47、土中に眠る城下町
~大桑の調査成果から(10)~
前回からの続きです。
これまでに行なった四国堀跡・越前堀跡の試掘調査や市洞地内の遺跡分布調査により戦国時代の大桑の城山の麓には「城下町」が所在していた可能性が高いことが分かってきました。
これを受けて平成12年の1月から3月にかけて、教育委員会は城下町が広がっていたと推定される市洞の一角、「洞照寺前」の現場において第4次試掘調査を行いました。
調査現場は大桑城下町遺跡の推定区域の中でも「外堀・四国堀・越前堀」に守られた内側で、幅約500メートル・長さ2キロメートルの市洞の谷のほぼ中ほどに位置します。
洞照寺のあたりから谷の中央へ向かって広がる扇状地の端に位置し、周りに比べるとやや標高が高い微高地で東に谷の中央部を見下ろす形になります。
現場は昭和40年代に土地改良が行われており、昔の姿とは変わっていますが、明治時代の絵図には道路で四方を囲まれた約50メートル四方の四角い土地があったことが分かっていました。
こうした大きな四角い区画が昔から残っていたような場所では館や寺院、屋敷の跡が出てくることが中世の遺跡の発掘ではよくあります。
遺跡の発掘調査においては、その場所には人の生活が存在しなかった、つまり、遺跡ではないということを証明することにも大きな意義があるのですが、限られた調査のチャンスでもあります。
今回はその区画があった場所に城下町に住んだ人の屋敷の跡があることを願いつつ、この区画の調査をしました。
調査の顛末は次回に。