なんか、思うことや今やってること、飾らず書けるのは
ほんとにとてもありがたい。
仕事だからちゃんとした投稿しなきゃとか思うこともあるけど、結局仕事は女子のためのオンラインコミュニティとか企業さんで、上部のお付き合いをするような社長さんたちでもないので、投稿も気楽でいいやん。
みたいな。
(ブログはもっと自由に書けるぜ)
昨日も勢いで思うこと書いた。
意外に反応悪くなかった(笑)
ありがたい(笑)
だから調子に乗って今日も書く。
昨日も書いたけど、私は今結構真面目に自分と向き合ってます。
でね、また落ち着いたら、そもそも何でそんなことをやりだしたのか?
これも書くね(^^)
今朝方、瞑想をしていると、過去が駆け巡り、涙が止まらなかった。
古いカサブタがめくれてきた。
「何故に悲劇的な自分、可哀想と思われたい自分」
が出てくるのかっていう核心に近い部分。
超絶痛い部分で、受け入れてなかった時代のこと。
そして、わたしはその時代、何を訴えていたのかという本音の部分。
その時の被害者的な観点と、それをいいことに加害者になっていたところ。
悦に浸り、人にぶちまけていたこと
ほんとにキツかったこと
なんか、ウワッと溢れ返ってきて。
被害者というか、事実、受け止めるには大きすぎる事象で、それと共に、自分も鬱になれば周りの人に可哀想と思われるんじゃないかと、そんなことをやったんだなという事実。
そこに愛はあったのか?
愛は確かにあった。あったけれど、愛以上に認めてください、可哀想な私を助けろという圧があったという事実。
このループ。
私はそんな自分を今は認めない。
認めないというか、受け取るけれど、そこが本当に自分が望むことじゃないから、望む方向、望む感情を叶える方向に、自分を諭す。
「私は悲劇のヒロインで居たいわけではなくて、幸せの主人公でストーリーを描きたい訳でしょう?」
「だから悲劇をやめる。
悲劇をやめる!!
やめるの!断ち切るの!!」
と、そう諭す。
私は、気を使って、空気を読んで、人と渡り歩くのはもうたくさん。
私は心を配って、まわりを大切にしたい。
可哀想の視点ではなくて、ひとりの人として、生きていきたい。
彼ともピュアに愛し、愛されたい。
腹の中まで丸ごと愛したいし、愛されたい。
子供は幸せになる。そのサポートがしたい。
家族や自分の手のひらにある大切なものを大切に感じたい。
と思うと、自分の腹の中の中まで見て、強烈なダークサイドと思考グセと、奢りと、辛かったこと、本音を掬い上げるまで
やったるしかないやん(笑)
ということで、真面目にやってます。
あぁ、今まで学んだけど、その時ってただただ聞いてほしくて、核心つこうとしたら逃げてたし、答えを自分で見出さず、考えることなかったなと、ちょっと反省(笑)
最善を尽くそう。
Reira