そもそも
「なんのためにやるのか?」
私ってば、そのそもそもの
「なんのためにやるのか?」が明確にあると
ものすごいエネルギーが湧いて
プロセスが見えてくる。
どんなふうに、どんな人にお願いして
この活動を盛り上げていくのか?
が、めちゃくちゃ見えてくる。
イメージできる
落とし込める
実行まで完結して
それを淡々とやるだけで
ある程度こういう世界が見えてくるだろう
それを見れるのか、見れないかが大切なんじゃない
叶うか、叶わないかじゃない
熱量とエネルギーが湧くこと自体が大切だと、私は感じるのです。
「そもそもなんのために?」
がない活動は、片付けて、だいぶ減らしました。
熱量が増えないものも、手放しました。
「そもそもなんのために?」を1つ、2つほどに絞って、その裾野に広がるもので、自分ができること、できるパーツを精一杯、やる。
そうやって手元に残したものが
福祉
農コミュ
ビジョカツ
全部
「ちょっと先の未来が良くなるように」
祈りに近いことを念頭に。
こう考えるとずいぶんと楽に感じられるように。
もう少し、減らしたら
多分もっと身軽になる。
それは、私の中にある、過去の記憶からなる恐怖や思い込み。
もう別に、いらないものは持ってても仕方がないから
えー加減、捨てる。
何が恐怖かって?
「拒絶」の傷です😇
持ちながら、ありながら、来たけれど
もう、いらんやん。
あんまりそれを持っていても
相手、まわりに失礼やから
捨てたいのです。
捨てよう。
捨てる♡