『月と死と、情緒』


心を奪われるほど美しい、月夜でした💓

とても情緒的で、
美しく、少しだけ、切ない。



昔の人は『死んだ者は月へ行く』と、
考えられていました。

かぐや姫も、最期は月へ帰っていく。

たくさんの天女様のお迎えに連れられて。

ジブリの『かぐや姫』のお迎えシーンが、

とっても好きで、

毎回見ては、感動して涙が潤む。

(妹には『わからん』と言われたけど…(笑))


羽衣を纏うと、悲しみも、喜びも忘れ、

ただ、月の世界に帰っていく。

それまでの感情の起伏が嘘のように、ふっ…っと。


それはまるで、
人間という衣から、
魂という羽衣へ、着替えるような。

あのシーンも切なくて、すごく好き。

月へ行く前にかぐや姫は嘆く。

なんと、もったいない時間を過ごしたのか…と。


『ただ、生きるために生まれてきた』

それこそが『生きる』を味わうためだったのに、と。

『ただ、生きるために生まれてきたのに』と。


今の時代の中で『生きる』の意味を

『生命活動があること』
『身体が動くこと』と、

どこか無機質に捉えてしまわれてないだろうか?

何も思考せず、身体が動いて、
仕事をしてお金を稼いで難なくやり過ごせば、
それは『生きる』だと。

思ってはいないだろうか?

いや、それも生きることなんだけど。

そして、それも本来なら
生きた経験として、人それぞれなんだけれど。

『死を迎えた』とき、
満足していれば、それでいいのだ。

後悔していても、
それも『経験』でもある。

『生きる』にNOはない。

それでも、『満たされて生きる』ことは、

幸せを味わえる経験に繋がる。

『困難』と『達成』を感じて生きれることは、

自分の命を満たしていく。

身体を動きを感じることも、
心を震わせることも、

生きて、命を頂いて、体を頂いて、

経験できるすべてを味わうことをことで、

『生きる』を味わう。



そんなに素晴らしい『命』を感じて、


胸いっぱいに広がる感動を胸にしていても、

『死』は、不条理にやってくる。

そしてそれは、
『命』をもとに戻していく。


『陰陽』の中立な世界を表しているようで。

悲しいとか嬉しいとか、そういうのじゃなくて、

『無』なのだ。

『凪』なのだ。



逆らうことのできない、お迎え。

自分の意志とは無関係に訪れる、死 という現象。

弓矢で抵抗するけれど、それは叶わない。


必ず訪れる。


『死』とは、
昔から人間の自由になるようなものではなく、

避けることのできない別れだった。


今と、何が違うだろうか。


今宵の美しい月を見て、想いがよぎる。


今も昔のように、情緒を持てているだろうか?

今の医学の『死』に。

人の想い、情緒、儚さ、見送りの心。

『死』に対する意識は、どうだろうか?

日本の心は同じであろうか…?

昔は、たとえ弓矢を用いて抵抗したとて、

『逆らえはしない』という意識を持っていた。

『いつか、皆、迎えるもの』だと、

『誰一人として避けられない』のだと、

深い悲しみの中で別れを意識して、

ただ静かに、どこかで受け入れるのだ。

『必ず訪れる』と認知して、送る心。

故人に対して尊び、慈しみ、純粋に悲しむ心。

今の医療は成長した『弓矢』なのかもしれない。

結局は、叶うはずもないけれど


延ばして、延ばして、
まるで死を迎えることが
悪者のように、なっていないだろうか?

受け入れがたさばかりが先行して、

見送る心を置き去りにはしていないだろうか?

『死』は、悪者なのだろうか?

少しだけ切なくなった。


TVから聞こえる、恐怖や支配に振り回されて、

慈しむ心を、忘れてはいないだろうか?

尊ぶ心を、忘れてはいないだろうか?


すい込まれるほど美しい月夜を
ぼんやりと眺めていたら、


不思議と心の中が、凪ってくる。

無に、近くなっていく。

ぼんやりと、美しい輝きに心を馳せて、

今の世を、想った。

一年で最も美しい、月の輝く夜。


過去と、今と、その未来に想いを寄せて。

過去の人々の想い。

今の人々の想い。

未来を繋ぐ、見えない先の事象。


情緒的で、どこか官能的な月に酔いながら、

『和の心』に浸って。

思いっきり情緒的になってみるのも

これもまた、美しい月夜の時間の過ごし方…✨



月の美しさに魅せられたゆえの戯言でした〜🥰✨