1988 9月 No.7
〈高藤仙人の痛快漫遊記③〉
●青春、苦悩、哲学、心霊でも結局俺は、台湾で酒池肉林
17歳の頃、生と死の問題について悩んでいた青春時代をおくっていたとき
「日本心霊協会」、「日本心霊科学協会」という団体の広告をみて、精神統一会の
会合に出席する。
この教会がおこなう、降霊会の様子は霊能者が、自分の体にさまざまな霊を下して
いくといったことが行われていた。狐や子供の霊、侍などが霊能者に下りてくる、そ
れに合わせて、霊能者が演技を行うといったものだったらしい。
狐が下りれば、狐の鳴き声の後に、日本語で話しだす。子供だとが下りると、甘えた
話し方で話だし、侍だと「~で候(そうろう)」とか言葉につけ出したりとか・・・・
このころ語学も、本気で学びだし、ドイツ語からはじまり、ロシア語、フランス語、
ラテン語、ルーマニア語などなど、講習会にも積極的に参加していた。
数年もたつと、そういった生活もゆきづまる。
昭和44年それまでは、観光での出国はムリだった、一般の旅行者にもパスポート
が発行されるようになる、世界放浪にでるには度胸がなく、近い台湾、香港、マカオ
をまずは目指す。