震災から一年。 | 上から読んでも下から読んでもナカノカナ。~相模原・町田の女装娘カナの気まぐれ雑記~
今日でちょうど一年経ちましたね。

言うまでもなく未曾有の大災害となりましたね。

あの日私は自転車で厚木に出かける途中でした(まだ今の仕事に付く前でした)。

相模大野から小田急線沿いを経て松ヶ枝を横に曲がり国道に向かう途中の日産の工場の側を通っている時に揺れが起こりました。

自転車に乗っていたので最初は気付かず、信号で止まった時初めて気が付きました。

アスファルトの地面が波打つように揺れ、周りの看板や電信柱、電線がグラグラしています。

激しい揺れに恐怖よりも船酔いのような状態になり、まず気持ち悪くなったのを覚えています。

家族に電話するも、一切繋がらず携帯は使えません。

それもあり、その時はどれ程の被害かは把握しきれていません。

そのまま予定通りに海老名・厚木へと向かいましたが、出先も店が閉まっていたり、駅の側を通った時もアナウンスが流れつづけていたと思います。

帰りに昭和橋を抜けて、相模原市内に戻ってくると市内は停電状態。

道路では警察が交通整理をしている状態で辺りは真っ暗。

その日は父は橋本近くの職場、母は上溝の実家、妹は横山の(当時の)職場。で私は厚木と家族が全員バラバラでした。

私が家に帰ると、父母は懐中電灯で迎えてくれました。

妹とも連絡がつき、幸い家族は皆無事でした。

ただそれと前後して(多分)、私が妹を迎えに行き入れ違いになったと思います。

そのまま母方の実家に立ち寄ったと記憶してます。

一度帰って来た時に妹が帰宅していました。

私はそのあと夕飯を買いに市内の坂の上に行きました。

うちの家は相模原市の三段(駅や市役所のある一段目、上溝バイパスやキャタピラ三菱の工場地帯のある二段目、川原沿いの三段目)の二段目ギリギリです。

坂を上る直前の上溝の駅前あたりは電気が復旧しており、市の中心部辺りは普段と変わらなくなっていました。

役所や病院のある地域を優先に復旧すると言うのを、後から聞きました。

その後食事を見繕い、帰宅し寝ましたが、復旧したのは地震が発生してから半日後(午前4時頃)だったそうです。

ガスも水道も止まってたので、潔癖症の私にはちょっとしたトラブルでした。

まあ被災地に比べればはるかにマシでしょうが…。

その後テレビのニュースなどで、現地の状況を知った次第です。

うちのお店や町田界隈もあの日はやはり大変だったそうです。

あれから一年の間に私は職に就き現在に至っています。

時々時系列の順番がこんがらがったりします。

うちの店にも被災地の生まれの方がいますし、私や妹の知人も東北に行った方がいましたが、皆無事でした。

その後も度々あの日の事を思い出します。