天使に会えた! | ギター奏法における主観的観測、、ともろもろ!

ギター奏法における主観的観測、、ともろもろ!

数年、ギタリストとして、講師として感じた事や経験に基づく、ごく主観的なギター奏法についての考えや
ギターにまつわるいろんな事についてのブログです。
たまにはギターには関係ない事も...。

買い物に行く途中に空を見上げると


ハート型の雲。
こういうのは「天使が近くにいるサイン」と言われています。

なんだか嬉しい気持になりました。





右がBb、左はEb?

これはずっと私の耳で鳴っている音。
耳鳴りの音の高さです。

聞こえない時は誰かと話してる時とかだけ。
あとはずっと鳴ってますね。

これはチャクラと関係があるのかな?

Bbは第6チャクラ(眉間)と第7チャクラ(頭頂)の間、Ebは第2チャクラ(性器)と第3チャクラ(臍)の間になるらしい。

ほとんどの場合、右のほうが大きく聞こえます。
たまに同じくらいの大きさになることもあるんですが。

そういえば、知り合いのギタリストの人が聴覚検査で「聴こえたらボタンを押してくださいね。」と看護師さんに言われて待っていると聴こえたのでボタンを押して「Bb!」と答えちゃったとか。笑
それとは違うんですけどね。

仕事柄、今聴こえてる音が何か?とか気になります。
これはしようがないですね。
仕事ですから。

いつも理論の時間に生徒さんには話すんですけど、音楽を仕事にするなら感覚だけじゃだめなんです。
今聴いてる曲のキーは何で、テンポはいくつで、コード進行はどうなっていて、メロディの譜割りはどうなっていて、ということをちゃんと理解しながら聴くことが大切です。

でもそんなことは考えなくても音楽は聴けますよね?

でもそれだと音楽が「聴くだけ」になってしまう。
聴くだけなら、そんなキーとかテンポとか考えなくても、その今日が好きか嫌いかだけで良いと思います。

でもそれじゃ仕事にはなりませんよね?

どこかレストランへ行って「あ〜美味い〜!」とか「これ嫌い」とかは食べるだけの人はそれでかまいませんが、作る側の人間は「なぜ美味いのか?」「どうやって作ってるのか?」「どうすればもっと美味しくなるのか?」を考えないといけません。
それと同じこと。

何も考えずに音楽を聴く時があっても良いんです。
これはこれで大切なことですから。

ただ楽しむ。

でもそれは考えることを意図的にしないでいるに過ぎない。
わからないのとは違います。

料理する人だって何も考えずに食事を楽しむ時があっても良いですよね?
でもそれはその場の雰囲気だったりで考えることをせずに楽しむというだけです。
わからないのとは違います。

一般の人は楽しむだけになってしまいます。
するとあくまで自分の好みだけで音楽を聴いてしまう。

私はもちろん「自分が好きな音楽」はあります。
でもそれ以外の音楽もちろん聴きます。
普段好きなもの、はだいたいジャズですが、ポップスもロックもファンクもブルースもボサもフラメンコも聴きます。
たまには演歌も聴きます。
どれもそれぞれ良さがあります。
それぞれの音楽がどうなっているのか?を考えます。
ポップスにはポップスのやり方があり、ロックにはロックのやり方がある。
最近はなんだかどれもぐちゃぐちゃになっているようであまり好きになれませんが。
ポップスなのかロックなのか?
まあ、それが良い音楽ならそれで良いんですけど、ただ単にぐちゃぐちゃになっているだけのものが多い。
それはやっぱりわかってないんですよ、それぞれの音楽が。
好みだけで作ってる。

料理でいうと、寿司もステーキも好きだからどっちも食べる、みたいな。
それって「ええ〜?」みたいになりませんか?
ファミリーレストラン・レベル。
どっちもなんちゃってなものしかない。

寿司には寿司の、洋食には洋食の、和食には和食の良さがありますよね?
ちゃんと良いものを味わおうとしたらそれぞれの専門の店にいかないとだめですよね?
寿司屋さんに行って「俺、ステーキ好きだから牛肉握ってよ!」ってバカにしてんの?ってレベルです。
追い返されても文句はいえない。

ちゃんとしたお寿司屋さんの寿司ってどうしてあんなに美味しいんでしょう?
寿司飯、ネタしかないのに。
それが「技」というもの。
でも普段洋食作ってる人が和食作っても素人より格段に美味しいものを作れると思います。
それが「基本」です。
基本だけわかっていればあとはそれぞれのやり方の違い、ってことになるんじゃないでしょうか?

基本っていうのは、上に書いたような「キーは何」「テンポはいくつ」「コード進行は?」「リズムは?」「譜割りは?」ってことを理解することから、だと思います。
それがわからないと何もできない。

モーツァルトは、聴いた曲をすぐに再現できたと言います。
音を再現する力、です。
これはモーツァルトに限ったことではないと思います。
私にはできませんが。

でもギターのフレーズであればだいたい聴けばどうやって弾いているかわかります。
そういうこと、だと思います。

ひたすら聴く。
それがどうやっているのか考える。
試してみる。
できなければまた考える。
試す。
これの繰り返し。

早道なんてない。

音楽学校へ行っても魔法をかけてくれるわけでもなんでもない。
マジックの種明しをしてくれるだけ。
でもできない人もいる。
それは本人の努力。

料理も同じ。
素材の扱い方、包丁の使い方、レシピを教えてくれるだけ。
教えられてできる人とできない人がいる。
できない人は努力が足りないか、向いてないか、本当にできるようになりたいと思ってないか?のどれか。
コンビニエンスに手っ取り早くできる方法なんてない。
あるとしたらそれはファミレスの料理にしかならない。

そんなの、面白くないじゃないですか。

どうせならちゃんとした料理作ってみたいじゃないですか。

音楽もまったく同じこと。

味わう。
考える。
試してみる。

これの繰り返し。
もしできないとしたらこの過程のどこか が欠けている、ということでしょう。

感覚はなくていい、ということではありません。
良いものは良い。
悪いものは悪い。
それを判断する感覚。
それはもちろん大切。

たぶんその感覚自体のレベルが違う。
譜面がわからない人はリズムが弱かったり、コードが取れない人はハーモニー感覚がなかったり、メロディが再現できない人は音痴だったり。

「好き」と「できる」は違います。
できるようになるためには努力しかない。

頑張りましょう!
私も頑張ります。