タイトル通りなんですけれど。
母が再び倒れました。
母は4年前に脳梗塞で倒れました。
このときのことは、■母の介護と脳梗塞 というテーマの中にいろいろ書いてます。
「もう明日死ぬかもしれない」と医師に宣告されてから早4年。
本人の努力の結果、要介護5から要介護2まで成長し、家事全般はすべてできるようにまでなっています。
そんな感じで、家族も本人も安心していたところ。
7月末の土曜日の朝のこと。
私は台湾出張から昨日帰ってきたばかり。
疲れていたので、ベッドでごろんごろんしていました。
そんなとき父が階下で私を呼んでいました。
「おかあさんが倒れている!」
え!!
と思って、急いで父を追いかけて外に行ったら。。
家の隣りの駐車場の小さな階段のところに母が倒れていました。
しかも、アスファルトの地面には血が広がっていて血の海。
刺されたのかと思うくらいの酷さでした。
母は毎朝プリンの散歩を日課としているのですが、駐車場のほうはいつものルートじゃないんですが。
近くにはプリンもいて。
母は外を歩くときに必ず杖を持って出るのですが、杖はもっていなかった。。。
母は真っ青な顔をして動けない。
そんな母を、発見して119番に電話してくれた近所の方々が見守っていて。
この状態で母を触ったりしたらもっと危険な状態で、触ることもできなかったです。
ひとまず、太陽がまぶしいだろうからタオルを顔にかけてあげるくらいしかできなかったです。
もう、どうしていいかみんなわからない。
早く救急車きて、ってそれを願っていました。
救急車で近くの大学病院まで運ばれ、MRIなど検査を受けていて、
私はその間に自分のための入院グッズ(私もいつか再入院するときのために入院グッズをひとまとめにしている)をもって、急いで父と病院へ。
数時間経った母を見にいったところ、ぐったりして寝ていました。
これから集中治療室へ移動、ということになりました。
ちなみに、母の頭蓋骨は、えらいことになってました↓
心臓が弱い方はみないでください。。。
めきめき割れてるーーーーー。
確認ですけど、人間の頭ですよね?
ボールとかじゃないですよね??
というくらい、頭蓋骨にすんごいヒビがはいっていました。
っていうか、こんなにヒビがはいっているのに、手術不要という結果になって、
本人もとりあえず意識があって、喋ってるっていうことにびっくりなんですけど。
先生の説明では、病名は複数あって、
・頭がい骨骨折
・頭がい骨骨折に伴う耳からの出血(流血はなんと耳からでした)
・外傷性脳出血
これらは数か月で治るとのこと。
ただ、倒れたときに脳挫傷になってしまいました。
これが深刻です。
雑に言うと、脳挫傷で脳が破壊されたものは治らないのでアルツハイマーのような症状がでるかもしれない。ということで。
脳梗塞になっても母の記憶力は抜群で、父と一緒にいつも褒めていたものですが、
脳挫傷が今後の母にどのように影響がでるかは、まだなんともいえないと先生。
母が倒れたときから覚悟はしていたので(むしろ死んでなかったのがすごい)、
これからどう母を支えていこうか、という感じで。
今まで4年間リハビリをがんばってきましたが、またリセットで1に戻ってしまいました。
仕方がないですね。
不幸にもまだコロナがおさまっておらず、むしろ増えているくらいですから見舞いにもいけず。
いつまで集中治療室にいるんだろうね、なんて父とずっと心配していました。
が、入院から3週間。
母はリハビリの病院に転院することになりました。
このリハビリの病院は、母が脳梗塞で倒れたときにもお世話になった病院です。
脳梗塞の後遺症にはリハビリをどれだけしたかが重要ですが、母はこの病院に半年いて
本当によくなりましたので、今回も安心しています。
で、この病院では面会は30分という制限があるけれど毎日可能なので、
父と日替わりで会いに行っているというところです。
母が倒れてから1か月とちょっと経ったというところなのですが、
あの頭蓋骨の骨折からは信じられないくらいで、笑顔で会話もできるくらい。
脳挫傷の後遺症は、今のところ感じられず。
記憶がないのは倒れた直後くらい。
特に記憶障害があるようにはまだ見えず。
やはり、倒れてから発見されるまで時間が経ってなかったのが不幸中の幸いか。
4年前に倒れたときは、発見されるまで数時間もかかって、しかも病院も転々とされてという
酷い状態だったようですので。
私の入院グッズに入っていたカタール航空でもらったパジャマを着ている母。
いや、1か月ですごい回復力だと思います。
今はじっくりリハビリをしてもらって、半年後の退院時には車椅子も使わないでトイレも1人でいけるように頑張ってもらわないと、という感じです。
ひとまず落ち着いたので、ブログに備忘録として書いておく。