先日のブログで書かせていただいたブロ友さんがご自分のブログで私の記事に触れてくださいました。

 

 

とても嬉しかったですニコニコ

 

認知症の方の介護をお仕事となさっている方は別として、ほとんどの方が認知症になってしまった親御さんの介護をするのは初めての経験だと思います。そしてそれは何度も繰り返すことではなく、ご自分のご両親であれば最大2回だけです。

 

初めてのことですから当然わからないことだらけで、戸惑うことばかりです。そんな時にとても参考になるのは経験者の方からのアドバイスです。もちろん、ケアマネさんやヘルパーさん、訪問看護師さんや訪問リハビリさんたちから頂く指導・助言も大変貴重なものです。

 

先日のブログでちょっとだけご紹介した高校生の時から若年性認知症のお母様のお世話をなさっていた方(Hさんという女の子)からのアドバイスは本当に参考になりました。中でも、一番「なるほど」と思ったのは最期を迎える時のお話でした。

 

母のお世話返しをしている時に、沢山の方々から励ましのお言葉やねぎらいのお言葉を沢山頂きましたが、ある時知り合いからこう言われました。

 

「この苦しみや辛さから解放されて楽になる時が来るよ。それまでの辛抱だよ。」

 

本人からすれば励ましたつもりだったのでしょうが、私には励ましどころか非常に気分を害する言葉でした。治る見込みのある怪我や病気でしたら治るまで頑張ろうと思いますが、不治の病であると言っても過言ではない認知症患者に対してこの言い方は「死ぬのを待ちなさい」と言われているに等しいです。しかし、前出のHさんだけはそういう言い方はしませんでした。彼女は、「いつかその時が来てしまいます。」と仰いました。

 

私なりの解釈ですが、この言葉にとても大きな重みを感じました。生きとし生けるものには必ず来る時があるのですが、最後の「来てしまいます」という言葉の中には、来るべき時があるのはわかるけど来て欲しくないという気持ちや、認めたくないけど認めざるを得ないという気持ち等々深い思いが詰まっているように思えて仕方ありません。私には「楽になる時が来る」などという言葉とは比較にならないほどの心に深く入り込んできた言葉でした。単なる”言い回しの違い”ではない、重い意味を持つ言葉と受け止めました。

 

物理的なお世話に協力することは出来ませんが、今一生懸命介護をなさっている方へ心の支えと言いますか、寄り添い励ます等の精神的な協力は出来ることも学ばせて頂きました。

 

いずれ母へのお世話返しに終焉を迎える時が来ることは重々肝に銘じており、その時に悔いを残さないようにと精一杯努めてきましたので後悔は全くありませんが、周囲の方々の、介護から看取りまでの経験をなさった方々からかけて頂いた言葉には感謝しています。

 

母がいなくなってから、「いつまでもメソメソしていたらお母さんがいつになっても成仏出来ないよ。」という言葉を沢山の方々からかけて頂きましたが、お一人だけ「悲しみは乗り越えるものでは無いし、乗り越える必要もありません。」と仰ってくださった方がいまして、正に”目から鱗が落ちる”そのものでした。更には、テレビドラマでの一言ですが「泣くのも仏の供養。泣きたいだけ泣くがよい。」という言葉を聞き、無理して悲しみから抜け出さなくてもいいんだ、無理して泣くことを我慢しなくてもいいんだ、と母を亡くした今でも、まだまだ沢山の方々から心のケアと言いますか、支えになって頂いたり励まして頂いたりして戸惑う気持ちの安定を得ることが出来ています。

 

自分がしていただいて本当に救われたことの数々を、今度は今一生懸命介護をなさっていらっしゃる方々の少しでも支えになれるよう役立てていきたいと思っております。