先日「-第四夜-」を公開したのですが、その内容について

 

自分なりに考察したことを、書き留めておこうと思います。

 

以下の考察は、あくまでも私の個人的な朗読用のものです。

 

だらだらと書いていますし、一般的な解釈とは違うかも

 

しれませんので、あしからずあせるあせる

 

     ~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

まずこのお話、お爺さんが主人公で、それをずっと見ている

子供の自分がいます。でも、子どもっぽい文章じゃないので、

さらにそれを俯瞰的にみてる、今の自分が語っている感じ

かなと、思います。

 

さて、お爺さんが広い土間で酒を飲んでいると、神さんが

前掛けで手を拭きながら質問してきます。

 

ここで不思議なのが、わざわざ「神さん」としてあるところ。

でも仕草や口調などを見ていると、飯屋の女将さんみたい。

言葉遊びみたいで面白いなと、思います。

で、神さんが「うちはどこかね?」と聞くと、お爺さんが

「臍(へそ)の奥だよ」と答える。

 

で、私が思ったのが、臍の奥にあるもの・・・・子宮の中?

この神さんは神様で、神様とお話をしている。つまりは、

このお爺さんは、おなかの中にいる赤ちゃんなのではないか

と思うわけです。

 

年齢不詳のお爺さん、でもしわがひとつもなくて、つやつや

している。生まれたての赤ちゃんて、老人に見えなくもない。

そして、ちゃんというように、まっかっかですよね。

酒を飲んで赤くなっているとの符号。


ひげがあるから年寄りだとわかる。これは輪廻転生して延々と

続いている命ということをいいたいのかしら?

 

そして、神さんが「真直(まっすぐ)かい」と聞いた途端に、

ふーっと吹いた息が外へ真直ぐに抜けた後、爺さんが外へ出た。これは、産道を抜けて外へ出たのかな?と。

いかがでしょうか?

 

障子を通り越して、柳の下を抜けて、河原の方へ真直に行った。

この息の流れ通りに、お爺さんは歩いて行きます。

そしてもうすでに、肩から箱を吊るしています。

 

そして、柳の下まで来たら、手拭いを蛇にするという。

この柳の下がひとつの分岐点。挑戦の始まり。

箱の中から真鍮の笛を出して吹き始めます。そして、何遍も

廻ります。いろいろな方法で廻ります。

でも蛇にはならない。しかし今になる、蛇になると言いながら、ただただ、真直ぐに歩いていく。

 

人から見たら、滑稽でも、無理だと思うことでも、自分が

信じた道をただ真直ぐに進んでいく思いや、情熱のようなもの

を表しているのかなと思えるんですよね。

ただ、そういう生き方をすることは、とても難しいことだとも

思います。

 

そして、お爺さんは川に入っていく。この川は三途の川的な、

死に向かっていく川。深くなる、夜になるというのは、人生が

終わるということ。

でも最後までただ真直ぐな思いを持ち続ける。

 

自分の信じた道をただただ真直ぐに進んで、人生を終えたこの

お爺さんは、満足な人生だったのではないかなと思えるのです。

 

そしてまた生まれ変わっても、同じ道を行くのかもしれません。

 

     ~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

Twitter、スタニスラフスキー・アカデミーさんのつぶやきより

 

『自分は才能がないのではないか、と考えるのは無駄なことで

す。その時間やエネルギーを、あなたにしかない真実感覚を磨く

ことに費やしてください。』