『致知』2019年1月号に載っていますので、

一部引用させていただきます。

中華人民共和国という共産党一党独裁国が誕生したのは、

第二次世界大戦が終結して4年後の1949年。

中国はその翌年にチベットヘの侵攻を開始しました。

「人民解放軍の基本的課題は、本年中にチベットを

帝国主義者の手から解放することである」。

それが中国の大義名分でした。

人民解放軍は、

チベットを帝国主義者から解放することである

宣言して侵攻してきた。

共産主義者が「帝国主義者」というとき、主に「米帝」(アメリカ)、

「英帝」(イギリス)を指します。きっと米英人がうじゃうじゃいて、

人民解放軍は、米英からチベットを解放したかったのでしょう。

当時、帝国主義者とは白人の植民地主義者を

意味する言葉でした。

しかし、帝国主義者どころか、チベット国内に

居住する外国人は僅か7名にすぎません。

そこに中国は2万人もの軍隊を送り込んできたのです。

ええ!!!???外国人は7人しかいなかった

対して人民解放軍は2万人

それなら、「年内にチベットを帝国主義者から解放する」

という目的を果たせるかもしれません。

「帝国主義者からチベットを解放する」という中国の突然の

宣言にチベット政府は抗議し、防衛を固めようとしましたが、

既に手遅れでした。

東チベットに侵入してきた人民解放軍は、少数の、しかも

武器の乏しいチベット軍をすぐに駆逐してしまいます。

この部分、「非武装中立で日本は安全」とか、

憲法9条が日本を守ってくれる」など、「夢みたいなこと」を

信じている人に読ませたいですね。

国内では次第に人民解放軍とチベット人との衝突が

繰り返されるようになり、軍は民衆から食糧を

強奪し始めました。

道路建設のためにチベット人を強制動員したり、

放牧地を畑に変えて土地に合わない小麦を

無理やり植えさせるようになったのもその頃です。

そのためにチベットは史上初ともいえる飢餓に

見舞われることになります。

想像もできませんね。しかし、こういうことが

チベットで実際に起こったのです。

つづく