの法則か?本当に学校をやめて2017年12月株式会社シンクアップを設立しました。アイデアキッチンという創発会議をやってます。


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前の記事で書いたように

ダイヤモンドプリンセス号のことが気になっている。

そこに何か秘密がある気がしてならないのである。

 

昨日になってようやく時事通信が次のような記事を伝えた。

 

「マニュアルなく試行錯誤」 船内の検体採取、困難連続―DMAT医師・新型肺炎:時事ドットコム

「マニュアルはなく、試行錯誤の連続だった」。新型コロナウイルスの集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」では、陽性患者が次々と判明する中、災害派遣医療チーム(DMAT)は懸命の医療活動を続けた。メンバーの医師の1人が取材に応じ、「船の大きさ、乗っている人の多さに比べてマンパワーがあまりに足りなかった。政府は危機対応に備え、感染症の専門チームを作るべきだ」と訴えた。
当時、乗客乗員約3600人がいた船内の「医療班」は、厚生労働省の検疫官や自衛隊の医官、DMATのメンバーらわずか約40人。特殊な環境の中で、多様な組織が重層的に活動していた。  DMATは防護服にゴーグル、高機能マスクなどで厳重防御。12階から3階まで広い船内を一日中歩き回り、診察を繰り返した。英語を話せない外国人の乗客や、パニックになる人もいて対応は困難を極めたという。  中でも乗員が置かれた環境は厳しく、「迷宮のように入り組んだ船内3階の窓もなく狭い部屋に2人一組で入室していた」。ほとんどが外国人で「同室の乗員に熱が出て不安になる人もいた」という。

ほぼ神戸大学の岩田健太郎先生(感染症専門家)が伝えた通り。メディアは完全に後追い取材になっている。今は電話取材もスマホによる投稿動画も可能なのに、取材の努力がたりないように思う。

 

それよりも日本を出港してから香港に行き、そこから予定を早めて沖縄に寄港して横浜港に戻ってくるまでの間の船内の様子が気になる。ほぼこの期間に感染が拡大したものと予測されるからだ。

 

とすると日本政府の対応がまずくて感染を広げてしまったともいえなくなる。

 

その時点でどうすべきであったのか見通しがないままだったのはまずかったが、すでに感染拡大していた事態にどのような手立てがあったのだろう。

 

もう少し丁寧に時間経過ごとに船内の様子を調べてみたい。

 

 

前記事

ダイヤモンド・プリンセス号のこと 

 

追記

「感染覚悟で働いてるから」船内の娘から届いたLINE [新型肺炎・コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

到着数日間、マスクや手袋つけてない人も  「危険性に応じて船内の区域を分けていたとは、聞いたことがない」  妻と2人でダイヤモンド・プリンセス号に乗船している男性(59)は、船内の状況についてそう話す。  横浜港に着いたのは3日夜。到着から数日間は、乗員や乗客のなかにマスクや手袋をつけていない人もいたという。  「横浜港に着いてしばらくは、乗員も乗客も感染のリスクについてそれほど深刻にとらえていない雰囲気があり、感染予防は不十分な点もあったと思う」

5日に集団感染が判明し、船内に14日間とどまることになった。時間が経つにつれて体調不良の乗客が増えた。「医療体制が追いついていない状況だった」。10日ほど前に妻が発熱した際は、自ら歩いて船内の医務室を訪問。受付のいすに7~8人が待っていて、そのまま30分ほど診察を待ったという。また男性の部屋は窓がなく、数日に1度は、ほかの乗客とともにデッキに出ていた。「感染した人もしていない人も混在していたのではないか」と話す。