1995 12月号 No.181
●チベット密教の実践秘法【第1章】
チベット密教の世界は謎に包まれている。
チベット
この地にはチベット密教という、秘密の教えが昔から伝わっており、この
チベット密教の教えを守り、修行を行う人を、ラマ(密教僧)といい、その
実践者であるラマ僧の不思議な力が、ときおり目撃されていた。
このラマが空を飛ぶように移動したり、念力で人を空中に浮かせたり、
水上を歩いたり、人が見ている前で姿を消したり現れたり、体温で雪
を溶かしたり、といったことをチベットを訪れたヨーロッパ人の多くが目
撃したという。
ラマ僧の目的は、解脱し輪廻転生から解放され、覚者の道を追求する
ことにあり、
その過程で、こういった奇跡と呼べる、不思議な力を覚醒することがで
きるようになる。
この不思議な力を世界に紹介したのは、チベットに訪れた外国の学者
やジャーナリストたちだ。
ある女性の人類学者が、何度も、この国に足を運び、不思議な力を調
査し、克明に記録を残している。
それによると、目の前で急に姿を消したり、逆に現れたりするラマ僧を
何人も目撃したという。
女性の名前は、アレキサンドラ・デビッド・ニールといい、調査だけでは
なく、自身もこの神秘行を実践し、不思議な体験をしている。
彼女はヨーロッパ人で長い間ラマから修行を受け「タルパ」という人口
幽霊を、想念と集中により創り出す方法を教えられたと、【チベットの魔
術と神秘】という本で述べている。
ニール女史は、背の低い太ったラマ僧を想像し、集中と儀式により、数ヶ
月後には、タルパが段々と形を現してきた。
タルパは幽霊とは違い、生きている人間のようになり、ある日ニール女
史の肩に触れるまでになった。
ニール女史が召使と旅にでるとき、このタルパも旅に同行した、このタル
パは自分の意思を持っているらしく、歩いたり、立ち止まったり、周囲を見
たり、と人間と同じように行動した。
ある日、ニール女史以外の人が、このタルパを目撃したが、本物の人間
だと勘違いしたほどだという。
タルパは、幻ではなく実際に、第三者にも、普通の人間として、目撃され
た。
タルパはだんだんと、大胆になりニール女史の旅の間中、先々で悪さをし、
創り出した彼女にも制御できなくなり、とうとうタルパを消す決心をしたが、
なかなか消えず、激しく抵抗した挙句、消すのに六ヶ月もかかった。
生霊もこれと同じ原理で、一度創られると、本人の意思とは無関係に行動
するようになる。
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パンチェン・ラマ6世
シガツェの寺に住んでいたパンチェン・ラマ6世についての不思議な話も
報告されている。
パンチェン・ラマは弥勒菩薩の化身といわれており、特に6世は並外れた
霊力をもっていたとされている。
パンチェン・ラマがインドに行ったとき、ある高官から「ラマの高僧は、霊
力をもっているといわれるが、本当ですか?」と聞いたところ。
突如、パンチェンは目の前から姿を消しさってしまったという、屋敷中捜し
ても見つからずにいると、一人の人物がパンチェンは、庭の木の根元に
ずっーと座っているというのである。
また、パンチェンが命令すると、寺院のロウソクに火が灯ったり、チベット
の宗教画(タンカ)に描かれている聖像が法話を語ったという。
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人間を不思議な力を持つ、超人へと変える、そのチベット密教の修行法
とは?
次回、
【師匠につかずにチベット密教を独学でマスター
する方法】
チベットの象徴、ポタラ宮
チベットは数千メートルの山地で、世界の屋根と呼ばれる、3大山脈、
ヒマラヤ、カラコラム、崑崙(コンロン)に囲まれた地です。
少し話は変わりますが、
中国の文化大革命をご存知でしょうか、50年前の話になりますが、
1965年から10年間行われた、毛沢東 指導下で資本主義社会になる
ことを阻止し、共産主義国家を建設する目的のため、行われた思想
改革運動です。
中国全土で粛清運動・破壊工作が執り行われました、この権力闘争
での、死者は40万人と中国当局は言っていますが、本当は2000万人が
死んだとも言われています。
色々言われているので、本当の死者の数はわかりません。
いま世界中で猛威を振るうコロナと同じで、中国当局の言うことは本当
に......どうなってんの?といった感じですが。
封建主義的文化(文化・思想・社会などの古いもの)を批判し、中国全
土で粛清運動・破壊工作が執り行われ、多くの死者を出しました、【プ
ロレタリア文化大革命】、【文革】とも呼ばれています。
チベットも文革により、沢山の寺院を破壊されました。
寺院が破壊されただけではなく、僧達が還俗させられ、多くの僧が周辺
の国に亡命していきました。チベット密教の教え事態、瀕死の状態となり
死滅したと思われていました。