東日本大震災と女性の記録(14)海の街の民宿にて ~お客様に喜んでもらいたい~ | swan花日記のブログ

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花との出会い
2011年3月11日東日本大震災から

海の街の民宿にて
~お客様に喜んでもらいたい~

2022年5月12日
60歳代 Y.Bさん
陸前高田市

山背(やませ)といわれる冷たく湿った風が吹いていた。太平洋の寒流の親潮の上を渡ってくる風。午後は山裾に雲が低く垂れていて、夜は濃霧であった。知人と夕食をすませ、乗ったタクシーの運転手さんが「山背で何も見えない。あそこにコンビニがあって、向こうには信号機があるんですけれども」。夜9時、初めての土地、知らないタクシーに乗り、ネットで予約した初めて泊まる民宿に向かう。10分ほどして私は尋ねる
「民宿Yはもうすぐですか?」
「はい、この交差点を曲がればすぐです」

次の日、チェックアウトした後、知人が迎えに来るまで女将さんと立ち話をした。昨夜の濃霧から想像できない青空が広がり、海を見下ろすことができる。

― この宿の中のあちこちに英語でいろいろな説明がありますね、「部屋に入るときは、スリッパを脱いでください」、「お風呂の中では、体を洗わないでください」、「トイレでは、スリッパを履き替えてください」とか英語で詳しく説明が書かれていますが、海外からのお客様が多いのですか?

「震災から数年はボランティアがたくさん来てくれて、その中にけっこう外国の人がいたんです。その外国からのボランティアが泊まってくれて、日本の大学生のボランティアが英語で説明を作ってくれたんです」

― この民宿は新しく建てたのですか?

「震災の前は海のすぐ側にあってずっと民宿をしていたのです。夫が海で魚を採ってきてお客様に出していました。あの日は、地震の後すぐに山へ逃げました。隣近所が漁師だったので、すぐに津波が来ると叫ぶので、着の身着のまますぐに逃げました。民宿も自宅もすっかり流されました」

女将さんは、ガラス張りの玄関から遠くに見える海を指さしながら話す。

「夫がなんとしても再建するって言いますから、こうして高台に建てたんです。でも夫はがんばりすぎて、みるみる痩せていきました。とても心配でした。私は夫を支えていこうと思いました。」

― 海岸の松原にはたくさん松の木があったらしいですが、すべて流されたのですね?
一本だけ残して。

「そうです。前はたくさん松の木があって、よく海岸で遊びましたよ。子供たちを連れて泳いだり、一日中いました。ほんとにきれいな所でした」

― みなさんに伝えたいことを教えてくださいませんか?

「家族が無事でよかった。全部、流されてしまったけど、家族が一番大事です。守らなくてはいけないのは家族です。
あとは女性も仕事をするために手に職があったらいいね。どんな職業でも、仕事ができるように。私も調理師の資格があって、こうして民宿で働けるのが嬉しいし、お客様に喜んでもらえるのがなによりです。こういう仕事が好きなんですね。震災後に数年、他の施設で働いたんですけど、やっぱり自分はお客様をもてなすのが好きなんだってわかりました。
でも、せっかく借金も残り少なくなってきていたのに、コロナになって泊まりのお客が減りました。なかなか戻ってきませんね。コロナの前は、同級会、忘年会、新年会、法事、宴会とか、にぎわっていたのに、今はそういう集まりもないし。
息子夫婦も手伝ってくれて、なんとか民宿を続けています」

白い大きな猫が、廊下の奥から歩いてきた。

― 猫、飼っているんですか?

「そうなんです。あの震災の時、この子は手のひらにのるぐらい小さかった。この子だけを一緒に連れて無我夢中で逃げました」

― たくさんお話をありがとうございました。

「いえいえ、こんなこと、めったにしゃべらないから・・・」

女将さんは笑顔で、また来てくださいと手を振ってくれた。