42、地名・伝承の調査
~大桑の調査成果から(5)~
昔のことを知ることができる手掛かりは古文書や絵図を調べる文献調査、まあた発掘などの考古学調査だけではありません。
我々の身近にある地名や昔話からも過去のことを知ることができます。
大桑には現在も古い地名や伝説がいくつも残っています。
その中には大桑城下町に関するものではないかと思われるものも数多く挙げられます。
例えば「カジヤジョウ」「シンタクジ」「オオテ」「シロノウチ」といった地名や、家老屋敷の跡、内堀の跡などと伝えられる場所がそれです。
これらの地名や伝説を耳にすると、城下や屋敷や町や寺院などからなる城下町があったのではないかと彷彿されます。
しかし、地名や伝説を鵜呑みにしてしまうのは、科学的な歴史研究の方法とはいえません。
地名や伝説から導かれる仮説をいかにして証明するか、ここに大桑城の謎を明かす鍵がかけられています。
しかし、大桑城の調査の出発点もやはり地名や伝説でした。
教育委員会では平成8年度から市洞・栢野地区の地名や伝説の聞き取り調査を行いました。
その調査でこんなことがありました。調査者が大桑城下町の手がかりを探そうと地元の地名や伝承の聞き取りのため栢野地区を歩いていた時のことです。
畑で農作業をされていた地元の古老に「この辺でお城に関係するような地名か、変わった畑の呼び名はありませんか?」と尋ねました。
すると、「シロノウチと呼んどるところがあるよ。なんでそう言うのかは知らんけど、余所より一段高くなってる」と言われたのです。
この証言から、古老が教えて下さった「シロノウチ」は古文書に「城之内」と記されている場所であることが判明しました。
この聞き取りによる成果は大きなものでした。現地では戦国時代やそれ以前の土器などの遺物もたくさん落ちていたのです。
そして、残念なこともあとでわかるのです。
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